第3話

「はあぁ~……どうしてこんなことに……」


学園の廊下を歩き、朝から盛大なため息を吐く。

薬学科の教師に頼まれてノートを提出しに行った帰り、レティシアはまるで落ち着かなかった。

あれから寮に戻って、翌日からはいつもと同じ日常を送っていると先の一件が夢であったかのような気分だ。


(私、サディアス様に……)


まるで絵画のような麗しいあの人の顔を間近で見ることが出来ただけでも十分なのに、話を聞いてもらって、そして何故か求婚されて。


「夢かな。夢だよね……」


もはや都合のいい幻想のように思えてきた。

サディアスとはクラスも離れていて、共通の知人がいるわけでもないので図書館外での接点はほとんどない。

もしも今日、サディアスから何も言われなければ幻想だと思い込んで片付けてしまいそうだ。


ふと、立ち止まって窓ガラスに映った自分の顔を見る。

地味で野暮ったいメガネに、どこにでもいるような金髪。

こんな自分があんな美しい人に好かれるなんて、ありえない。

我ながら笑ってしまいそうだと、レティシアは静かに視線を逸らした。


「ダメね、サディアス様のことばかり気になってしまうわ。教室に戻ってユリアたちとお喋りでもして気を紛らわしましょう」


頭の中の9割を占領しているサディアスをかき消すために、友人たちを必死に思い浮かべる。

階段を登って、教室へ無心で足を進めているとどこからかザワザワとした声が聞こえてきた。


「……何かあったのかしら?」


レティシアは足を止めて、声の元を探った。

下の階、恐らく講堂の方から何やらざわめきのような声が響いてくる。

ちょっとした興味本位から、レティシアの足は自然と階段を下っていく。

講堂へ向かおうとすると予想通り既にそこには何人もの生徒が集まっている。

一体これはなんだと、生徒たちのざわめきに耳をすましてみると、レティシアはとても嫌な予感がした。


「メルゼシア様が可哀想だわ」


「スタンリー様って本当に素敵よね。メルゼシア様のことを宣言通り守ってくれるなんて。私もあんな人と恋をしてみたいわ」


メルゼシア、スタンリー。

聞き逃せない二人の人物名が、生徒たちの間で頻繁に登場する。


(まさかサディアス様とメルゼシア様に何かあったのでは……!?)


一生懸命背伸びをしながら、人の波を掻き分けて前方に目をこらす。


「これ以上メルゼシアに近づくのはやめてもらおうか。もう君は彼女の婚約者ではないのだから」


レティシアが見たのは、そう言ってサディアスからメルゼシアを守るかのように振る舞うスタンリーの姿だった。


(あっ、あれはサディアス様と……メルゼシア様方!?)


一体何が起きていたのか、先日のパーティと同じように修羅場と化している。

生徒たちは彼らがどうなるのか野次馬として見に来ていたというわけだ。


「貴様、ふざけるのも大概にしておけ」


サディアスは持ち前の鋭い眼光でスタンリーを威圧する。

本来ならスタンリーはあのような口を聞いていい立場のものでは無いはず。

昨日の今日でサディアスはかなり苛ついている様子だ。

だがさらにそこへメルゼシアが加勢に入る。


「大体あなたはいつもそうよね。そうやって偉そうな態度で威張ってばかりだわ。わたくしに愛されなかったからって、スタンリーに嫉妬しないでちょうだい!」


「嫉妬など誰がするか!お前の身勝手な行動で、一体どれだけの人間に迷惑がかかると思っている!」


らしくもなく激昂するサディアスを前にして、メルゼシアは追い打ちをかけるように、余裕の表情でくすりと笑った。


「可哀想に。あなたがそんな人だから、誰からも愛されないのよ。あなたの母君からも、父君からも」


その瞬間、サディアスの動きが止まった。

その様子は、痛いところを突かれた、というのが明白だった。

ブラックリー公爵家が家族仲が悪いというのは聞いたことがないが、今のサディアスを見る限りきっと彼ら家族の間には何かあるのだろう。


しかし、レティシアにはそれを気にしている余裕はなかった。

何よりも大切なサディアスが、メルゼシアの心無い言葉で傷ついているのだ。


地味に無難に目立たず。

そうやって生きてきたレティシアだが、今回ばかりは堪えきれなかった。


「……っ!」


生徒たちの間を掻き分けて、何とか前へと進む。

髪は揉みくちゃにされて乱れてしまったし、メガネは誰かの服に引っかかってどこかへ行ってしまった。

きっと今の自分は、とんでもなく酷い格好をしている。

それがわかっていても、レティシアはもう止まらない。


「それは違います!」


レティシアの声が、講堂中に響く。

一堂の視線が、一斉にレティシアに向けられた。


「君は……!」


「誰よ、この人」


突然現れたレティシアに、サディアスは顔を明るくし、反対にメルゼシアは思いきり顔をしかめる。

同級生とはいえ、いつものメガネも無い上に目立たないレティシアでは、学園の華のような彼女には認識すらされていないのだろう。


「どなたか存じ上げませんけれど、口を挟まないで頂けます?」


割り込んできたレティシアに明らかに嫌がっている様子だ。

美人の怒った顔は恐ろしいものだが、メガネが飛んでいって裸眼なので、あまりよく見えなかっただけマシだろうと自分を奮い立たせる。


「サディアス様のことを誰も愛さないなんて、そんなことありえません!なぜなら私は、サディアス様のことが世界で一番大好きだからです!」


「……っ!?」


周囲が一気にざわめく。

メルゼシアの言葉は、サディアスのことが好きで好きでたまらないレティシアにとっては聞き捨てならないものだ。

サディアスの過去も、メルゼシアとのこともレティシアは何も知らない。

けれど、サディアスが大図書館で見せる素顔なら誰よりも知っている。

大勢の前で自分が公開告白をしているというのにも構わず、レティシアはありったけの思いを叫ぶ。


「サディアス様のことは、私が幸せにしてさしあげます!ですから……っ、ですから私の大切な人を傷つけないでください!」


レティシアのその言葉で周囲がさらにざわめく。

メルゼシアもスタンリーも、闖入者の突然の告白に唖然とするばかり。

そんな彼らをよそに、サディアスが一人、小さく笑った。


「妖精、というよりも勇者と言ったほうが正しかったか」


先程までの恐ろしい形相とは打って変わって、穏やかな声。


「レティシア。やっぱり君は本当に、不思議な人だ」


サディアスは、そっと優しく微笑んだ。

その表情はどんな名画にも勝るような美しさで、レティシアはそれが見れただけで満足だった。


「サディアス様。私、サディアス様と婚約します」


「……ああ。生涯をかけて、君を愛すると約束しよう」


レティシアはサディアスの手を取り、微笑む。

認知がどうだの解釈違いがどうだの、昨日は散々喚いたが、やっぱり彼の手を離したくないと思ってしまったのだ。

この人を、一生かけて幸せにしたい、と。

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