第四十話 及第点の交渉を……!
「俺は……妖精王の依頼でここに来たわけではない。お前にひとつ、聞きたいことがあって来たんだ」
私の質問に対し、勇者は相変わらず淡々と答える。
しかし、その口調はどこか清々しく、またこちらの意図を正確に理解しているようであった。
勇者は一呼吸間を空けると、ゆっくりと言葉を紡ぎだす。
「お前は転生者だろう。俺も同じ転生者だ。それはわかっていると思う。だから聞きたい。……お前は、転生する際にパラレルという男と出会ったか? または、パラレルと名乗る不定形の怪物に出会ったか?」
その言葉は、初めて示す勇者の真意。使命と義務と憎悪の限りを込めた、彼の本心から溢れ出す真実の表現。
私に問いかける彼の表情は、溢れんばかりの憎しみを湛えていた。
その口調は、口から漏れ出した瞬間私さえも震え上がらせる。
(や、ヤバい。返答を誤れば間違いなく殺される……!)
勇者の真意は、たったそれだけで私に恐怖を植え付ける。ただでさえ凄まじい威圧感を放っていた彼の姿が、今は悪鬼羅刹のように見えた。
……その時ふと、人間の温もりに包まれた私の身体に、同じく蜂ではない姿の手が触れる。
とても温かく、優しく、そして頼もしい手。私が何よりも信頼する男の手だ。
「大丈夫だレジーナ、俺がついてる」
たった一言。私の隣に立つシャルルが、短い言葉を放った。
勇者の真意に私を震え上がらせるだけの力が込められていたように、彼の本心にも私の心を激動させるだけの力が込められている。
その甘美な響きは私の深部にまで容易く侵入し、温かな熱で包み込んだ。
何もしてくれなくていい。ただそこに、私の傍にいてくれればいい。
それだけで私は、どんな恐怖にも打ち勝てる。それが愛なのだと、私は思う。
ふぅ、とひとつ、深呼吸をする。
激しく脈動する心臓の音は、その一呼吸によって自覚できた。
「パラレルって名乗る人には、会ったことがないよ。それに、たぶん勇者ヒカルくんは日本人だよね。名前もそうだし、見た目もアジア系。でも私はホラ、蜂になっちゃってるから」
勇者の疑問がどこにあるのかはわからない。だけど、おそらく転生者を調べているんだろう。
私はそれから、自分がどのようにしてこちらの世界に来たのかを話した。
私が前世でどのような生活をしていたのか。私がどのようにして死んだのか。
この世界に来たときどんな変化があったのか。
それはシャルルにも話していないような内容も含まれている。
しかし、ここで嘘を吐いたりはぐらかしたりするのは、この勇者に対して失礼だと思った。
普段なら、私は細かい嘘をたくさん言う。話を誇大に表現したり、脚色したり。
だが何故か、彼に対してはそれが良くないことだと感じる。
それは恐怖から来るものか、または尊敬から来るものなのか。今の私にはわからないけど。
「そうか、パラレルには会っていないか」
勇者は私の話を聞き終えると、落胆したような安心したような、微妙な表情をその顔に浮かべる。
そして今聞いた話を反芻するように、顎に手を当て考え込んだ。
「あの、私からも聞いていいかな? そのパラレルって何?」
思考を巡らせる勇者に、私は心からの疑問を投げかける。
きっと、私にとっても無関係な話ではないだろう。
これは私の予想でしかないが、そのパラレルという人物は私がこの世界に来た理由に深く関わっているはずだ。
「そうだな、お前も今後奴と対面する時が来るかもしれない。話しておこうか」
私の疑問に対して、考え込んでいた勇者は一旦その思考を止める。
「アレはそう、1500年前。俺がこの世界に来た時のことだ……」
勇者の口から紡がれるのは、彼がたどった激動の人生……。
……は!? せ、1500年前!? 勇者そんな長生きなの!?
ま、まあ私の驚愕は一旦置いておいて、勇者の話だ。
彼は大学2年生の頃、突如この世界に呼び出されたのだという。その時、パラレルという男に出会った。
彼は異世界の大魔王だと名乗り、地球とこの世界の境界をぶち破って無理やり勇者ヒカルを連れ出したそうだ。
当時の勇者は付き合っている女性がいて、異世界への召喚は拒否したそうだが、大魔王パラレルはそんな事情汲み取ってはくれなかった。
恋人、友人、家族。彼はほんの数分にして、地球で築き上げたすべてを失うことになる。
それから勇者は、パラレルへの復讐だけを願って生きてきたのだそうだ。
……しかし、そんな憎悪が長持ちするはずがない。人間の精神というのは、非常に刹那的なものだ。恒久的な感情というものを、人間は持ち合わせていない。
それこそ1500年も続く愛と憎悪などというもの、人間の身体では不可能なのだ。
だから、5,6年ほどで勇者の愛と憎悪はなくなった。
しかし、パラレルの手によって異世界から誰かが召喚されるたび、勇者は愛ではなく憎悪の方を思い出すようになる。
自分が憎悪に取りつかれたイカレになることも自覚しつつ、彼はそこに生きる意味を見出したのだ。
絶対なる世界の法則、異世界の大魔王パラレルを討つ。ただそれだけのために、彼は生きているのだという。
「現状確認できている異世界人は、お前と俺と、英雄ジェリアス。それから竜王アルカサスに、冒険者が数名。魔物に転生した者も何人か知っているが、人間よりは少ない。おそらくは……」
ま、マジか。私以外にも結構転生して来た人がいるんだ。
私は運よく迷宮蜂に転生して、配下にも恵まれた。だけど、魔物に転生した人たちはきっと、そう長く生きられてないだろうなぁ。
勇者の表情を見れば、魔物に転生した人がどんな末路を辿るのか想像できる。
……ん? 英雄ジェリアスに、竜王アルカサス? その名前、どっかで聞いたよな……。
「英雄ジェリアスと竜王アルカサスも、異世界人だというのか!?」
私よりも先に反応したのは、隣にいるシャルルだった。
彼はどこか興奮したように拳を握り、声を荒げて勇者に尋ねる。
「その通りだ。ジェリアスは5年前に、アルカサスは600年前にそれぞれこちらの世界に来ている」
あ、思い出した! 前にシャルルが言ってた、『アストラの承認』を持ってるランクS!
そうか、彼らも異世界人だったんだ。そういえば、勇者ヒカルも『アストラの承認』を持ってたよね。
もしかしたら『アストラの承認』って、急に連れてこられた異世界人がこの世界で生きていくために、大主神アストラがくれたのかな?
(まぁこの予想が本当だとすると、妖精王オベイロンも異世界人ってことになるけど……)
「それと、死んだ異世界人が記憶を消去されこちらに来ているパターンもある。むしろ、こちらの方が数が多いくらいだ。魂までは消えていないが、記憶はひとつも残っていない。……その分、見つけ出すのも困難を極める」
苦しそうに言葉を紡ぐ彼の口は、極限までひきつっている。
いったい1500年の間に、どれほどの地獄を見てきたのだろうか。知り合いでも、いたのだろうか。
苦悶の表情を浮かべる彼の目は、なぜかシャルルを射抜いていた。
二人の間に、なんとも言えない空気が流れる。
「そ、そうだ! 私の方も嘘を告白しないとね!」
耐え切れず、私は言葉を漏らした。なんだか、嫌な予感がしたのだ。
「必要ない。予想は付いている。大方、俺と直接話がしたいがために嘘を吐いていたのだろう」
おお、ナイス推理だ。さすが勇者。彼が迷宮を探索している間に吐いていた嘘のすべてを、看破していたというのか……!
「俺からお前たちを襲うことはない。しかし、この迷宮は脅威だ。人間たちには世界樹の森に近づかないよう圧力を掛けておくが、ジェリアスが勝手に動く可能性がある。なんとかして、人間たちに狙われないよう気を付けることだな」
英雄ジェリアス。クオンさんの情報では、付近の国で急激に勢力を拡大しているらしい。
彼の実力は凄まじく、たった数年でランクSに至ったほど。
同じ異世界人でも、私を襲わない保証はない。
「そのことなんだけど、もう少し私に力を貸してくれないかな! 私たちは、人間とことを構える気はない。むしろ、こっちから友好関係を築きたいくらいなんだよ!」
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