第三十九話 この勇者、理不尽すぎる!?
デューンを下したのちも、勇者の足が止まることはなかった。
彼は無慈悲に、そして無遠慮に私の迷宮を攻略していく。
第四階層、腐敗のエリア。
迷宮に侵入してきた魔物の死骸を一か所に集め、高い湿度と室温でもって腐敗させた地獄の階層。
巨大なクマが、群れを成すオオカミが、高い獰猛性を有するオオトカゲが、鉄壁を誇る節足動物が、ただの汚物となって集約している。
足を踏む隙もなく、天井や壁など至る所に存在する死骸。漂う腐臭と他階層よりも圧倒的に薄い照明が、この階層を果てしなく不気味な姿に変えていた。
ここのトラップは殺傷というよりも、侵入者を不快にさせることに特化している。
対人間用の階層なのだ。
常に精神魔法を施し、侵入者を狂乱へ陥れる。
やはり迷宮を作るというのなら、人間の精神をすり減らすような環境も必要だろう。
その点、この階層は戦闘の意欲を削ぐという意味でも効果的だ。
また、ここは他の階層に比べ通路が狭く、その分道も長くなっている。
こんな劣悪な環境を延々と歩かされれば、並みの人間ならすぐに精神を病むだろう。
……そう、普通の人間なら。当然、普通ではない勇者に通用するはずなどない。
彼は腐敗した魔物の死骸をガン無視し、そのまま直進していった。とてつもない精神力である。
(てっきり、さっきのシャイニングフレアで一掃するものかと思ってた。炎を使えば腐敗を気にしなくてもいいし、明かりになるから多少気がまぎれる)
しかし、どうやらあの勇者にはそれすら必要ないようだ。
まったく表情を崩すことなく、腐敗した通路を進んでいく。
精神を病むどころか、攻撃的な罠がないことに落胆しているような雰囲気すら醸し出していた。
そして第五階層、崩落のエリア。
床や天井、壁が瞬時に崩壊し、世界樹の圧倒的な質量で侵入者を圧殺するエリアだ。
ここの最も凶悪な部分は、床の崩落によって第四階層に突き落とされることだ。
ただでさえ精神を壊した侵入者は、下の階層に落とされることで戦意を喪失する。
……その、はずだった。
(まあわかってたよ、勇者がこの程度の落とし穴に引っかかるわけないって)
当然だ。あれほどの実力を見せつけた勇者が、今更こんな安直なトラップに嵌るわけがない。
勇者は軽やかなステップで崩壊した床を飛び越え、崩れた壁を利用しショートカットする始末。
この延々と弧を描く迷宮で方向感覚を失わないとか、正直人間の常識を逸脱している。
(あ、そうだ。勇者は人間じゃないって、さっき結論付けたよね)
ちなみに、天井の崩壊に関しては次の階層まで届くほどの厚みではない。
『不壊属性』を持つ世界樹ならば、どんなに厚みが薄くなっても破ることはできないのだ。
……まあ、そんなショートカット対策なんて勇者には関係ないみたいで、壁抜きを利用し爆速で第五階層を突破されたけど。
マジ、第一階層よりも早く突破されたかもしれない。この第五階層は失敗だな。
続く第六階層は、終わらない花畑のエリア。
他の階層よりも遥かに強い照明に照らされ青々と茂る草花たち。美しい花が自身を主張するように猛々しく咲き誇り、『クリエイトダンジョン』によって作られた清流が心を癒す。
そう、ここは蜂の採集&休憩スポットである!
……わけがない。迷宮にそんなもの作って、なんの意味がある。
ここにある花はすべて毒草だ。それも、冒険者のガイドブックから参考にした、食べられる野草にめちゃくちゃ似てる毒草だけを厳選している。
この階層制作にあたって、クオンさんから冒険者の情報を大量に仕入れたのだ。
正直、他の階層よりもずっと手間がかかっている。
……だが、そんなこちらの事情を考慮してくれるほど、勇者は甘くなかった。
本来なら第五階層までの激闘に疲れ果て一度休憩を挟むだろうと思っていたが、そもそも勇者がこの迷宮で疲れを感じる要素などひとつもなかった。
彼は咲き誇る花々にも柔らかい音を立てる清流にも目を向けることなく、淡々と次の階層を目指して歩くのだ。
それはもはや、狂気とも言えるようなものだった。
そして彼がたどり着くのは、この迷宮の最終階層。
第七階層、混乱と幻惑と、光線と灼熱と崩壊と雷撃のエリア。
今私が引き出せる世界樹の力すべてをつぎ込んだ階層だ。
ここには最終的に、迷宮蜂が巣を作る予定になっている。
シャルルやシャノールさんの助言から、迷宮蜂のスペックならこのくらいやっても問題ないということで、めちゃくちゃにトラップを設置しまくった。
侵入者を確実に屠るため、一撃必殺のトラップをいくつも設置したのだ。
混乱の魔力が相手の弱った精神を直接穿ち、幻惑の魔法が相手をトラップへと誘う。
光線は侵入者の急所を的確に打ち抜き、灼熱の炎が生命を奪う。
崩壊した内壁が敵を下敷きにし、雷撃は防御魔法を容易く突破して命の灯を踏みにじる。
私の悪意と好奇心、そして子どもたちへの想いが詰まった階層だ。
この階層は、何人たりとも踏破することなどできない。
(っていう、私の妄想ね。うん、絶対に突破できない迷宮を作るのってやっぱり難しいわ)
この絶対なる鉄壁の階層を、汗のひとつも掻かずに踏破できるものが存在する。
そいつは理不尽なほど強くて、呆れるほど冷静で、思考の内など読めるはずもない。
私とは文字通り次元の違う存在。それが、この世界の最強種。ランクS。
そんな彼は、この迷宮に入ってから一時間と少しという、RTA勢もびっくりなスピードでここまで辿り着いて見せた。
第七階層を超えた先。今は私とシャルルしかいないけど、普段はみんなが集まってどんちゃん騒ぎする憩いの場所……。
「ようこそ! 勇者ヒカル! レジーナの迷宮最深部、最奥の間へたどり着いてくれて嬉しいよ!」
現れたその男は、世界樹の『感覚共有』で見るよりも遥かに凄まじい威圧感を湛えていた。
私を射抜く黒眸は彼の叡智をうかがわせ、朽ちかけに見えた左手の義手は、溢れ出すエネルギーを抑えようともしない。
軽装に遮られた肉体は想像も付かないほどの試練と鍛錬を想起させ、迷宮の地面を踏みしめる足は彼の健脚を納得せざるを得ないほどたくましい。
存在が、生物としての格が、私と勇者では圧倒的に違う。
ランクCとランクBでさえとてつもない格差が存在するのに、ランクAとランクSではどれほど違うというのか。対面した今でさえ、勇者の底が見えない。
(でも、私がここで怯えちゃダメだよね。せっかくここまで来たんだから、意地でも勇者と穏便にことを済ませないと!)
正直めちゃくちゃ怖い。今すぐここから逃げ出して、できることなら勇者のいない土地へと退散したいほどだ。
しかし、個人的な恐怖は子どもたちを見捨てていく理由になどならない。
迷宮蜂も長肢蜂も、燕蜂も甲碧蜂も、みんな私の大切な家族なのだ。
「それじゃあさ、勇者君。……お互いの嘘を白状しようか」
人間の心臓が激しく脈動するのを押さえつけ、呼吸も一定に保つ。
あくまでも普段の私という意識を失わないよう、私は勇者に語り掛けた。
隣でそれを聞くシャルルは、勇者に圧倒されつつも無言で困惑を表現している。
それもそうだろう。嘘、といっても、何がどう嘘なのか。
しかし、私にはわかるのだ。勇者は嘘をついていた。
なんの根拠もない、女の勘ってやつだけどね。
もしかしたら、私がそう思いたいだけかもしれない。
「なら、俺から話そう」
私の言葉に対し、勇者はあまりにもあっさりと肯定を示す。
表情も口調も、何も変えないままただ淡々と。
(けど良かった、私の勘は当たってたっぽい!)
心の中で、思わずガッツポーズをする。もしこの予想が外れていたら、根底から崩れ去るところだった。
「俺は……妖精王の依頼でここに来たわけではない。お前にひとつ、聞きたいことがあって来たんだ」
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