第56話 喧嘩


 同僚を連れ戻したジンの視界で、ユウヤの頭から赤い液体がほとばしった。


 佇む場は戦場。泣きわめく時間はない。ジンは大声で呼び掛けたのちに兄の死を確認し、目頭の熱さをこらえて掃討戦に注力した。


 拠点奪還は成功した。殉職者と負傷者は多数出たが、当初の目的は達した。


 ユウヤの死は無駄ではなかった。


 そう考える者がいれば、考えない者もいた。流れ弾での死。そこに意味を見出すのは不可能だ。


 無駄な犠牲者を生んだ。その犠牲者は、多くの人から好意を向けられていた。


 悲しみ、寂しさ、怒り。湧き上がる感情をぶつけるべき敵は、すでに撤退してどこにもいない。


 抑えようのない鬱憤うっぷんは、流れ弾の原因を作った少年に向けられた。


「おらァッ!」


 脚が伸びる。靴裏が頭部を蹴飛ばした。外れた眼鏡が地面の上を跳ね滑る。


 最初は誹謗中傷だった。あいつのせいで死んだ、あいつがユウヤを殺した。行き場のない感情が、言葉となって小畑に突き刺さった。


 そんな日々は終わりを告げて、殴る蹴るといった暴力行為が横行している。外野は止めるどころか、面白がって参加するていたらくだ。遊び道具に乏しい施設内において、小畑相手に拳を振るうのは一種の遊びとして機能していた。


「やめろ!」


 ジンは集団と小畑の間に体を差し入れる。


 鎌木が目を細める。


「ジン。てめえ、そいつを庇うつもりかよ」

「ああ」

「分かってんのか? そいつのせいで兄貴が死んだんだぞ? お前の兄なのに、何で平然としていられんだよ!」


 鎌木が靴裏を地面に叩き付ける。他の少年少女は言葉にこそしないものの、目を伏せて静かに拳を握り締める。


 行き場のない感情をもてあます。その感覚はジンにも理解できる。


 それでも同調はしない。ジンだけは、それをやってはいけない。


「ユウヤをしたってるなら何で分からないんだ⁉ こんなこと、ユウヤが望むわけないだろう!」


 ジンは実の弟だ。長い時間をユウヤと過ごしてきた。ユウヤの最期には立ち会えなかったが、何に怒って何を悲しむ人なのか知っている。


 鎌木も小畑もユウヤの教え子だ。どちらとも仲がよかった。


 直接銃口を向けられたならともかく、流れ弾で復讐を願うような兄じゃない。ジンはそう信じている。


「……くそッ!」


 鎌木が脚を振り上げる。打撃音に次いで、転がった植木鉢が中身の土をぶちまける。


 集団が散る。ジンを憎々し気ににらみ、野次馬が一人、また一人と減る。


「大丈夫か?」


 ジンは右腕を伸ばす。


 パァンと乾いた音が鳴り響いた。戸惑うジンの前で、土に汚れた体がのっそりと腰を上げる。


「気は、すんだかよ?」

「え?」


 小畑がよろよろと歩を進める。丸まった背中が建物内部に消えた。


「ちょっと、ジン」


 二人の少女が歩み寄る。


 リュミとマキ。一人は視線を伏せ、もう片方は表情を険しくしていた。


「何だよ?」

「あまり言いたくはないけど、そういうのはもうやめた方がいいと思う」

「やめるって、何で?」

「今度はジンが標的にされちゃうかもしれないってことよ」


 ジンの脳裏に、先程向けられた視線が想起される。


 今はユウヤの弟ということで見逃されてはいるが、この先どうなるかは分からない。何かのきっかけで、あの悪意がジンに向けられてもおかしくない。


 マキの言いたいことはジンにも理解できる。


 理解できることと、納得できるかどうかは別の話だ。


「標的にされることは覚悟の上だ」

「どうしてあんたがそこまですんのよ? あいつらに同調する気はないけど、あの眼鏡はユウヤの死因を誘発したのよ? 恨みこそすれ、あんたが体を張る理由はないでしょ?」


 声色は強めだった。マキの隣で、リュミがこくこくと頷く。


「理由はある。俺はユウヤの弟だ。兄を理由にした暴力行為なんて看過できない」

「気持ちはわかるけど、上官に相談してもこのザマなんでしょ? 無駄なのよ、私達が制止したって」


 体を張ってもいじめは止まらない。そこで上官に話をした。小畑がいじめられていることを報告し、やめさせるように願った。


 注意喚起は行われたが、いまだ暴力行為は続いている。もはやお手上げの状態だ。下手をすれば人材一つが機能不全に陥るのに、上は全く動かない。


「それでもだよ。弟の俺が黙認したら、あいつらに大義名分を与えることになる。ユウヤの名誉のためにも、それはしちゃいけないことなんだ」

「こんだけ言っても分かんないの⁉ あんたのために言ってんのに!」


 マキが声を荒げて奥歯を噛み締める。


 心配してくれたことに感謝しつつも、ジンは真正面から叱責を受け止める。


「これは俺の問題だ。放っておいてくれ」


 ため息が空気を揺らした。マキが身をひるがえす。


「分からずや。リュミ、行くわよ」


「う、うん」


 リュミがぺこっと一礼してマキの背を追いかけた。

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