第52話 ファンキーな姉妹


「うっめえええええっ! やっぱ人の金で食うカツ丼は最高だな!」


 食堂内に歓喜の声が響き渡った。いくつかの視線を集める中、お盆を握る少年少女が食堂の床を踏み鳴らす。


 広々とした空間には、大勢の少年少女が友人と談笑を交わしている。ちょっと声を張り上げた程度では、大多数から視線を集めることは叶わない。


 向けられた視線は和やかなもの。またか、と言わんばかりに苦笑いを浮かべる人影もある。


 その中に、一人だけジト目を向ける少年がいた。


「まさかカツアゲにまで堕ちるとはなぁ。見損なったぞユウヤ」

「バッカお前! カツアゲなんて誰もしねてーだろが!」

「飲み込め! 飲み込んでから話せ」


 元ヒーローがコップを手に取り、ごっきゅごっきゅと喉を鳴らす。


 コップの底がテーブルの天板を鳴らす。満足の吐息が賑わいのある空気を揺らした。


「なあジンよぉ? 俺は正義の味方だった。そうだな?」

「途中まではな。最後にカツアゲ犯に堕ちて終わった」

「ちゃんと金は返すっつーの。人を勝手に犯罪者にすんな」

「でも永遠に借りておくんだろう?」

「失敬な奴だなぁ。これでも俺はお前の兄貴なんだぜ? もしかしてあれか、反抗期か!」

「そんなものとっくに過ぎてるよ」


 ジンがスプーンのつぼでカレーライスをすくう。


「なあユウヤ」

「ん?」

「あの三人に謝らせなくてよかったのか?」

「あの眼鏡クンのことが気になるのか?」


 ジンがこくっと頷く。


 ユウヤが喧嘩をする間、眼鏡をかけた同僚は頭を抱えてうずくまっていた。格好付けて去ったユウヤが戻った時も、どことなく怯えていた節がある。ジンがさりげなくフォローして事無きを得たものの、例の三人から謝罪は引き出せていない状況だ。


「確かに、俺が命じればあいつらは謝っただろうな」

「だったら、どうしてそうしなかったんだ?」

「俺が頭を下げさせて、謝罪された方はどう思うよ?」

「すっとするんじゃないか?」

「少しはな。だがあの三人はどうだ? 命じられるがままに頭を下げさせられて、その後はどうなる? 反省なんか絶対しないぜ? 眼鏡クンがもっとひどい目に遭うだけだ」


 力で屈服させられた者は、力による下克上を企てる。それは歴史が証明してきたことだ。


 武力では、心を屈服させることはできない。恐喝犯の胸の内には、ユウヤへの怒りが渦を巻いていることだろう。


「つまり、全部被害者のためだと?」

「おうよ。あいつらは俺には勝てねえ。となれば鬱憤の矛先はあの眼鏡クンか、別の弱者に向けられる。更生には時間が必要だ。それまで、矛先は俺に向けさせねえといけねえのよ」


 ユウヤが口をもぐもぐさせる。


 語る表情は至って真面目。先程までのおちゃらけた雰囲気はどこにもない。


 ユウヤは奔放ほんぽうな人間だ。弟のジンでも、時々兄のことが分からなくなる。


 それでも、時々ハッとするようなことを口にする。ジンがユウヤのおふざけに付き合うのは、多少なりとも尊敬できる面あってこそだ。


「その思考能力を少しでも常識に向ければ、もっと女性人気が出るだろうに」

「常識人の俺をつかまえて何言ってんだ」


 心外だ。そう言いたげにユウヤが麺をすする。


 ユウヤに足りないのは自覚だ。本人が常識人と自覚しているなら、外野が何を言っても意味がない。


 ジンはため息で口を突く。


「今日も疲れた顔してるねぇ」


 呼び掛けを受けて視線をずらす。


 二人の少女が歩み寄ってきた。茶のショートヘアと黒のおさげ。


 柿村マキと柿村リュミ。雰囲気は対照的だが、れっきとした姉妹だ。


「バカ言え、俺はいつも元気だぜ」

「ユウヤのことじゃないっての」

「ジンも元気だろ。な?」

「ノーコメントで」

 

 ジンは二人の手元に視線を落とす。

 お盆に皿。何をしに来たのかは明白だ。


「席開いてるけど座るか?」

「そうさせてもらうわ」

「お邪魔します」


 二人の少女が椅子に腰を下ろす。


「解代くんはカレーを頼んだんですね」

「ああ。リュミはシチューか」

「はい。新メニューって響きにつられちゃって」


 食堂のメニューはたびたび追加される。期間限定と称して、旬の食材を用いたメニューはたちまち売り切れる。


 ジンはラーメンやカレーを頼むことが多い。シチューの存在は知っていたが、あえてカレーを選択した。


 実物を目にしてみると、いい感じに仕上がっているように見えた。


「美味しそうだな」

「リュミから一口もらったら?」


 マキがニヤつく。


 食べ物の交換は見慣れた光景だ。周りを視線で薙げば似た光景がちらつく。


 特別なことじゃないものの、リュミにとってはそうでもないらしい。小さな顔がお風呂でのぼせたように紅潮する。


「そ、それって、かん――」


 マキが身を乗り出して腕を伸ばす。リュミの口にスプーンが突っ込まれた。


「美味しい?」

「ん……ありがとうお姉ちゃん」


 ジンは眉をひそめる。


 マキが食べさせたのは、リュミも頼んだ季節限定シチューだ。わざわざ交換する理由も、礼を告げるべき要素も見当たらない。


「なあマキ、今のって――」

「そういえば、あの奇妙な同好会ってどうなったの?」


 意味のない交換の真意を解く前に、マキがユウヤに問いを投げた。


 ユウヤの目がぱっと輝く。


「そうそう聞いてくれよ! ついに、ついに俺の肉弾同好会が動き出すんだ!」

「肉弾同好会ってあれでしょ? パンチしたりキックしたり、野蛮なやつ」

「野蛮じゃねえって。人類の技術と肉体美を活かした、クールで誇るべき文化だろーがよ」


 ユウヤがジェスチャーも交えて力説する。


 マキが渋い顔をしてジンを見る。


「本当にメンバーが集まったの?」

「一応はな」

「筋肉が見せたまぼろしじゃなくて?」

「どうやったら筋肉で幻術をかけられんだよ?」

「さあ?」

「お前が言い出したんじゃねえか」

「とにかくやっぱ無理だわ。信じらんない」

「そこまで言うなら、お前らも部室に来ればいいさ。お前らもすぐ肉弾のとりこになるだろうぜ」

「嫌よ、汗臭そうだし。むくつけき男どものいる場所に、リュミをつれていくわけにはいかないわ」

「おめぇ、難しい言葉知ってんのな」


 ユウヤが目をしばたかせる。

 次いで勢いよく腰を上げた。


「やっべ! むくつけきで思い出した! あいつらに部室の場所教えてねえ!」

「今さら気付いたのか」

「お前気付いてたのかよ⁉ 言えよ!」

「教えたら、あいつらが部室に来るじゃないか。個人的にはそれが嫌なんだよ」


 恐喝をしていた連中だ。好き好んで接するなどあり得ない。


 ユウヤにとっては舎弟でも、ジンにとっては違う。血のつながった兄でも弟でもないのだ。疎みこそすれ、歓迎する気持ちは皆無だ。


 あくまでジンの都合。会長たるユウヤを止めることは叶わない。


「こうしちゃいらんねえ、探してくる! 


 ユウヤがラーメンをすすってほおばり、お盆を握ってテーブルから離れる。容器やお盆を片付けて疾風のごとく食堂を出ていった。


「相変わらずね、あいつ」


 マキが呆れ、リュミがくすくすと笑い声を上げる。


 訓練生の時から、三人でユウヤに振り回されてきた。辟易へきえきすることもあるが、次は何をやらかすのか楽しみにする自分もいる。


 そういう意味では、ジンはすでに盲目になっているのかもしれない。


「リュミ、リュミ」


 マキが手をわちゃわちゃさせる。


「何をしているんだ?」

「マリオネットの練習」

「そんな趣味があったのか」


 マリオネット。糸で操られる人形を示す言葉だ。練習で名前を呼んだからには、それは人形の名前に違いない。


 マキはリュミと告げた。人形に妹の名前を付けるなんて、中々にファンキーな生き様だ。姉妹仲は良好と思っていたが、二人の間で何かがあったのかもしれない。


「と、解代くん、よかったら、どうぞっ!」


 リュミがスプーンを差し出す。先端のくぼみには、シチューのソースと野菜が乗っかっている。


 味に興味がわいた手前、ジンに断る理由はない。


「ありがとう。皿の隅に置いてくれ」

「あ……はい」


 リュミがスプーンを逆さにする。くぼみに入っていたシチューがぽとっと落ちる。


 視線を感じて顔を上げると、マキがじとっとした目を向けていた。


「ジン、あんたさぁ」

「何だ?」

「いや、何でもない」


 マキが自身のシチューをスプーンで掬う。


 ジンは首を傾げつつも、昼食の摂取を再開した。

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