第31話 いや……だ
ふくらはぎからの流血は十分ほどで収まった。薬品で消毒し、清潔なガーゼと包帯で患部を覆う。
「ありがとう、ジンくん……」
脂汗で濡れた顔が力なく微笑む。血が止まっても痛いのだろう。
弾の想定対象は無人兵器。頑強な装甲を貫く徹甲弾だ。本来人に向けて撃つ弾じゃない。細い足首に当たっていたら、そこから下が無くなってもおかしくなかった。
「ごめんね。へま、しちゃった……」
足首に当たらなかったから幸運だなんて、そんな気休めを吐く気にはなれない。工作員の少女は告げていた。車だけでは人類軍の拠点までたどり着けないと。
これはミカナにも伝えてある。負傷した脚で拠点までたどり着けるのかと、恋人の胸中でも大きな不安が渦巻いているに違いない。
「あの状況だ、仕方ないさ」
俺はミカナを安心させるべく口角を上げる。何も問題はない。ミカナが歩けなくなったら俺がおぶっていくだけだ。
見捨てない、絶対に。
例え、元同僚に実弾を発射することになろうとも。
「俺が見張るから、ミカナはしばらく横になっててくれ」
「うん。そうさせて、もらうね」
ミカナがまぶたを閉じる。
俺は運転席に戻る。
車は軍用だ。地形情報をとらえ、でこぼこした森の地面でも前進する。
進む道は天然物。でこぼこな地面に沿って、車体がぐわんぐわんと揺れる。ミカナが顔をしかめても車を停めるわけにはいかない。追っ手に追い付かれたら事だし、道を設定したのは工作員の少女だ。下手にいじると目的地をロストする危険がある。
俺は振り返って後方を確認する。
追っ手は見えない。不意打ち気味な脱出劇だっただけに、追跡の準備に手間取っているのだろう。
楽観視はできない。体力の劣るツムギに、脚を怪我したミカナ。徒歩での移動には多大な時間を要する。追い付かれるのは時間の問題だ。
「ツムギ。ママ一人で見張りは辛いだろうから、ママの手伝いをしてほしい。夜中に起きてもらうことになるけど、いいか?」
小さい顔がこくっと揺れる。あどけない顔が強張っている。子供ながらに、ただならぬ事態を感じ取っているようだ。
「ママはだいじょうぶ?」
大きな瞳が揺れる。
ツムギは年齢にしては聡い。下手な嘘はすぐに見抜かれる。
かといって上手い言い訳が浮かぶわけでもない。俺は顔に微笑みを貼り付ける。
「大丈夫だよ。ただ傷が痛むみたいだから、もしもの時は支えてあげてくれ」
「うん」
「いい子だ」
午前中は俺一人で見張る。日が落ちてからは二人に任せて睡眠を取る。
起きて見張り、寝て休息。
朝を二回繰り返した。燃料メーターが底を尽き、車体がピタッと停止する。
「これからは徒歩だ。忘れ物はないか?」
二人が首を縦に振る。
俺はドアを開ける。嗅ぎ慣れた、されど冷たい空気が車内に雪崩れ込む。靴裏越しに土を感じつつ、車内にあった携帯端末の電源を入れる。
長方形の画面に案内図が浮かぶ。進むべき方角を確認し、端末を節電モードにしてポーチに収納する。
「ミカナ、歩けそうか?」
包帯に覆われた脚がゆっくりと地面に落ちる。おそるおそると言った様子でミカナが腰を浮かせる。
強張っていた表情が弛緩した。
「うん、何とか歩けそう」
「ペースは合わせる。サポートもするから焦らずに行こう」
「ツムギもサポート? する!」
「ありがとう。カイくん、ツムギちゃん」
端正な顔に微笑が浮かぶ。車に乗り込んで以来の自然な笑顔だ。
俺は先導して歩を進める。たびたび端末を取り出して進行方向を微調整する。
進みは遅い。
ミカナの歩みに問題はない。原因は地形にある。土の地面はデコボコな上、立ち並ぶ樹木が邪魔でジグザグに歩かなければならない。
いついかなる時も、最短は直線ルートと相場が決まっている。直線から逸れれば逸れるほど目的地が遠ざかる。
深い茂みは迂回。どうしても避けられない地点は鎌を振るい、ミカナが転ばないように雑草を根元まで刈り取る。
その作業にも時間を取られる。どうしようもないと分かっていても焦りが募る。
一日中動いてはいられない。光源のない森の中。日が落ちると辺り一帯は真っ暗だ。転倒のリスクが増大するし、骨を折ったらそれこそ取り返しが付かない。
俺はツムギと協力して簡易テントを張り、三角形の中で一晩を過ごす。
食べ、飲み、歩く。
途中小休憩を挟んでまた歩く。少しでも荷物を軽くするために使用済みの道具は茂みに隠す。
物資の軽量化に反比例して疲労が蓄積する。テントでの睡眠効率はたかが知れる。追っ手が迫る不安と恐怖で、ただでさえ低い睡眠の質が落ちる。休んでも疲れが取れない悪循環だ。
悪いことが続いた。傷が深かったこともあって、歩行の負荷で傷が開いた。
歩けば汗をかく。予備のあるガーゼや包帯はともかく、綺麗な水場や飲み水は有限だ。傷口を清潔にするにも限界があった。
脚の傷が
打開策は浮かばない。胸の奥で色んな感情がごっちゃになって渦を巻く。ツムギの手前、焦燥を表に出さないように努めた。ツムギがいなかったらパニックに陥っていたかもしれない。
「はぁ、はぁ……っ」
最初に限界を迎えたのはミカナだった。手から杖替わりの太い枝が離れ、華奢な体が前に傾く。
「ミカナッ⁉」
俺はとっさに身を投げる。ミカナと地面の間に体を入れ、胸筋と腕で恋人の体を受け止める。
「ミカナ! ミカナっ!」
名前を呼んでも反応がない。口が弱々しく動くだけだ。
歩ける状態じゃない。俺はツムギに視線を振る。
「ツムギ、ここで休憩だ」
「……うん」
ツムギも反応が鈍い。潰れる一歩手前といった様子だ。小さな体がぺたんと尻もちをつき、木の幹に背中を預ける。
俺はミカナの容態を確認する。
息が荒い。顔面は蒼白で意識が
「敗血症じゃないだろうな……」
病名を口にして、胸がきゅっと締め付けられる。
過呼吸気味の呼吸。異常に高い体温。青白い顔。いずれも敗血症の症状として挙げられる。本当に発症していたらミカナの命が危ない。すぐにでも治療が必要な容態だ。
しかしここは森の中。近くに病院はない。人類軍の拠点までは距離がある。走って運び込むのは現実的じゃない。
「この靴跡、新しいぞ!」
「っ⁉」
バッと振り返る。
そこにあるのは土から伸びる木々。人影は見えないが、確かに声が聞こえた。それほど遠くないところまで来ている。
俺はミカナとツムギに視線を戻す。
すぐにでも移動が必要な状況だけど、二人はぐったりとしている。今にも意識を失いそうだ。
逃げられない。
「どこに、どこに隠れれば……」
胸の底から頭頂まで突き抜けるような焦燥。俺は大きく首を振って物陰を探す。
目に付くのは樹木の幹。背を付けて隠れることもできなくはないが、衰弱した二人では相手が通り過ぎる前に崩れ落ちかねない。
そもそも追っ手は靴跡が新しいと言っていた。靴跡が途絶えれば俺達が隠れたことに勘付く。
逃げるのは駄目。隠れるのも駄目。
残された選択肢は一つしかない。
「やるしか……ないのか?」
ドクンと左胸の奧が鼓動を打つ。全身に血を送り出す音がやたらと大きく聞こえる。
追っ手は準備をして追ってきたはずだ。車にタンクを積めば、徒歩での移動を最低限に抑えられる。荷物を軽量化する必要がない分、装備も良質な物を揃えられる。
呼び掛けの声から察するに、追っ手は複数人で動いている。まともに撃ち合っては勝ち目がない。戦うなら不意打ち。それも一撃必殺の武器が望ましい。
それを為せるのは実弾。
それはつまり、元同僚を手に掛けるということで――。
「ジン……くん」
俺は反射的に振り返る。
「ミカナ! 話せるのか⁉」
「うん。ちょっと休んだ、から」
力ない微笑みが浮かぶ。風が吹けば飛んで行きそうなほどに儚い。
それも数瞬のこと。血の気が引いた顔から笑みが消える。先程までの弱々しさとは対照的に、まなざしに真剣な光が宿る。
「ジンくん。お願いが、あるの」
「何だ? 何をすればいい?」
「ツムギちゃんと、逃げて」
頭の中が真っ白になった。
返すべき言葉が浮かばず、口元が勝手に弧を描く。
「な、何を言ってるんだ? こんな時に冗談は――」
「無理、だよ。もう歩けないの。ツムギちゃんだけなら、ジンくんがおんぶすれば……」
逃げられる。俺もそう思う。
追っ手はミカナを放置できない。必ず足を止めて情報を引き出そうとする。ミカナはミカナで、俺達を逃がそうと会話を長引かせるはずだ。追っ手をまく時間は稼げるかもしれない。
その代償に、ミカナの命は確実に失われる。
「いや……だ」
声が情けなく揺れた。無意識に拳をぎゅぅぅっと角張る。
動けないミカナを
分かってはいる、けど。
「ジン、くん?」
「置いていけるわけ、ないだろうがッ‼」
俺が納得できるかどうかは別の話だ。
もはや迷いはない。ホルスターから二丁のハンドガンを引き抜く。ゴム弾入りの弾倉を抜いて重力に委ね、落下した弾倉の代わりに実弾を詰めたマガジンをセットする。銃を殺し特化にカスタムした。
「ま、待って! 戻って、ジンくんっ!」
呼び止める声には耳を貸さない。俺は追っ手がいるであろう方角へと靴先を向けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます