第21話 告白


「あー痛ってぇ……」


 廊下を踏み鳴らして顔をしかめる。ヒリヒリする手を忌々しくにらむ。


 決闘は俺の勝利で幕を閉じた。以降玖城さんが嫌がらせを受けることはない。散々レオスを殴り付けたんだ、周りの連中も自重することだろう。


 それはそれ。レオスのプロテクターを殴り続けたことで、俺の両手は大変なことになっている。抉れた皮膚からの流血が止まる頃には、ハンカチが血まみれになっていた。今も見た目は中々にグロい。


 誰にも会いませんように。切に願いながら保健室へと歩を進める。


「解代くん」


 通った声が静かな廊下を駆け巡った。廊下の突き当たりからルームメイトが現れ、俺はとっさに背筋を伸ばす。


「玖城、さん」


 バツが悪くなって目を逸らす。

 

 決闘は俺の独断だ。玖城さんには相談していない。事が大きくなったことで迷惑を掛けたかもしれない。


 自覚はある。俺はいささかやりすぎた。手が真っ赤になるまで殴るなど、ホラー映画顔負けの所業だ。

 玖城さんに怖がられていないだろうか? 不安が胸中で渦を巻く。


 そっと視線を戻すと、華奢な体が身を翻す。

 見限られた。悟って目を伏せる。


「医務室に行くんでしょう? 医療ロボットは訓練場の方に向かったみたいだし、私が処置してあげる」


 俺はぽかんとして立ち尽くす。


 ルームメイトの背中が遠ざかる。間隔が空く焦りに駆られて、揺れる白いマントを駆け足で追う。見失ったら縁が千切れてしまう、そんな予感があった。


 白い手が医務室のドアを開ける。

 遅れて入った室内には誰もいない。玖城さんが告げた通り、部屋の担当者は留守のようだ。


 玖城さんが救急箱を開ける。自由に使えるボックスから清潔なガーゼと消毒液を取り出す。


「座って」


 命じられるがまま椅子に腰を下ろす。

 玖城さんが円状の椅子を持ってきて座る。


「一応言っておくけどみるよ? 怪我の具合からしてかなり。いえ、もの凄く」

「覚悟してる。ひと思いにやってくれ」


 おそるおそる手を前に出す。細い指が消毒液入りの容器を圧迫し、液体が患部に付着する。


「いぃぃっタッ⁉」


 悲鳴が口を突いた。

 ピリッとどころじゃない。ギュワッ! と激しい何かが駆け巡って意識が漂白された。


「痛いって言ったでしょう。我慢して」


 真顔で言われては従う他ない。余計なことを言って愛想を尽かされるのが何よりも恐ろしい。


 消毒が続行される。処置が進むたびに顔をしかめ、目元に熱いものが込み上げる。

 終わる頃にはへとへとになっていた。


「解代くん、どうして決闘なんてしたの?」


 繊細な手が道具を救急箱に収める。

 俺は端正な横顔を盗み見て、ぼそっと告げる。


「うわさの発生源があいつだったからだよ」

「うわさって、私達の関係を邪推したアレのこと?」

「ああ」

「そっか……そうなんだ」


 室内が沈黙で満たされた。

 気まずい。沈んだ空気に耐えかねて逃げるように腰を浮かす。


「発生源を叩くために決闘するなんて、ずいぶん大胆な行動をしたのね」


 治療のお礼を告げようとした時だった。玖城さんに話し掛けられ、上げようとした腰を落ち着かせる。


「確かに大胆ではあったな。特権を一回分使っちゃったし」


 形のいい眉が跳ね上がる。


「特権まで使ったの? どうしてそこまで」


 問いただすように見据えられた。

 逃げようにも逃げられず、気恥ずかしさをこらえて口を開く。


「嫌だったんだ。あいつらに、俺の居場所を壊されたくなかった」

「それって、私達との生活を続けたかったってこと?」

「ああ、そうだよ」


 投げやりに言い放ってそっぽを向く。偽らざる本心だけど、玖城さんに告げて怖くなった。


 共同生活はあくまで任務。俺達が好き合って形成されたものじゃない。同僚が告げていた通りだ。男女が一つ屋根の下というのはどうやっても邪推される。


 そんな生活を望んで、玖城さんに気持ち悪いと思われなかっただろうか。膝の上に視線を落とし、ぎゅっと握り拳を作る。


「……解代くんは凄いね。私には、できなかったな」


 そっと視線を上げて、呼吸を忘れて目を見張る。

 視線の先には、心を締め付けられるような笑顔があった。


「……誰かに、何かされたのか?」


 無意識に声が低くなった。鎮火した心の薪が再発火しそうになる。

 ただならぬ空気を感じたのか、玖城さんが慌てて髪を振り乱す。


「ううん、何もされてない。むしろ決闘が終わってから謝られたくらいだよ。皆解代くんが怖かったんだね」


 玖城さんが苦々しく身を震わせる。苦笑いは秒と続かず、再び整った顔立ちが陰る。


「私ね。皆に解代くんとの関係を茶化された時、何も言い返せなかったの。気を悪くするかもしれないけど、恥ずかしいって思っちゃった。今の生活は好きなのに、一度おかしいって思っちゃったら、どうにも……ならなくて」


 玖城さんの目元に滴が浮かぶ。透明なそれが、やわらかそうな頬を伝って軌跡を描く。

 涙に目を奪われる中、膝の上で繊細な指がぎゅっと丸められる。


「悔しかった。それ以上に、自分が情けなくて仕方なかったの。解代くんは決闘までもちかけたのに、私は逃げることしかできなかった。それどころか、解代くんとツムギちゃんから距離を置かなきゃって考えた。私の好きって気持ちはこの程度だったんだって、そう思ったら、私……っ」


 声が震えて裏返った。整った顔立ちが悲痛にゆがむ。涙とともに紡がれるのは言葉の刃。玖城さんは自分の言葉で自分を傷付けている。


 玖城さんは俺と同じ境遇にあった。玖城さんが逃げる選択をした一方で、俺は独り戦った。


 逃げた者と戦った者。どちらが綺麗に見えるかなんて日の目を見るより明らかだ。比較しやすい立場だけに、その事実が玖城さんを苦しめている。


 悟って衝動的に身を乗り出す。中庭での事故とは違う。今度は確固たる意志をもって震える体を抱き締める。


「解代、くん?」


 戸惑い混じりの問い掛けを受けて、俺は諭すように優しく語り掛ける。


「君は情けなくなんてない。悩んで当然なんだよ。だってそうだろう? 恋人どころか、友人すらいない俺が父親をやってるんだ。誰がどう見たって、俺達の関係は異常だよ。少なくとも普通じゃない」


 俺もずっと考えていた。玖城さんやツムギとの生活は心地いい。そう思えば思うほど、今の関係がいびつなものだと認識せざるを得なかった。ツムギを騙しての共同生活。それはただの家族ごっこじゃないのか? 二人と仲を深めるにつれて、その違和感はどんどん膨れ上がっていった。

 

 心は誤魔化せない。どう繕っても、二人との関係は『普通』じゃない。


「そう、だよね。異常だよね。私との生活……嫌だったよね」


 玖城さんが弱々しく笑う。

 俺はブンブンとかぶりを振る。


「そんなわけない! 最高の日々だった! 君と触れ合うまで、俺は孤独に生きて死ぬつもりで生きていたんだ。こんなこと、今じゃとても考えられない。いつもガン無視してきた相手を、泣くまでぶん殴るくらいには頭にきたんだ。それは行動で証明できたと思うんだけど」

「うん、モニター越しに見てたよ。私と違って、解代くんは本気で怒ってくれた。恥じらって行動をためらったりしなかった。本当に凄いよ」

「怒りが羞恥しゅうちを上回っただけさ。本気だから恥ずかしい。怖いから踏み出せないんだ。きっと、気持ちってそういうものなんだよ」

「解代くんも恥ずかしかったの?」


 俺は腕を伸ばして距離を空ける。なまめかしく濡れる大きな目が、意外そうに見開かれている。


 俺は苦々しく口角を上げる。


「何だ、俺に恥じらいはないと思ってたのか?」

「そんなことは思ってない、けど」

「それを聞いて安心したよ」


 本気だから恥ずかしい。たった今自分の口で告げたばかりだ。これからの言葉を冗談の類と思われては困る。


 俺は深く空気を吸い込む。

 左胸の奧がうるさい。告げるのが怖い。泉のごとく湧き上がる怯えを抑えつつ、あごを引いて栗色の瞳を見据える。


「俺は、これからも玖城さんと一緒にいたい」

「それは、うん。私も今の生活を続けたいって思ってる」

「共同生活もそうだけど、それだけじゃない。俺は、男性として君のことを愛しているんだ」

「……っ!」


 端正な顔が見る見るうちに紅潮した。逃げ道を探すように栗色の瞳が右往左往する。


 俺は視線を逸らさない。走り去りたい気持ちを抑えて、好きな女性の目を真正面から見つめる。


 おずおずと、ブラウンの瞳が戻ってきた。


「私、解代くんみたいに怒れなかったよ?」

「でも君は泣いてくれた」

「お昼寝だって邪魔したよ?」

「あの時は懲罰に付き合ってくれてありがとう」

「下着姿を見られた時は枕を投げたし、料理対決ではちょっとズルいことをしたよ? そんな私でも……いいの?」


 俺は力強く首を縦に振る。


「もちろん。他の誰でもない、玖城さんがいいんだ。君の返事を、聞かせてくれないか?」

「……うん」


 桃色のくちびるが曲線を描く。

 数日ぶりの、向日葵のような笑顔が花開く。


「私も解代くんが好き。私を、あなたの恋人にしてください」

「ああ。これからよろしく、玖城さん」


 手を白い頬に添える。小さな顔がぴくっと跳ねた。まぶたが落ちて長いまつ毛が重なる。

 

 俺はそっと口を近付ける。二人きりの医務室で契りを交わした。

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