第13話 偽物でも
ツムギちゃんとは血が繋がっていない。それは私と解代くんが意図して伏せた情報だ。
両親として振舞うのは上官からの命令。他の人員にも話が通されている。不都合なことはしないように伝達されたと友人の口から聞いている。
レオスの発言は明らかに上官の言明を破っている。
「グリモアードさん、やめて」
言明を破った同僚を案じたわけじゃない。胸の奥から噴き上がる焦燥感に駆られての発言だ。これ以上レオスの発言を許すと、私達の何かが終わる気がした。
「やめねぇよ、見てらんねーんだって! いい加減教えてやれよ。お前らとこいつは、何の関係もない赤の他人だってさぁ!」
「ちがうもん!」
ツムギちゃんがもがく。筋力の差は絶望的。レオスの手を振り払うには至らない。
レオスがぬっと顔を近付ける。
「おいバカガキ。本当はお前も分かってんだろ? 目や耳を患ってたって話だが、耳は多少聞こえてたんだろうが。呼び掛ける声とか、笑い声とか、靴音や匂いとか、本物の両親と玖城達じゃ全然違うだろうがよォッ!」
「いやぁぁぁぁぁぁっ!」
ツムギちゃんが左手で耳を覆う。本当は右の耳も抑えたかったのだろう。レオスに取られている腕が微かに揺れる。
認めろ!
お前達は偽物だ!
現実を見ろ!
心無いそれらの言葉を振り払うように小さい体が暴れる。ツムギちゃんが両目をぎゅっとつぶり、左腕をやみくもに振り回す。
「痛ッ⁉」
レオスの手に赤い筋が走った。傷口からじわっと赤い液体がにじむ。レオスがひるんだことでツムギちゃんの腕が解放された。
小さな顔がハッとする。
「あ、あの……」
ツムギちゃんがおどおどしつつもレオスに向き直る。今にも謝罪の言葉を発しそうな雰囲気だ。
害された相手への謝罪。ミカナの眼前にいる同僚にはできない芸当だ。目と耳が不自由でも、本当の両親から大切に育てられてきたのだろう。微笑ましい光景を前に意図せず口元が緩む。
「……ひっ⁉」
謝罪の言葉が悲鳴に上書きされた。私は異変に気付いてツムギちゃんから視線を上げる。
レオスが鬼の形相でわなわなと身を震わせていた。
「お前、俺の手に……傷をッ。クソガキがァァァァッ!」
「きゃぁぁぁぁぁぁっ⁉」
悲鳴が廊下を駆け巡った。
小さな子供の危機。一部始終を見ている少年少女は動かない。取り巻きも、外野も、氷像と化したように直立不動を貫く。レオスはトップカーストグループの中心人物。下手に動いて目を付けられたくないのだろう。
私はレオスとツムギちゃんの間に体を滑り込ませる。筋肉質の腕は止まらない。剛拳が空気をうならせて迫る。
単調な大ぶり。心得が有れば対処は容易い。私は左の手甲で手首の側面をたたき、軌道を逸らしてから右手を取ろうと試みる。
もう片方の剛腕に手を弾かれた。互いに飛びのいて仕切り直す。
「何だ、俺とやろうってのか? 玖城ッ!」
「グリモアードさん、ツムギちゃんに謝って」
威圧には応じない。鋭い視線を真っ向から迎え撃つ。
レオスの眉間にしわが寄る。
「相変わらず生意気な物言いだな。ちょうどいい、前々から俺の上にいるお前が気に食わなかったんだ。これを機に屈服させてやるぞ、玖城ッ!」
レオスがダンッ! と床を踏み鳴らす。間にあった距離が急速に縮まる。
体格にものを言わせたタックル。まともに受ければ押し倒される事態は避けられない。下卑た笑みを見るに、ろくでもないことを企んでいるのは明白だ。
私はすっと左脚を引く。肉弾に両手を添え、引いた脚の膝を突き出す。
「ぐぶ、っ」
苦悶の声をもらしたのはレオスだ。突き出した膝が頬にめり込み、筋肉質の体が廊下に伏す。隆々とした両腕に力がこめられるものの、立ち上がるには至らない。同僚が再び床に崩れ落ちる。
私は小さく鼻を鳴らす。
「立ち上がれないわよ? 脳を揺らしたんだもの。しばらくそこに這いつくばってなさい。行こう、ツムギちゃん」
ツムギちゃんの手を取り、呆然とする取り巻きの横をすれ違う。
「ま……てッ」
「待たない」
「ふざ、けるなッ。俺はまだ、負けてない……ッ」
「そう、勝手にすれば?」
廊下の角を曲がる。
自然と歩調が早まった。十分に距離を取ったと確信してから安堵のため息を突く。ツムギちゃんの手前平静を装っていたけど、心臓はうるさいくらいにバクバクだ。
上手く膝蹴りで脳を揺らせたからよかった。あれで無力化に失敗していたら、体格で劣る私に勝ち目はなかった。傍観者しかいないあの状況で組み伏せられていたら、一体どんな目に遭わされたか分かったものじゃない。想像するだけで鳥肌が立つ。
「ママは……ママじゃ、ないの?」
反射的に足を止める。問い掛けの声は不安に揺れていた。
共同生活を始めてから一か月以上が過ぎている。ツムギちゃんは頭のいい子だ。生活する内に薄々違和感を覚えていたのだろう。その不自然さを踏まえてでも、両親としてすがらなければ精神を保てなかったのかもしれない。
誤魔化すべきか、正直に話すべきか。
私は悩んだ末に腰を落とす。ツムギちゃんの両肩にそっと手を置き、真正面から大きな目を見据える。
「ツムギちゃん、落ち着いて聞いてくれる?」
緊張した面持ちが縦に揺れる。
深く廊下の空気を吸い込む。先程とは違う意味で鼓動が早まる。
下手をすれば、今日ここで大事な何かが千切れる。それを悟って恐怖と怯えにまとわりつかれた。衝動的に『やっぱり何でもない』と発しそうになる。
それでもここで誤魔化すのは違う。偽物でも親だ。ツムギちゃんの母を担う者としての矜持がそれを許さない。
私は意を決して口を開く。
「ツムギちゃんの言う通りだよ。私と解代くんは、あなたの本当の親じゃない」
小さな指がぎゅっと丸められた。あどけない顔がうつむき、桃色のくちびるが引き結ばれる。
「ツムギ、いたら迷惑?」
弱々しい問い掛けが廊下に溶ける。私はいたたまれなくなって両腕を下げ、蝶を囲うように小さな手を優しく包む。
ツムギちゃんが顔を上げる。目が合ったのを機に、私はふっと微笑みかける。
「迷惑なんかじゃないよ。確かに、私達には血の繋がりがない。でもね、私はツムギちゃんと一緒に過ごせて楽しいよ。ツムギちゃんは違った? 私達との日々は、楽しくなかった?」
結われた髪がブンブンと左右に揺れる。力強い否定を前にして口角が上がる。
「そっか、よかった」
私は言葉を続けようとして、喉がつっかえる感覚に苛まれた。
言え、言え! 自分に言い聞かせて口を開く。
「ツムギちゃんは、本当のパパとママに会いたい?」
言葉無き頷きが返ってきた。悔しさと寂しさをこらえて微笑に努める。
「実はね、ツムギちゃんのパパとママはまだ見つかってないの。手掛かりはないし、正直見つける保証もできない。でも居場所が分かったら真っ先にツムギちゃんに知らせるよ。だからそれまでは、私達をあなたの両親でいさせてくれないかな?」
「うん。いてほしい」
逡巡した様子は見られない。口ごもりもしなかった。本心からと思われる言葉を聞いて、私は思わず飛び跳ねそうになった。
「ありがとう。ツムギちゃんの寂しさを埋められるように、私達頑張るね」
両腕を伸ばして小さな体をぎゅっと抱きしめる。
細い腕が背中に回る。二人でしばらくそうしていた。
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