死んでも継なげ

第12話 仮初の母

「今日はパパが帰ってくる日だよね？」

「うん。お日様が沈む頃かな」

　私は玄関を出て廊下に靴裏を付ける。アナログの鍵でドアをロックし、ツムギちゃんに向けて腕を伸ばす。差し出した手に小さな腕が伸びる。

　小さい子供は興味本位で走る。視線だけで見張るのは難しいため、手を繋ぐことは危機回避の有効な手段として知られる。

　隊舎内は同僚が多い。手を繋いで歩くところを見られるのはきまりが悪いけど、ツムギちゃんが怪我をするよりはいい。周囲の茶化しを受け流す毎日を送っている。

「忘れ物はない？」

「うんっ！」

　小さな顔が元気よく縦に揺れる。まるでお日様のような笑顔。作戦や訓練の前は気持ちが落ち込むけど、この笑顔を見ると沈みがちな心が浮き上がる。

　浮上した気分に身を任せて口角を上げる。

「よし。しゅっぱーつ！」

「おー！」

　二人で廊下に靴音を響かせる。

　ツムギちゃんと一緒にいると不思議なもので、たびたび童心（どうしん）に戻った心持ちになる。精神年齢を下げたような接し方も最初は抵抗があったけど、今では人目がなければ平然と行える。

　廊下を進むにつれて、視界に同僚の姿がちらほら点在する。

　視界内でひらひらと手が揺れる。

「玖城さん、ツムギちゃん、おはよー」

「おはよう」

「おはようございます」

　ツムギちゃんがぺこりと頭を下げる。

　廊下に黄色（きいろ）い悲鳴が上がった。

「今日もツムギちゃん可愛いね！」

「今日はポニーテールなの？　似合ってるーっ！」

　行き交う女子が足を止めて声を掛ける。この風景も今や日常だ。小動物を愛（め）でるような和やかさが無機質な廊下を和ませる。

　ツムギちゃんが大きな目をぱちくりさせる。

「ママにはお友だちがたくさんいるんだね。パパと歩いてる時はだれも話しかけてこないのに」

「そうなの？」

「うん」

　義理の娘がこくっと頷く。

　ツムギちゃんは話題のタネだ。一緒に歩いて注目されない方が珍しい。そのツムギちゃんを引き連れて歩いても声を掛けられないなんて、そんなことがあり得るのだろうか。　

　考えて、一つの可能性に思い至った。

　ルームメイトは以前から一人でいることが多かった。あれが理由あっての状態なら、ツムギちゃんの存在をもってしても周りから敬遠されていることになる。

　それ程までの腫（は）れ物扱い。よほどの要因があるはずだけど、その手の話を耳にしたことはない。おそらくこの施設内において、私とツムギちゃんだけが知らない何かがあるんだ。

「パパ、もしかしてぼっちなの？」

　そんな言葉どこで覚えたんだろう。

　私は思考を止めて微笑を作る。

「分かんない。まだパパのお友だちに会ってないだけかもしれないよ？」

「いつか会える？」

「きっとね。それとツムギちゃん、パパにはお友だちがいないの？　なんて聞いちゃ駄目だからね？」

　細い首が傾（かし）げられる。

「駄目だったの？」

「……言っちゃったかぁ」

　苦笑するしかなかった、ツムギちゃんに問われて、ルームメイトはどんな表情を浮かべたのだろう。ツムギちゃんに対しては何かと見栄を張りたがる節があるし、胸中（きょうちゅう）はさぞ複雑だったに違いない。

　気の毒に思いつつも、少し気になって口を開く。

「パパは何か言ってた？」

「うん。パパのお兄ちゃんがいなくなって、そのきっかけになった人もいなくなって、パパがきらわれちゃったんだって」

「……え？」

　思考が漂白された。想像もしなかった内容だった。

　話を聞くに、きっかけは解代ユウヤが殉職（じゅんしょく）した事故で間違いない。流れ弾のきっかけになった人物が消えた。それに起因してルームメイトが周りから浮いた。私が知る経緯から一歩踏み込んだ内容だ。

　きっかけになった人が消えた。その言葉が意味するところは何だろう。

「あれ、玖城じゃん」

　無遠慮（ぶえんりょ）な声が和やかな空間にノイズを走らせた。点在する同僚を背景に、前方から五人の同僚が歩み寄る。

　先頭を歩くのは私もよく知る男子だ。長い金髪を揺らして偉そうにほくそ笑んでいる。レオス・グリモアード。たびたびルームメイトにちょっかいを出し、そのたびに無視される少年だ。

　私は顔に作り笑いを貼り付ける。

「おはよう、グリモアードさん」

「今日は一人か」

「ええ、解代くんは任務よ。夕方あたりに帰ってくるんじゃないかな」

　相づちはない。レオスの視線が私の胸部に落ち、次（つ）いで隣に向けられる。

　ツムギちゃんが怯（おび）えて私の背後に回り込んだ。腰元に腕を回し、隠れ見るように顔を出す。愛くるしいその仕草を見て、思わず小さな体を抱き締めたくなった。

　廊下に舌打ちが響き渡り、とろけかけた思考がリセットされる。

「無礼だな。何だこのガキ」

「ツムギちゃん。上官命令で預かっているの」

「そういやそんな伝達を受けてたな。それが例のガキか」

　レオスが足を前に出す。

　取り巻きが展開した。ツムギちゃんが息を呑んで私から離れる。

「おっと」

　取り巻きの一人がツムギちゃんの前に立ちはだかった。廊下の空気が急激に張り詰める。

　私は取り巻きを見渡して目を細める。

「グリモワードさん、これは何のつもり？」

「何のつもりでもねぇよ」

　レオスが歩み寄って無造作に腕を伸ばす。

「きゃっ⁉」

　ツムギちゃんの腕が引き寄せられ、小さな靴裏が一瞬床を離れた。肩に負荷が掛かる持ち上げ方だ。

　私は思わず目を見開く。

「やめて！　ツムギちゃんに乱暴しないで！」

「誰も乱暴なんかしてねぇだろうが。なぁ？」

　レオスがツムギちゃんにヘラヘラ笑いを向ける。目は針のごとく鋭利。ぱっと見て数人手に掛けていそうな顔だ。

　子供受けしないタイプの顔に加えて、あまりにも強引な所作。怖がらない子供はいない。

「やあっ！」

　ツムギちゃんが拘束から逃れようと腕を振り回す。

　小さな体が虚しく揺れるだけだ。岩のようにゴツゴツした腕は微動だにしない。

　私は踏み出しかけて、寸でのところで靴裏を床に押し付ける。

　下手に介入してレオスを興奮させるのはまずい。ツムギちゃんの小さな体なんて腕の一振りで吹っ飛んでしまう。

　最優先はツムギちゃんの身の安全。逸る気持ちを抑えて口を引き結ぶ。

「暴れんなクソガキ。人の顔見るなりビビりやがって。無礼だろうが、オレに」

「ツムギちゃんが嫌がってるじゃない！　手を離して！」

　二度目の舌打ちが返ってきた。レオスがわずらわしげに横目を向ける。

「玖城、お前いつまでこんなままごと続けてんだよ？」

「まま、ごと？」

　微かに胸の奥がうずいた。意図せず指をぎゅっと丸める。

　レオスが笑い混じりに振り向く。

「だってそうだろう？　このガキとお前らは血が繋がってないんだぜ？」

　嘲りを滲ませながら、同僚が秘め事を暴露した。