第8話 ツムギ


「パパ! ママ!」


 フリーズする俺達をよそに、女の子がてててと駆け出す。満面の笑みを携えて小さな腕を広げ、玖城さんの細い腰にひしっと抱き着く。


 俺は瞠目する。女の子が発した声に聞き覚えがあった。


「この子、あの小屋にいた女の子じゃないか⁉」

「えっ、嘘⁉」


 同僚の顔が戸惑いと驚愕で満たされる。


 女児の目の焦点は合っている。仮に同一人物なら、然るべき機関で目の治療を受けたことになる。現代の医療技術を用いれば完治は容易だ。失明や難聴程度はどうにでもなる。


 しかし費用の問題がある。孤児一人にそこまで尽力するのはコスト面で現実的じゃない。本来あり得ない厚遇だ。


「どうしたの? ママ」


 女の子に上目遣いを向けられ、玖城さんがぎこちない微笑を浮かべる。


「え、えーっと、ツムギちゃん? ママって言うのはその、人違いだと思うなーって」


 相手が小さい子供だけに、玖城さんも対応に困っている。人違いだと突き放せば楽なものを、自ら茨の道に踏み出した。


「違うのですか?」


 スーツ姿の女性が首を傾げた。 

 玖城さんがすっと顔を上げる。


「え、どう見ても違いますよね?」


 声色は氷のごとく冷たかった。

 驚くべき声色のギャップ。あまりの温度差に風邪を引きそうだ。他人事ながら背筋に冷たいものが走った。


「またまた。お二人はこの子のご両親なのでしょう?」


 さすがプロと言うべきか、三上と名乗った女性に動揺した様子は見られない。微笑すら湛えて場の空気を和ませに掛かった。


 ミカナがにこっと笑む。


「三上さん。あなたには私が何歳に見えます?」

「十六歳くらいかと」

「すごい! 当たってます。どうして私がこの子の母だと思ったんですか? おかしいと思いません? 常識的に考えて」

「いえ。こんな世の中ですし、早いうちにお子さんを設けるのは賢明でしょう。問題ないかと」


 三上さんが指を伸ばし、できる女性風に眼鏡をクイッと上げる。

 玖城さんの柳眉がピクっと跳ねる。


「ちょっと? どう見ても『ちょっと』なんてレベルじゃないですよね? 私十六って言いましたよ? 仮に母親なら、私はこの子を何歳で産んだことになるんですか?」

「えっと……十一歳! お若い!」

「そういう意味で言ったんじゃありませんッ!」

「な、なあ、玖城さん」

「なにっ⁉」


 キッ! と威圧され、俺は同僚をなだめるべく両手をかざす。


「とりあえずさ、子供の前だし落ち着こう。な?」

「…………」


 浜辺から引く波のごとく、玖城さんの表情から怒気が抜ける。栗色の瞳が落ちた先にはきょとんとした表情。幼い顔立ちが大きな目をぱちくりさせる。


 玖城さんが軽く指を丸め、口元に当ててこほんと咳払いする。


「とにかく、人違いです。他を当たってください」

「そう言われましても、こちらはお二人がご両親だとうかがっておりますので」

「ちょっと調べれば情報の真偽は分かりますよね? そちらの施設はどんな管理体制を取っているんですか?」

「やめろ玖城少尉。そこの女性に責はない」


 玖城さんがバッと振り向く。俺も手元に視線を落とす。

 

 いつの間にか眼前にホログラムウィンドウが現出している。通話相手は先程話した上官だ。真面目な顔で玖城さんに視線を送っている。


「少佐、クラッキングですか? できれば今後はやめていただきたいのですが」

「善処しよう。解代少尉、玖城少尉。両名廊下に出ろ。話がある」

「何なんですか、もう」


 俺は玖城さんと廊下の床を踏む。行われるのは内緒話。部外者に聞かせるわけにはいかない。三上さんとツムギを室内に招き入れ、入れ替わりざまに一枚のドアで隔離する。


「早速だが、諸君にはツムギなる少女の親代わりを担ってもらう」

「意味が分かりません」

「まぁ聞け。件の少女は目だけでなく、耳も多少患っていた。治療を終えて児童養護施設に入れたのだが、少女は親を求めて泣き止まないらしい。報告書を見るに、君達二人は小屋で両親と間違われたそうじゃないか。連れてきてみれば案の定だった」

「まさか、あの子を騙して両親を演じろと?」

「話が早いな。分かっているとは思うが、これは命令だ。返答はいかに?」


 俺は口を引き結ぶ。


 基本的に上官の命令は絶対だ。大事な作戦中に拒否すれば銃殺もあり得る。

 

 今回のケースは多少お目こぼしをもらえるかもしれないが、命令を拒否した兵士というレッテルが貼られる。以降の作戦遂行において、多大な障害になり得ると判断される。わざと生還が絶望的な任務を与えて消す、といったケースはかつて行われていた手法だ。俺達も他人事じゃない。


 玖城さんに横目を振る。緊張した小さな顔が縦に揺れる。

 こんなことで死地に追いやられるのは御免こうむりたい。玖城さんとの間で考えが一致した。


「一つだけ質問させてください。我々には預かり知らない事情がある、ということでよろしいんですね?」

「ああ、その通りだ」


 俺は右の眉に手刀を添える。


「了解いたしました。女児の両親を演じる役目、慎んで拝命いたします」

「うむ。賢明な部下を持って私は幸せ者だ。詳細については追って連絡する。近々アドバイザーも置くから、何かあればそちらに相談するように」


 では検討を祈る。上官の言葉を最後に通信が終了した。


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