第9話 父としてのプライド
玖城さんとツムギを交えた共同生活が始まった。
まずは部屋の分配に手を付けた。幸い部屋は大きい。リビングの他に個室も用意されている。それぞれ一部屋ずつ割り振って事なきを得た。
程なくして、ツムギが教育機関に通うことになった。
孤児が進む先は銃を握る道だけじゃない。必要とされる職業はごまんとある。戦時ゆえに兵士の需要は高いものの、兵士だけでは戦争が成り立たない。命令する指揮官はもちろん、武器や防具を作る製造業、予算のやりくりをする人材など、殺し合いをするだけでも多くの人手が必要になる。
ツムギには文民としての生き方が開けている。にもかかわらず俺達の部屋に住まい、別の建物で教育を施される。
理不尽な上官いわく、少年兵の俺達と同じ空間に住まわせることで軍人の視点を持つ文民を作る。いわば将来を見据えたプランニングとのことだ。
道理が通るような通らないような理屈はさておき、ツムギには才覚があった。当初はべんきょーわかんなーい! の一点張りだったが、三週間経た今ではクラスでトップの成績を誇る。学校側もツムギの学習速度には驚いていた。
特に電気工学には強い興味を示した。最近は一からパソコンを組み立てたらしい。視覚と聴覚の付与。ツムギがあるまじき厚遇を受けた理由を垣間見た気がした。
人材投資の的確さはさすがの一言だが、才を見出した手法については疑問が残る。
学力を図る手法は、対象となる人物に最低限の知識があることを前提とする。
ツムギのいた小屋は、お世辞にもいい環境ではなかった。そもそも視覚と聴覚に難があったのだ。当時は勉学どころか読み書きもできなかったに違いない。手術を終えたとして、そんな子供にいきなり知能テストをさせようと思うだろうか。
テストなんてするまでもなく、ツムギがギフテッドだと分かっていたのか。あるいは何らかの手段でツムギの才覚を突き止めたのか。俺達には知る由もない。
いずれにせよ。
「これ、あきたー」
目下の課題は、天才少女の舌をうならせることにあった。
「これ美味しくないか?」
「おいしくなーい」
ツムギが小さな顔を可愛らしく歪め、自身から遠ざけるように細長い袋を転がす。
中に入っているのは完全栄養食だ。マルスミート。通称『戦神マルスの指』。三回口の中に放り込むだけで、一日の活動に必要なエネルギーや栄養素を補給できる優れ物だ。
圧倒的利便性の代償か、このパワーバーの味は珍妙にして奇怪。甘い薬棒をかじる感覚が、食事という行為に疑問符を投げかける。
食事とは何ぞや? 俺はこの問い掛けを乗り越えて幸せになった。これからもこれ一本で生きていく。そう信じて疑わない。
共同生活ではそうもいかなかった。一緒に暮らすにあたって家事を分担することが求められた。食事の用意は当番制だ。一週間ごとに玖城さんと交代して食事を用意する義務がある。
同僚と二人で決めたルールは一週間も経たずに崩壊した。俺が惜しまずに『戦神マルスの指』を投入したからだ。玖城さんとツムギに渋い顔をされ、食事は各自別々に用意する体で落ち着いた。
ツムギは自身で食事を用意できない。玖城さんがいる時はともかく、訓練や作戦で部屋を空けるケースもある。今でこそダイニングルームにいるものの、玖城さんは作戦から帰宅したばかりの身。ツムギの食事は俺が用意して今に至る。
「解代くんは何か作れないの? パスタとか」
「作る必要はないだろう。これがあるんだから」
俺はパワーバーを指差す。ツムギがうへぇ、とピンクの舌を出した。玖城さんも呆れ混じりにかぶりを振る。
「それは料理じゃないよ」
「料理ってそんなに大事か? これを一日三回食べるだけでいいんだぞ? 楽で快適、完璧だ」
「解代くんには食事を楽しむ発想がないの?」
「ない。というか、食事って楽しむ必要あるのか?」
食事の意義は体作りだ。適度な栄養素を摂取し、戦うために必要な体を構築することにある。
栄養学はタンパク質やアミノ酸、亜鉛の適度な摂取など小難しい要素であふれる。専門家でもない俺が、ツムギの成長に適したメニューを一から作るのは困難だ。
『戦神マルスの指』をもってすれば小難しい思考はいらない。口を開き、バーを挿し入れて歯を上下させるだけでいい。ちょっとした満足感と引き換えに利便性を手放すなど、今の俺には想像もできない選択だ。
「料理は楽しいよ? たまにはやってみたら?」
「知ってるつもりだよ。以前は作ってたからな」
玖城さんが目を丸くする。
「そうなんだ? 何で作らなくなったの?」
「兄が殉職したからだよ」
玖城さんが口をつぐんだ。
ユウヤも戦神マルスの指を嫌っていた。俺が口にしようものなら手から叩き落とし、脳天に拳骨を降らせて説教を始めたものだ。
かといってユウヤに料理を任せるとゲテモノが出てきた。面倒でも、俺が一から勉強して料理をするしかなかった。
「不用意なことを聞いてごめんなさい。でもお兄さんが鬼籍に入ったからって、それは料理を止める理由にはならないんじゃない?」
「理由にはなるだろう。作る理由がないからな」
俺はマルスの指をかじる。薬味の棒を咀嚼しているとむっとした気配。栗色の瞳と目が合ったのを機に、端正な顔立ちが意地悪気に笑む。
「ははーん。さては解代くん、自分の料理に自信がないんだ?」
胸の奥に引っ掛かりを覚えた。
俺とて、最初から料理が上手だったわけじゃない。一から調べ、ユウヤにブーッと噴き出され、躍起になって改良に改良を重ねて上手くなった。技術と経験ありきの腕前。自信はそれこそ有り余っている。
このまま話を落ち着かせてはならない。腹の底から負けん気にも似た感情が込み上げる。
「待て。俺の料理は美味い」
「でも長らく作ってないんでしょう?」
「関係ないさ。料理は科学だ。作り方を検索して、決められた分量を守れば誰でも万人受けする料理を作れるんだよ」
それこそが料理の基本にして究極だ。多くの失敗を重ねて導き出した結論。そこに虚偽の類は欠片もない。
「だったらさ、私と勝負しようよ」
「勝負?」
「そう。私と解代くん、どっちの料理が美味しいのかツムギちゃんに判断してもらうの」
艶のあるくちびるが弧を描く。言うだけ言って逃げないわよね? そう言外に告げるような笑みだ。
いいぜ。
俺は反射的に応じかけて、寸でのところで口を閉じた。
「止めておこう。時間の無駄だからな」
こんな安い挑発に乗るのは子供だけだ。俺は十代後半に差し掛かっている。クールにいなしてやるのが大人というものだろう。
「……ふーん」
玖城さんが不満げに瞳をすぼめた。
「何だよ」
「別に。じゃあ私の不戦勝でいいね」
「よくない」
勝負から逃げたからと言って、俺の腕前が玖城さんに劣る証明にはならない。それとこれとは別の話だ。
ツムギが玖城さんの顔を見上げる。
「ママの方がお料理上手なの?」
「うん。そうだよー」
玖城さんが対ツムギ用スマイルをこしらえた。子供をあやすような優しい笑顔だが、俺には自分を煽っているようにしか見えない。
「こら、子供に嘘を付くな」
「嘘じゃないよ。ツムギちゃんは、私のお料理が美味しいこと知ってるよねー」
「うんっ!」
「でもそこにあるパパの料理は嫌いだよねー」
「うん。パパの料理はいつもまずいから」
元気のいい同意から一転、声のトーンが一気に下がった。
胸の奥にメラッとしたものが灯り、俺は口端を吊り上げる。
「……いいぜ、やってやろうじゃないか」
マルスの指は俺が料理したものではないが、ツムギは完全に玖城さんの味方だ。俺が懇切丁寧に説明しても、続く玖城さんの言葉で言いくるめられる。
義理でも娘。娘の前でいい恰好をしたくなるのは男の性。ツムギに誤解されたままではいられない。
端正な顔立ちがにやっと笑む。
「言質は取ったよ。逃げないでね?」
「望むところだ」
自身のやっすいプライドに負けて不敵に笑う。ツムギの手前敵意は抑えつつ、玖城さんと表面上は仲良く笑みを交わした。
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