第3話 昼寝は全てを解決する


「セカンド・マントの行使権限は一月に一回だぞ? 貴重な一回を、こんなくだらないことに使うつもりなのか?」

「くだらなくない。解代くんが怠けると周りのやる気も削がれるのよ。私もサボり魔の下だと思うと、自分が情けなくて仕方なくなるの」

「なるほど。君はプライドの奴隷なんだな」


 玖城ミカナは真面目な少女だ。誰よりも努力し、周囲と比べて足りない経験を知識や技術で補っている。転属をものともせず次席まで上り詰めた。


 俺はその努力家の上にいる。以前はともかく、今の俺は誰もが認める怠け者だ。そんな奴が首席なら、なるほど真面目ちゃんのプライドが許さないのも頷ける。


 俺は肩に腕を伸ばしてファースト・マントを外す。かつては執着した物だが、今となっては所持することに意味もない。黒いそれを軽くたたみ、顔に微笑を貼り付けて差し出す。 


「おめでとう。今日から君がナンバーワンだ」


 ファースト・マントは首席の証。持ち歩けば優秀な兵士だと一目置かれる。教官に見つかれば没収されるが、それまでは首席の気分を味わえる。次席の真面目ちゃんも本望に違いない。


「…………」


 整った顔立ちに笑顔や呆れの情は浮かばなかった。

 あるのは侮蔑。これ以上ないほどの失望。例えるならゴミを見るような目をしていた。


「……おやすみ」

 

 逃げるように上体を倒す。

 背中で地面を打ち据える前に、両手首をガシッと握られた。


「もういい。寝言は射撃場で聞く」


 もはや説得のせの字もない。次席が脚に力を込める。俺の腕を引っ張って後退を始めた。


「おわっ⁉ 何をする、やめるんだ!」


 バランスを崩して倒れそうになった。とっさに靴の踵を地面に押し付けて体勢を整える。雑草が抉れ、緑の絨毯に土色の線が引かれる。


 脚をつっかえ棒にして抵抗しているのに、次席の動きは止まらない。


「いいから! 行く、のっ!」


 靴裏が歩行スペースに接触して乾いた音を鳴らす。摩擦音がむなしく響くばかりで、どれだけ踵を押し付けても体の停止には至らない。


「ぐ、その体のどこにそんな力が……ッ!」


 俺は息を呑んだ。反射的にくわっ! と目を見開く。

 眼福である。スカートから形のいい太ももが露出していた。


 引きずられる俺の視点は低い。

 自身より大きな体を引っ張るべく、同僚の背中は少し反っている。

 これら二つの要因が重なり、本来見えないものを観測するチャンスを得た。


 形のいい脚に力が込められるたび、白い太ももが肉感的に躍動する。見てはいけないものを見た背徳感。ブラックホールじみた引力が俺の視線を釘付けにする。


 思春期には刺激が強い光景だ。距離が近いゆえに漂うシャボンの香りも、揺れる理性に追い打ちを掛ける。


 たまらずぎゅっとまぶたを閉じる。ブンブンと首を激しく振り乱す。


「よろしくない! これは、よろしくないッ!」

「何が、よろしくない、よっ! いいから自分で、歩きな、さいっ!」


 優等生が腕の力を強める。俺の腕を引くのに夢中で状況が分かっていない様子だ。

 

 まさか下着が見えそう、などと告げるわけにもいかない。人気者の下着をガン見したとなっては、いよいよ俺の立場が危うい。目の前にある端正な顔を見るたびに自責や劣情と戦うことになる。


 かくなる上は! 意を決して腕を引く。

 

 名付けて北風と太陽作戦。あえて踏み込んで一時的に引っ張る力を弱めさせ、その隙に切り返して走り去る作戦だ。たった今思いついたガバガバな作戦だが、他に案も浮かばないのだから仕方ない。


「え、ちょっ――」


 踏み出しが急すぎた。腕を引かれたことも相まって、俺と優等生の間にある距離がグッと縮まる。


 ぶつかる!


 寸でのところで両腕を広げ、優等生の股下に踏み込むことで体の勢いを止める。辛うじて体当たりする事態を回避した。


 俺が安堵したもつかの間、腹部にやわらかな感触を得た。曲線を描くそれが形を変えてそのボリュームを見せつける。距離が縮まったことで、緑の芳香に隠れていた甘い香りがよみがえる。広げた腕が慣性で前にずれ、意図せず優等生を抱き締める形になった。


「きゃっ⁉」


 腕の中で華奢な体がぴくっと跳ねる。凛々しかった振る舞いからは想像できない可愛らしい悲鳴。自分が何かいけないことをした気分になった。胸の奥から噴き上がる羞恥と焦燥が頭の中を埋め尽くす。


「とうっ!」


 おかしなテンションに身を任せて後ろに跳ぶ。後方にあるであろう雑草の絨毯へとダイブを試みる。


「ぐふっ⁉」


 硬質な感触に迎え打たれた。衝撃で肺の中の空気が押し出される。背中を受け止めたのは歩行スペースの地面。予想以上に原っぱから遠ざかっていたらしい。


 せわしない靴音が近付く。


「解代くん、大丈夫⁉」

「大丈、夫」


 俺は上体を起こす。背中のヒリヒリは男の矜持でこらえる。

 そして決意した。先程のちょっとえっちな光景は、暴露せず墓場まで持っていこうと。


「ごめんなさい、驚いて手を放しちゃったの。頭は打ってない?」

「打ってない。さすがに受け身くらいは取るさ。だてに少年兵をやってないよ」


 歩行スペースに座す趣味はない。速やかに腰を上げ、服に付着した汚れを手で払い落とす。


「もう引きずるのはやめるから、せめて訓練を怠ける理由だけでも教えてくれない?」


 手を離した負い目からか、同僚が態度を軟化させた。


「まぁ、聞かせるくらいなら」


 良いものを見せてもらった身だ。最低限の礼は尽くさなければならない。

 俺は眼福にあずかった自分を正当化して口を開く。


「結局は何事も運だと気付いたからだよ」

「運?」


 次席の少女が小首を傾げた。


「んーどこから話そうかな……俺には兄がいたんだ。喧嘩っ早くて自分勝手な奴だったけど、生きていた頃は首席としてファースト・マントをたなびかせていた」

「そのお兄さんって、もしかして殉職したって言う……」


 俺は首を縦に振る。


「ああ。解代ユウヤ、俺の兄だ。優秀で努力家だったのに、皆から慕われていたのに、たった一発の流れ弾で鬼籍に入った。どれだけ鍛錬しても、運に恵まれなかったら全部駄目になる。そんなの虚しいじゃないか」


 俺はその場にいなかったから聞いた話になる。同僚がユウヤの前を走ったタイミングで、交戦中の無人兵器が発砲したらしい。その同僚が弾を避けたことで、標的を失った弾がユウヤの頭を貫いた。


 敵に遭遇した当初はともかく、戦いが長引けば隊列は乱れる。生きるのに精一杯で他者の位置を考える余裕がなくなる。ただでさえ練度の低い少年兵。起こるべくして起こった事故だ。


 だから俺は諦観した。自分の力だけではどうしようもないなら、最低限やった上で気楽に生きた方がマシだと。


「話は分かったわ。現実から目を背けるために昼寝をしてたのね?」

「そういうことだ」

「昼寝をすると現実を忘れられるの?」

「多少は」

「……ふーん」


 すらっとした脚が前に出る。俺はまた腕を引っ張られると察して身構える。


 華奢な体がすれ違った。戸惑ったのちにバッと振り向くと、スタイルのいい体が原っぱの上で仰向けになる。

 

 脳内が疑問符で埋め尽くされた。


「あの、玖城さん?」


 何をなされているのでしょうか?


 俺がかしこまった問いかけを発する前に、桃色のくちびるが開く。


「これでいいの?」

「え? えっと、はい」


 声を絞り出した。まさか寝転がるとは思っていなかっただけに、どう対応するべきか分からない。


 長いまつ毛が重なって一つになる。

 沈黙が訪れた。そよ風に撫でられた草木が擦れ、耳当たりのいい音が伝播する。

 数分経っても優等生は目を開けない。


「あの、玖城さん? 訓練は……」


 返事はない。俺は嫌な予感がして優等生に近付く。


 すぅ、すぅ。安らかな寝息が俺の聴覚を刺激した。


「……嘘だろ?」


 声が裏返ったものの、やはり応答はない。枝に留まる小鳥がちゅんちゅんとさえずるばかりだった。

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