第2話 次席の少女


 歩いた果てにちょっとしたスペースを見つけた。雑草の表面が満遍なく明るみを帯びている。日光と雑草で編まれた絨毯のようだ。寝転ぶとポカポカしそうな様相を呈している。


 ファースト・マントが汚れても構わない。俺は衝動に身を任せて仰向けになる。想像した通り、雑草の絨毯は程よく温められていた。空から降り注ぐ光の熱がたまり、天然のホットカーペットになっている。


 満足してまぶたを閉じる。心地よい温かさが意識を手放せと誘なってくる。


 抵抗はしない。ふわふわした感覚に身を任せて体から力を抜く。


「――こんなところで何をしているの?」


 意識を手放しかけた時だった。爽やかな香りが何者かの存在を認識させる。中庭の空気を震わせたのは凛とした甘い声色。おそらくは年の近い少女が発したものだ。


 射撃訓練の真っ最中にもかかわらず中庭にいる。俺と同じく訓練をサボった同僚とみて間違いない。


 俺は熟睡したフリを決め込む。施設の連中と関わるとろくなことがないのは学習済みだ。厄介事を避けたいならこの手に限る。


「ねぇ、無視しないでよ」


 声は寂しげな響きを帯びていた。


 しかし無視する。同僚にされた仕打ちを考えれば何を今さらだ。呼び掛けに応じる義務はない。


 靴音が近付き、俺の左側面で鳴り止む。


 何をする気だ? なんて問い掛ける愚は犯さない。意識はもうすぐ夢世界へと旅立つ。蒼穹をたゆたう雲のごとく中庭の景観に溶け込むのみだ。


 鼻にやわらかな感触。


 急に息苦しくなった。一秒前までできていた鼻呼吸ができない。やわらかい何かに空気の通り道を塞がれている。


 俺はまぶたを開ける。


 鼻を摘まむのは繊細な指。その先には優等生の姿があった。絹のごとき光沢のある栗色の髪、数百の同僚では相手にならない整った顔立ち。規格化された制服からはすらっとした手脚が伸びている。体は魅惑的に程よく波打ち、毅然とした雰囲気に色気を付加している。


 美麗な容姿が目を惹くものの、注目すべきは少女の肩から垂れる白い外套だ。

 セカンド・マント。俺に次ぐ戦果を修めた者の証に他ならない。


「おはよう。いいお昼ね」


 他人に興味はない俺でも次席のことは知っている。

 玖城ミカナ。最近別の施設から転属してきた少女だ。小さな顔に浮かぶ表情が俺を明確に非難していた。


「ちょっと息苦しかったけどな。優等生の玖城さんがどうしてここにいるんだ?」

「お花を摘みに来たの」

「鼻を摘みに来たの間違いだろう? 離してくれ」


 同僚が形のいい鼻を鳴らし、すすっと後退してから直立する。玖城さんの装いはスカート。そのまま立ち上がっていたら下着が見えたかもしれない。ガードは完璧のようだ。


 俺は端正な顔立ちを眺めて思考する。


 容姿や人格、努力家の面も相まって、飛び退いた少女は同僚からの人気が高い。嫌われ者の俺とは別世界の住人だ。自身とは相容れない。下手に触れ合えば彼女の評判にも関わる。


 寝よう、寝るべきだ。決心してまぶたを閉じる。


 また鼻呼吸ができなくなった。


「君はあれか、暇なんだな?」

「サボり魔と一緒にしないでくれる?」

「ひどい言い草だな、俺達は同類じゃないか。仲良くしよう」

「できるわけないでしょう。今は訓練中なのよ? 早く射撃場に戻って」

「ここでやるべきことがあるんだ」

「そうなの? 他の教官に呼び出されたとか?」


 憐れにも、優等生の少女がでまかせを信じた。罪悪感が俺のあごを宙に縫い留めて頷くことを妨げる。

 良心に負けてかぶりを振る。


「じゃあ何の用事? もしかして具合が悪いの? 私でよければ医務室までついて行こうか?」


 俺は思わず目を見張った。

 

 さっきまでむっとしていた少女が、膝に手を置いて心配そうにのぞき込んでいる。頭痛がすると言えば、本当に肩を貸してくれそうな雰囲気だ。


 騙した負い目が俺の口を突き動かす。


「もしかしなくても、君っていい人だよな」

「え?」


 同僚が大きな目をぱちくりさせる。

 俺の言葉が意味するところを理解したのだろう。心配そうな表情から一転、じと~~っとした瞳が向けられた。


「茶化さないでよ。私に言えない用事なの?」

「そんなことはない。みんなが毎日してることをするだけだよ」

「何よそれ」

「昼寝」


 ブラウンの瞳がさらにすぼめられる。微かながらも軽蔑の情が見て取れた。


「今は訓練中だ。君は早く戻った方がいい」

「それあなたが言うの? いいから早く立って。一緒に戻るわよ」


 じれったくなったらしい。優等生の口調が熱を帯びた。軽蔑したなら放って置けばいいものを、一体何がそこまで彼女を駆り立てるのか。


 俺は小さく息を突く。


「先に戻ってくれ。俺もすぐに行く」

「どうせ二度寝するつもりでしょう? そうはさせないんだから」


 両手がくびれのある腰を挟む。形のいい眉がひそめられている。完全にお叱りモードだ。ちょっとやそっとでは帰ってくれそうにない。


 俺はこれ見よがしに深く嘆息した。

 

「ため息突くのやめてよ」

「君がしつこいからだ。どうして俺に関わる? 教官に命じられたわけじゃないんだろう?」

「教官に命じられたからここにいるのよ」

「本当かよ。どういう人選なんだそれは」


 お迎えに優等生があてがわれた理由を考える。

 やめた。この際理由なんてどうでもいい。今考えるべきは、次席の少女を射撃場に戻らせる方法だ。


「分かった、ファースト・マントの特権を行使して訓練をサボる。それでいいだろう?」


 教官命令は絶対。俺を連れ帰らないと優等生も戻るに戻れない。

 

 ならば戻る理由をプレゼントすればいい。俺のファースト・マントは一か月に三回まで特権を行使できる。その中の一回を消費し、訓練に参加しなくても叱られない体裁ていさいを整える。それで万事解決だ。


「却下」


 名案が同僚の口でしりぞけられた。

 俺は理不尽な物言いを看過できずに上体を起こす。


「待て、横暴だ。何の権利があってそんなことを言う」

「ファースト・マントの特権行使権限は、一ヶ月に三回までの決まりでしょう? あなたのそれは四回目なの」 

「何を馬鹿な、そんなはずは……」


 俺は右の指を伸ばし、一本ずつ曲げて今月使用した特権の回数を数える。


 訓練をサボった。

 三十分間風呂場を独りめした。


 思いつくのはこの二つ。やはりあと一回分残っている。


 俺は内心ほっと胸を撫で下ろす。原っぱに横たわり、視界を閉ざして草木の芳香を味わう。

 近付く気配を感じて目を開ける。


「触らないでくれ。俺は女性アレルギーなんだ」

「それが嘘だってことは知ってるからね?」

「今月は二回しか特権を使っていない」

「ふーん」

「残り一回分の特権を行使する」

「却下」

「却下じゃない。一回は一回だ。君の言うことは道理が通らない」

「道理なら通るわ。私が特権を使って、あなたの特権行使を無効にするから」

「はあッ⁉」


 思わず跳ね起きた。この真面目ちゃん、まさか冗談を習得したのか⁉ そんな問い掛けを視線に乗せる。


「その、冗談を言えたのか? みたいな顔やめて」

「驚いた。セカンド・マントには思考を読む力もあるのか」

「ないわよそんなの」


 口調はひどく冷め切っていた。おどける雰囲気は欠片もない。特権行使の件も冗談ではないのだろう。


 だからこそ唖然あぜんとする。相手の正気を疑わずにはいられなかった。


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