死んでも継なげ

原滝 飛沫

1章

第1話 首席生徒の憂鬱


 人型が地面を踏みしめる。


 枝が真っ二つに折れて軽快な音が鳴った。尾の先端が地面をなぞって土に赤い線を引く。


 尾に見えるそれは破れた衣服。着用者の血を吸い上げて重みを増し、重力に負けて垂れ下がっている。


 流出する血の量に違わず、人型はゾンビのような様相をしていた。所々に銃創が点在し、破けた衣服からは裂傷が顔をのぞかせる。


 見るからに重症。見た目に違わず苦しいのだろう、鮮血に濡れた顔が眉根を寄せる。


 筋肉が収縮するたびに、負傷箇所から命の液体が流れ落ちる。倒れてのたうち回ってもおかしくない容態だが、流血に脂汗を滲ませても土に靴跡を刻み続ける。


 何がそんなに人型を駆り立てるのだろう。使命感、責任感。あるいは背中に担いでいる少女が関係しているのか。痛みに顔をしかめても、爛々と輝く瞳は前だけを凝視している。


 これから先、天地がひっくり返っても歩みを止めることはないのだろう。土と樹木の芳香漂う空間には、湿った靴音だけが絶えず鳴り響いていた。


 ◇


 銃のトリガーに人差し指が掛けられる。


 パンッ! と乾いた音が広場の空気を震わせた。あちこちで発砲音が連なり、閉塞した空間が騒々しさで満たされる。


 並び立つ円状の的から破片が弾けた。少年少女が無邪気な笑みを交わして喜び合い、年相応のあどけなさが和やかな雰囲気を醸し出す。


 微笑ましさであふれる光景だが、数十の手に握られているのは本物のハンドガンだ。彼らの身を包むのはパリッとノリの効いた制服。着崩す者は一人としていない。室内を伝播する歓喜とは裏腹に、場の空気はどこか張り詰めている。腐っても少年兵。扱う物が銃器だけにふざける人影は皆無だ。


「よし、次!」


 壮年が声を張り上げた。肌はおろか、身にまとう衣服すらも青白い。秒で倒れること間違いなしの顔色だが、その正体は上半身が出力されただけの立体映像だ。


 コルド・ギャビストン。少年兵の教官を務める人物だ。生徒を教え導くはずの人物だが、生身を少年少女の前に晒したことは一度もない。執務室でくつろぎながら教えているのか。規格化された訓練ゆえに映像を使い回しているのか。いまだ断定には至らない。全てが謎に包まれている。


 いつか生身を引きずり出してやる。俺は心に誓って射台の前に立つ。イヤーマフで耳を塞ぎ、両腕を肩より高い位置に上げる。目を保護するためのシューティンググラスを介して前方の的を見据える。


「第一射、始め!」


 俺は反射的に腕を下げる。ホルスターから飛び出しているグリップを握って黒い得物を引き抜く。


 トリガーを引いた数は五回。全ての弾が的のど真ん中を穿った。後方で感嘆の声を上げた同僚を無視し、銃を再びホルスターに戻す。

 セカンド・ラウンドに備えてまぶたを閉じる。静かに呼吸を整え、教官の指示に従って再び両腕を上げる。


「第二射、始め!」


 パッとまぶたを開ける。


 代わり映えのない視界に揺れ動く物が映った。色あせた葉がひらひらと宙を踊り、重力に誘われて床に迫る。

 

 動かない的を撃つのはつまらない。俺は標的を落ち葉に変更する。落ち葉を貫いた後で的に命中させる、それを目的にして人差し指を曲げる。


 葉に風穴が開く。


 次いで金属質な音が鳴り響いた。へこんだのは的の端っこ。真ん中からは大きく逸れたが、落ち葉と的を射る目的は達せられた。達成感を胸に口角を上げる。


「っしゃ! 全弾真ん中に命中!」 


 右方で歓声が上がった。声に釣られて視線を振った先で、少年が大げさにガッツポーズを取っていた。長い金髪がトレードマークの同僚だ。ふとした拍子に視線が交差して思わず顔をしかめる。


 発砲者が自慢げに口端を吊り上げた。何かと突っ掛かってくる相手だ。その反応は予想していたが、苛立ちで落ち葉と的を撃った達成感が吹き散らされた。


 俺はこらえきれずに嘆息する。

 達成感が台無しだ。同僚と競争するつもりはなかった。全弾当てたぞどうだ! みたいな視線を向けられても困る。


 俺と成果を比べて、勝てば得意げに笑む。この手の輩は後を絶えない。その理由は、俺の背中から伸びる黒いマントにある。


 この外套はファースト・マントと呼ばれる。訓練や実践で最も戦果を挙げた者に与えられる、いわば首席を表す勲章だ。我こそ一番と叫びたい者にとって、俺の存在は目の上のたんこぶに他ならない。


 さらに言えば、ファースト・マント所持者には特権が与えられる。食堂で特別メニューを注文できるし、月に三回だけ我がままを通す権利も与えられる。嫉妬されることを除けば良いことづくめだ。


 一方でマントの着衣は強制。譲渡も規則で禁じられている。俺は同僚からの熱い視線をガン無視する毎日を送ってきた。


 今日この日はその限りじゃない。強烈な虚脱感に身を任せて黒い塊から弾倉を抜く。スライドを引いて薬莢を確認し、銃身を台の上に横たわらせる。イヤーマフとシューティンググラスも銃身の横に並べた。身をひるがえして出口へと足を前に出す。


 青白い映像が口を開く。


「解代、どこへ行く」

「お手洗いに行ってきます」


 射撃場を後にして廊下の床に靴裏を付ける。

 

 防音のため射撃場は地下に設けられている。外に出るには一階に上がらなければならない。

 

 一人靴音を鳴り響かせて廊下の静寂をかき乱す。

 上階へ続く段差に足を掛ける。顔を上げると、段差の終わりが温かな日の光に彩られていた。

 

 窓越しの温かさを肌で感じつつ一階の廊下を踏み締める。

 

 外へ続くドアの取っ手に指を掛けて腕を引くなり、草木織りなす緑の芳香に鼻腔をくすぐられた。中庭の歩行スペースに靴裏を付け、マイナスイオン漂う広場を見渡す。


 前方にがらんとしたベンチが目についた。俺はまぶたを閉じて視界情報をシャットアウトし、腰掛けて眠る自分を想像する。


「……駄目だな」


 夏に向けて気温は上がっているものの、いまだ少し肌寒い。日に照らされるのは絶対条件だ。腰掛けに木陰が伸びているのはよろしくない。


 俺は歩みを再開し、日向ぼっこに最適な場所を求めてさまよい歩く。

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