第47話 落書き


「――おい、目覚めろ」


 ゆっさゆっさと揺さぶられた。意識が浮上して視界が開ける。


 眼前に性別不明の顔があった。


 誰? 思って記憶をたどってみる。


 確か昨日は獣に襲われてテントで眠った。


 テント? 誰の?

 そういえば男の人に会ったはず。確か……。


「……ひゃああああああっ⁉」


 昨晩会った不良の顔! そそくさと手足を動かして遠ざかろうと試みる。


「痛っ⁉」


 後頭部に衝撃を受けてうずくまる。後方に横目を向けると樹木が立っていた。目頭の熱さを無視して睨み付ける。


「おいおい大丈夫か?」

「大丈夫、です」


 逃げようとしたことがばれるとまずい。 微笑を取り繕って立ち上がる。うかつな言動はしないようにと意気込んで口を開く。


「お腹すきました! 何か食べましょう!」

「朝食は準備できてるから、川で顔を洗ってきなよ」

「ありがとうございます」


 気が利く人だ。不良なのに。


 靴裏で砂利を踏み鳴らし、屈んで顔に天然水を叩き付ける。


 インスタントのスープと乾パンをお腹に収めて、速やかに荷物をまとめる。


「忘れ物はないか?」

「はい」


 出発。再び未開拓地の探索に臨む。


 歩く。歩く。


 どれだけ靴裏を地面に刻んでも、樹木立ち並ぶ緑の景色は変わり映えしない。濃厚な土の臭いも嫌になるほど覚えがある。


 なのに昨日と何かが違う。


 景色に変わりはない。同じところをぐるぐる回っているような錯覚は相変わらずだ。


 変化があったとすれば心情の方。となりに誰かがいるだけで、こんなにも胸の奥が温かい。素行不良疑惑があるのは玉にきずだけど、独りでいるよりは何倍も心強い。


 でもメリットばかりじゃない。


 会話がないから沈黙が痛い。横顔が怒っているように見えて落ち着かない。


 静かな空気に耐えかねて口を開く。


「解代さんは一人でここに来たんですか?」

「ああ。懲罰を受けたのは僕だけだからな。君は志願したって言ってたけど、ここには一人で来たのか?」

「いえ、来た時は仲間がいたんですけど、はぐれちゃって」


 解代さんが足を止めて振り向く。


「はぐれた? まずいんじゃないかそれ」

「心配しなくても大丈夫ですよ。向こうは二人以上いますし、わたしより成績いいですから」

「でも全員成績悪いんだろう?」


 意図せず体がぴくっと跳ねた。


「ど、どうしてそう思うんですか?」

「成績のいい奴がここを選ぶメリットはないからだよ。それでも志願するとしたら、ライバルがいると困るタイプだと思って」


 何で分かっちゃうんだろう。成績優秀者は心まで読めるんだろうか。やっぱりわたしとは頭の出来が違うのかもしれない。


 でもそれとこれとは話が別だ。せめてもの抵抗にくちびるを尖らせる。


「まだ発達途上なだけです。これからうまくなるんですぅ」

「変な意地を張ってる場合か。上達するにしても、今を生き残らなきゃ意味ないだろう」


 返す言葉もなく口をつぐむ。


 見事な正論だ。不良のくせに、なんて思ったことは墓場まで持って行こう。


「今からでも探した方がいい。もしもの時の合流地点は決めてないのか?」

「はい。はぐれる予定はなかったので」

「普通最初に決めておくものだろうに」


 細い指が腕時計型デバイスに触れる。宙に半透明な長方形が伸びた。


 解代さんが瞳をすぼめる。


「まさかとは思うけど、はぐれた二人のデバイス故障してないよな?」

「故障?」

「GPSでの特定ができない。そっちでコールしてくれないか?」

「連絡先交換してません」

「は?」


 解代さんの姿が視界の隅に消える。


 振り向くと目を見張っていた。中性的な顔に浮かぶ戸惑いと驚愕が、わたしを責めているように感じられて目を伏せる。


「えっと……何で?」

「だってその、知らない人たちでしたし……」


 バツが悪くなって人差し指を突き合わせる。


 点数稼ぎという目的は共通していたけど、親交のある人たちじゃなかった。一緒に歩いたのも数分だし、二人は見るからにわたしをのけ者にしていた。気付けばわたし一人はぐれて今に至っている。連絡先なんて交換する機会はなかった。


 自然の景観からホログラムパネルが消える。


「まあいいや。とにかく、この辺りにいるのは間違いないんだな?」


 わたしは首を縦に振る。

 解代さんが小さく息を突いた。


「分かった。捜すの手伝うよ」

「いいんですか?」

「ああ。どうせ懲罰で一通り回らないといけないしな」


 解代さんの表情が疲れている。呆れられたのが手に取るように分かって少し怖いけど、一緒に捜してくれるなら心強い。


「ありがとうございます!」


 自然と口角が浮き上がった。視線が照れくさそうに逃げる。


「一応聞くけど、どんな人たちなんだ?」

「あまり話したことがないので、印象だけになりますよ?」

「それでもいい。教えてくれ」

「素行がいいタイプじゃないみたいです。懲罰も兼ねてここに来たみたいで、何度も指導を受けているんだとか」

「不良ってことか」


 解代さんが顔をしかめる。不良の人でも不良と関わるのは嫌なようだ。


「不良って言えば、解代さんは何をして懲罰を受けたんですか?」


 横目を向けられた。失言を悟って口元に両手を当てる。


 どうしよう!? 一緒に捜すって言ってくれたのに撤回されちゃう! 何か、何か弁解の言葉を! すぐに!


「……落書き」

「え?」

「落書きって言ったんだ」


 不機嫌そうな声が、何とも可愛らしい言葉を紡いだ。


 落書き。またの名をいたずら書き。威圧感のある不良がクレヨンを握って描いたと思うとギャップで吹き出しそうだ。口角が上がるのを止められない。


「笑うなよ」

「す、すみません! 理由が可愛かったもので、つい!」


 謝っても口のピク付きは止まらない。

 解代さんがむすっとした。


「僕がやったわけじゃないのに」

「よく聞こえませんでした。もう一度お願――」


 解代さんの腕が伸びた。口を抑えられてくぐもった声がもれる。


「静かに」


 空気の緊迫を感じ取って、喉から噴き出しそうになった悲鳴を呑み込んだ。

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