第49話 不良の正体


 森の空気を震わせた破裂音は、先日獣を絶命せしめたそれと同じものだった。


 わたしの眼前に立つのは獣。手に人工物の銃器は握られていない。


 すなわち味方による援護射撃。わたしの想像を裏付けるかのごとく、クマの額に風穴が空く。

 

 二回。三回。追加の発砲音に遅れて左胸からも体液が散る。無人兵器の装甲すら貫く人類の英知。自然を生きる獣が耐えられる道理はない。


 山のような巨体がぐらつく。仰向けに崩れ落ちて地面を鳴らし、丸太のような両腕がだらんと伸びる。舌を出したまま微動だにしなくなった。


「間に合ってよかった」


 声が上がった方向に視線を振ると、坂を転がっていったはずの男の子が立っていた。


「解代、さん? どうして」


 信じられずに目をしばたかせる。


 坂を転がった獣は脚を負傷していた。解代さんが勝ってもおかしくはない。


 不思議なのは、解代さんがこの窮地きゅうちに現れた点だ。


 この場は景色が変わり映えせず、音が木々に吸収される森の中。わたしの小さな体を見つけるのは難しい。


 解代さんが自身の左手首を指差す。


 そこには、わたしが拾おうかと逡巡しゅんじゅんしたデバイスがあった。


「GPSだよ」

「あっ」


 思い至って、自分の左手首に視線を落とす。


 軍事用のウェアラブルデバイスは訓練生全員に配布される。わたしも例に漏れず手首にくくりつけていた。その電波をGPSで拾って駆け付けたに違いない。


「……ふぇぇ~~っ」


 口から安堵のため息がもれた。体がぐだっと弛緩する。体中の筋肉が溶けて液体と化したかのようだ。


 解代さんの表情から笑みが消える。


「向こうにある遺体、君の同僚か?」


 力なく首を縦に振る。


「そうか。GPSで特定できなかった辺り、この子のデバイスはクマに噛み砕かれたのかもな。たぶん、もう一人の方も……」


 そこから先は聞くまでもなかった。すでに食われたか、どこかで息絶えている。続くはずだった言葉はそんなところだろう。


 腕時計型デバイスは手首にはめる物だ。順当に考えて、姿が見えない同僚のデバイスも破損している。助けも呼べず、見渡す限り緑だらけで自分の位置も分からない。血の臭いに誘われて肉食獣も集まる。生きている可能性は限りなくゼロに等しい。


「ごめん、配慮が足りなかった」

「いえ……助けてくれてありがとうございました」


 靴裏に体重を乗せて立ち上がり、絶命した巨躯きょくを見下ろす。


 食べられたのは素行のいい人たちじゃなかったけど、仮にも同僚を食べた獣だ。可哀想なんて思わない。


 口元を引き締めて眺めていると、視界に映る光景に違和感を覚えた。しゃがみこんで目を凝らす。


「これ、鉄?」


 クマの額に空いた穴が光を反射していた。血と思われる液体も、わたしが知っているものとは微かに違う。同僚の生首から発せられる臭いが、クマのそれとの差異を突き付けてくる。


 解代さんがクマの近くでしゃがみ、風穴をまじまじと見つめる。


「これ、機械だ」

「え?」


 解代さんに指摘されて、クマの亡骸を注視する。


 弾けた頭部を凝視すると、奥に細かな部品が並んでいた。


「本当ですね。どうしてこんなところに」

「獣に似せて油断を誘うためか、秘密裏に工作を行うためだろうな。いずれにせよ、すぐに帰還して報告すべきだ。獣にまぎれてる機械は、一匹や二匹じゃないはずだからな」

「そう、ですね。こんなところに長居したくないですし」


 地面に転がる首を一瞥する。胃の奧から込み上げるものを感じて背を向ける。先導する背中に続いて、足早にこの場を去った。


 ◇


 同僚の殉職。獣にまぎれた機械軍の存在。まだ同僚の一人が行方知れずであることを上司に報告した。


 すぐに捜索班が編成されるらしい。クマや同僚の遺体がある座標はマップデータとして提出済みだ。後は専門的な知識のある人に任せて、わたしたちは隊舎に足を運んだ。


「やっと、帰ってこれましたね」

「そうだな」


 解代さんが安堵混じりにつぶやいた。あどけない顔立ちから同い年かと思っていたけど、何とわたしの一つ上だった。


 その件については謝っていない。解代さんは解代さんで、わたしのことを二つ以上も年下だと思っていたんだ。小柄にコンプレックスがあるのに無神経だ。年を明かした時の驚きようはむっとするものがあった。


 その時の怒りはとっくに霧散している。同僚の亡き骸を間近で見たんだ。生還できたことにほっとしても、年齢のことで問い詰める元気は残ってない。


「?」


 頭の上に温かさと重みを感じた。


 視線を上げると、わたしの頭頂に解代さんの手が乗っかっていた。


「まあ、その、気にするな。もう一人の方もきっと見つかるさ」


 きまりが悪そうに視線が逃げる。


 不器用なりに気遣ってくれている。それを察して、胸の奥で温かいものがこみ上げた。


「はいっ」


 自然と口角が上がる。


 わたしにお兄ちゃんがいたら、こんな感じなんだろうか。


「リュミ!」


 靴音が近付く。


 振り向いた先で少女が階段を駆け下りる。柿村マキ。わたしのお姉ちゃんだ。


「お姉ちゃ――」


 ただいまを言う前に力強く抱きしめられた。


「あんた大丈夫だった!? 怪我はない!?」

「うん。解代さんが助けてくれたから」

「解代?」


 お姉ちゃんが目を丸くする。まるで聞き覚えがあるような反応だ。


 姉が駆け下りてきた階段から再び靴音が鳴り響く。


「マキよぉ、そんなに急がなくても妹は逃げねえぞー?」


 明るい髪色の少年が下りてきた。着崩した服がだらしない雰囲気を醸し出している。教官が見たら助走を付けて腕を振りかぶりそうだ。


 お姉ちゃんが目を細めて振り向く。


「うっさい、どうせあんたには分かんないわよ。懲罰を弟になすりつけたバカにはね」

「なすりつけた?」


 思わず解代さんの顔を仰ぐ。


 落書きの罪。


 弟になすりつけた。


 お姉ちゃんが解代さんの名字を知っていたような素振り。


 わたしの中で三つの要素がすとんと落ちた。


「待て待て、誤解だっつーの。落書きは元々あったんだって。どうせ消すつもりだったんだし、俺たちも落書きしたっていいじゃねーか。なぁ?」

「そう思うなら、俺を置いて一人で逃げるなよ」


 解代さんが恨みがましく男子をにらむ。


 明るい髪色の男子がニカッと白い歯を覗かせる。


「悪かったって。でもよ、どうせ叱られるんなら俺だけでも逃げた方がいいだろ?」

「だから一人で逃げるなって言ってるんだ」

「だから謝ってんじゃんかよー」


 男子が眼前で足を止めて、わたしにぐいっと顔を近づける。


「こいつ結構引きずるタイプでさ。愚弟ぐていが迷惑掛けなかったか? チビっ子」

「ち、ちびっ⁉」


 失礼な、妖怪着崩し男め!


 そう思ったのは一瞬のこと。別のことに意識が引っ張られる。


 やっと解せた。解代さんは、自分だけが懲罰を受けて苛立っていたんだ。出合った当初の妙な威圧感は、そのことで不貞腐ふてくされていただけだったのだろう。


 あまりにも子供っぽい情緒じょうちょ


 わたしを二度も守ってくれたヒーローが、急に身近な存在に思えてきた。


「あははははっ」


 可笑しさが込み上がって口を突いた。三つの視線が向けられても止まらない。ひときしり笑って涙を拭く。  


 日常に戻ってきた。わたしはその実感を得て、戸惑う三人に笑顔を向ける。


 まずは改めて自己紹介しよう。談笑を挟んで仲良くなって、自室に戻ったらお姉ちゃんに解代さんの話をするんだ。


 わたしとお姉ちゃんには兄がいない。仮でもお兄ちゃんがいた時の思い出を話せば、体験を共有して盛り上がれるはずだから。

 

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