第44話 憧れた背中


 無人兵器を破壊して三年が経過した。


 私は十六歳になった。本格的に作戦にも参加するようになって、無人兵器と銃口を向け合う機会も増えた。怪我のリスクも高い。ひやりとしたことが何度もあった。


 無人兵器が強いから――とは一概には言えない。

 原因は私の中にある。今日もそれが理由で上官の執務室に呼び出された。


「ここ最近調子が悪いようだな」

「……すみません」


 私は視線を伏せる。男性を模したホログラムがため息をついた。執務室なのに映像で存在するのは奇妙だけど、実態がなくても上官だ。生活感のない部屋は無機質で自然と空気が引き締まる。


 今の私には、少し効き目が薄い。


「以前とは別人のように映るな。例の要望に関係することか?」

「……はい。あまりモチベーションが上がらなくて」


 銃は持てる。的に照準も合わせられる。やったことは今までと変わらない。


 ただ、昔みたいにやる気が出ない。ひたすら訓練に明け暮れていた頃と比べると、胸にぽっかりと穴が空いたように感じる。


 たぶん、この不調は少年兵を志した理由に起因する。


 私は人の助けになることをしたいと思っていた。無人兵器から助けてくれたあの人のように、両親のいない私でも誰かの役に立てる。その衝動が志望動機だった。


 今に至るまで多くの作戦に参加してきた。資源採取ポイントの安全確認、無人兵器の掃討。種類は色々あったけど、その中に私が思い描いたような仕事はなかった。


 教官や上官に問いを投げたことがある。やりたい仕事について、要望を出したのも一度や二度じゃない。


 でも要望は聞き入れてもらえなかった。仕方ないと自分に言い聞かせる一方で、私のやりたいことはできないかもしれないと思うようになった。


 だからといって、具体的に何をどうすればいいのか分からない。少年兵を辞めて就く職は、今までよりも誰かの役に立つの? 本当に私がやりたいことなの? 色々な問いかけが脳裏に浮かんで考えがまとまらない。結局踏み出せずにズルズルとここまで来た。


 いつしか、やる気の炎が灯らなくなった。自分を騙すのはもう限界だ。


「以前も言ったが、間接的には誰かの役に立っているんだ。資源を得れば人々の暮らしが豊かになる。無人兵器を壊せば平和が保たれる。お前はどこかの誰かを守っているのだ」

「はい、頭では理解しているんです。でも、どうしても奮い立てなくて」


 ホログラムの男性が腕を組む。うなって、指を動かす。

 私の眼前で電子的な長方形が伸びた。


「玖城少尉。中央の方に移ってみる気はないか?」

「転属、ですか?」

「ああ。今でも成績は悪くないが、以前と比べると降下具合が目に余る。環境を変えれば見えてくるものもあるだろう。君の要望に近い任務も与えられるかもしれん」

「そう、ですか」


 要は体のいい厄介払いだ。私は見限られたらしい。


 それも仕方ない。いつまでもこんなんじゃ周りに迷惑だ。無理やりにでも環境を変えた方がいい。


 背筋を伸ばして了承の意を伝え、敬礼を残して執務室を後にする。

 通路にピンク色が見えた。手がひらひらと振られる。


「あれ、玖城じゃん。久しぶりー」

「久しぶり。今日は佐上さん独りなんだね」


 初めて分隊を組んだあの訓練以来、佐上さんの周りには人が集まった。独りの時間を捻出すべく、日々やきもきしているらしい。


「ああ、独りだよ。ちょっと抜け出してきた」

「取り巻きの子達が可哀想だね」

「何言ってんのさ、可哀想なのはアタシだって。ここ最近ろくに一人の時間を過ごせてないんだよ?」


 不満げに愚痴る。相変わらず独りを愛しているようだ。

 自然と口角が上がる。


「変わらないね佐上さん。ちょっと羨ましいな」


 私は床に視線を落とす。あの頃から自分だけ置いてけぼりにされたみたいだ。真っ直ぐな在り方がまぶしくて直視できない。


「佐上さんは、今でも独りが好き?」

「ああ、大好き。他人がいると自由に動けないからね。でもまあ、最近は悪くないと思う時もあるよ」


 悪くない。告げた佐上さんの表情は、いつになく大人びて見える。


「しっかし、玖城が呼び出しくらうのは珍しいね。昇進?」


 私はかぶりを振る。


「まさか、降格?」

「それも違うよ。転属することになったんだ。ずっと成績が落ち続けてるから、見識を広めてこいって言われちゃった」


 大きな目が丸みを帯びる。バツが悪そうに長い指が頬をかく。


「あー確かに落ちてるよな。順位二桁とか、出会った当初の玖城からは考えらんないし。何かあったの?」

「少しやる気が出なくてね」


 いっそ相談してみようかな。

 考えた時、廊下の曲がり角からぞろぞろと人影が見えた。


「げっ」


 佐上さんが顔を引きつらせる。新鮮な光景に思わず吹き出した 


 現れた取り巻きの中には、以前南木さんの腰巾着をしていた三人もいる。ずいぶんとまあ世渡り上手なことだ。


「お迎えが来たみたいだし、私は行くね」

「ああ。機会があればまた会おうな」


 佐上さんとすれ違って自室に戻る。電子文書に必要事項を記載し、着々と転属の準備を進める。


 隊舎を後にする日を迎えた。お世話になった上官や教官にあいさつ回りして建物を出る。最後かもしれないとなると、訓練漬けだった建物も妙に感慨深い。


 気まぐれで中庭を訪れる。

 ベンチの一つに珍しい人影があった。


「南木さん、こんにちは」


 黒い髪が揺れて白い面が露わになる。


「こんにちは。何か用?」


 突き放すような態度に迎えられた。


 無理もない対応だ。あの作戦以来、南木さんの立場は悪くなった。取り巻きが離れ、他の友人も周りの目を気にして離れた。長い間を孤独に過ごしている。


 そんな彼女を見て、安心感も覚える自分がいる。


 南木さん相手なら、今の不甲斐ない私でも気兼ねなく話せる。怒られるだろうから言葉にしたことはないけど、南木さんのそばは落ち着くんだ。たびたび目にしては会話を振ってきた。


 それも今日で終わり。最後と思えば気も引き締まる。


「今日ここを出るからあいさつしておこうと思って。最後だから聞かせてほしいんだけど、どうして南木さんはまとめ役に立候補したの?」


 南木さんが目を細める。元々ツリ目がちなこともあって、何だかにらまれているように映る。あるいは本当ににらまれているのかな? 聞き方を間違えたか。


「その問いの意味を聞いてもいいかしら?」

「南木さんって真面目でしょ? 集団の中にはだらしない人もいるわけだし、誰かとの衝突は避けられない。南木さんも分かってたんじゃない?」

「そうね。知ってた」

「それが分からないんだよね。面倒事が好きってタイプには見えないのに、率先して佐上さんの素行を注意していたし。どうして?」


 南木さんの視線が落ちる。


「少し長くなるけど、時間は大丈夫?」

「うん。まだ余裕はあるよ」

「そう。じゃあ話してあげる。私の両親は他者を助けて鬼籍に入ったの」


 軽い調子で口にされたけど驚きはしない。この施設にいる同僚の大半は、何かしらの不幸で家族を失っている。両親が鬼籍に入っているのは珍しくもない。


 宣言通り、南木さんが昔話を続ける。


「助けられた奴は、日頃からルールを破るような人間だった。助ける価値のないクズだった。でもね、いるのよ。どんなに腐った人間相手でも、いざという時は助けちゃうような人が。両親はそういうタイプだった」


 口調が僅かに早まる。

 一字一句聞き逃さないよう、さらに耳を澄ませる。


「だらしない自分を助けたせいで誰かが死んだ。その現実を糧に成長するかと思えば、そいつは以前と変わらずヘラヘラしてた。両親が助けたせいで多くの人が迷惑をこうむった。だから決めたの。誰かが損をしないように、誰を助けても後悔しないように、私がその手のバカに規則を徹底させるってね」


 口調がいちじるしく強まる。感情の入った声は、南木さんの本心だと知るには十分な力があった。


 意図せず口角が上がる。


「そんなことがあったんだね。ちょっと安心したよ」


 南木さんの眉が跳ねる。


「安心? ああ、みじめって笑いたいのね。幅を利かせてた勘違い女がこうして孤立しているんだもの。さあ、遠慮なく笑うといいわ」


 南木さんが自嘲するように口端を吊り上げる。孤独に疲れた表情が痛々しい。

 勘違いされたままじゃ不服だ。私はかぶりを振って否定する。


「違うよ。規則を妄信しているだけの人だったら嫌だなぁって思ってたの。個人的に南木さんのことは嫌いじゃないから」


 まとめ役の立場からして、南木さんは色んな性格の人と接してきたはずだ。中には佐上さんのように反りが合わない人もいる。


 そんな同僚にも規則を遵守させる。責任感が強いだけじゃ務まらない。気苦労も多くあったに違いない。


 これまで、私はトラブルといったトラブルに遭ったことはない。それは南木さんの尽力があってのことかもしれないんだ。感謝こそすれ、嫌うなんてとんでもない話だ。


 南木さんが目を見張る。ハッとしてそっぽを向いた。


「そう。ま、散々寄ってきた連中は嫌ってるみたいだけどね」

「嫌ってるというより、佐上さんに近付きたいから距離を置いただけじゃないかな?」

「どちらにしても現金ね」

「そんなものじゃない? 南木さんみたいに、強い信念を持って生きてる人はそうそういないよ。私もそうだし」

「玖城さんも?」


 南木さんが目を丸くした。


 私は首を縦に振って身の上話をする。モチベーションの低下が著しいこと。どうやっても意識を改められず、訓練が身に入らないことを告げた。


 南木さんが合点したように頷く。


「なるほど。玖城さんの成績が振るわなかったのは、それが理由だったのね」

「うん。転属になったのも、上官に見咎みとがめられたからなの」

「いいんじゃない? 環境を変えるのも気分転換になるし。玖城さんならどこでもうまくやれるわよ。私や佐上さんの緩衝材を努められたんだし」


 私は苦々しく口角を上げる。


「まだ佐上さんのことは嫌い?」

「ええ。人に囲まれて戸惑う姿を見ると胸がすっとするわ」

「なんだ、結構気にしてたんだね」


 微笑ましくて口元が緩む。

 にらまれた。逃げよう。


「もう時間だから行くね」

「ええ。せいぜい体と心に気を付けなさい」

「心配してくれてありがとう。またね」


 手を振って正門へと歩を進める。何だか味気なさを感じた。


 似たシーンを小説で読んだことがある。別れはもっとこう、胸にくるものだったはずだ。ないものを満たすには何を話すべきだろう。


 思い付いた。私は足を止めて体を反転させる。


「知ってた? 佐上さんって、南木さんを悪く言ったことは一回もないんだよ?」

「え?」


 走る。


 質問は受け付けない。用意された自動運転車に乗り込み、次に寝泊まりすることになる施設へと出発する。


 移動は一日も掛からなかった。その日の内に到着し、あいさつも含めた手続きを済ませる。同僚と顔合わせして一日が終わった。


 次の日から訓練に参加した。


 射撃、短距離走、持久走。知識を問われる勉学。訓練の内容はこれまでと変わらない。


 軍事作戦にも参加した。無人兵器の破壊、害獣の討伐、エリアの安全確保。思い切って環境を変えたのが良かったらしい。少しだけモチベーションが回復した。初対面の人達に無様は見せられない。その一心で頑張った。相変わらず望む仕事は舞いこまないけど、気が休まらない日々はいい緊張感を与えてくれた。


 職務をこなす内にマントが手渡された。


 前の施設でも見たことがある。成績上位者に配布される品だ。結構頑張ったつもりだけどマントの色は白。黒いマントは誰が持っているんだろう?


 ファースト・マントの所有者には特別な権利が与えられる。食堂では、特定の席で特別メニューを注文できる。


 見張っていると、少年がその席に着いた。どことなく見覚えのある人だ。


 お友達に名前を聞いて驚いた。解代ジン。私の命の恩人であり、私がこの道を進むきっかけになった人物だ。


 彼はいつも独りだった。嫌われるような人じゃなかったのに、いつも力ない瞳で動いている。


 お友達に思い至る節を聞いても要領を得ない。皆何かを隠している。分かっていても聞き出せないのがもどかしい。もっと仲良くならないと教えてもらえないんだろうか。


 もたもたしてもいられない。私の心に、数か月前にあったむなしさが根付き始めた。このままじゃ私はまた駄目になる。強い焦燥感と不安で目が覚める夜もあった。


 ある日。射撃場で解代くんの姿を見つけた。


 ファースト・ラウンドで的の真ん中を撃ち抜いた。次のラウンドでは、宙に揺れる落ち葉に風穴を開けた上で的に着弾させた。


 凄いと感嘆したのもつかの間。解代くんが射撃場を出ていった。


 話し掛けるチャンスだと思った。私はセカンド・マントを持っている。一回だけなら訓練を休んでもお咎めなしだ。


 私は解代くんの後を追った。廊下を疾走し、階段を上って窓越しに彼の背中を見つける。追って中庭の歩行スペースに踏み込むと、解代くんは原っぱの上で仰向けになった。


 初対面の頃とは似ても似つかない。心の炎が消えてしまったかのようだった。当たり前のように昼寝する様子からは、首席の風格やプライドが一切感じられない。


 解代くんも同じなんだろうか。何かに悩み、答えを出してこんなことをやっているのだろうか。


 そんな彼なら、私の悩みを解決する方法を知っているかもしれない。わらをもつかむ思いで足を前に出す。


「こんなところで何をしているの?」


 この問い掛けを以って動かそう。一度は憧れた背中と肩を並べて、そしてまた始めるんだ。


 私の、玖城ミカナの止まってしまった青春を。

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