第8小節

「お前、帰る場所はないのか……?」


 子猫に問いかけるが、天音の言葉に返答はなかった。


 怪我をしていた右足も少しずつ回復している。見つけた時にすぐに獣医に連れて行ったため、回復も早いようだった。時折、子猫は天音に甘えるように鳴き声をあげる。


 天音の意思とは関係なく、子猫はあちらこちらへ向かおうとする。


 拾ってきてしまったのは衝動的であったが、天音の家に子猫を飼うような環境はなかった。そのため、数日のうちに親を見つけなければいけない。


 天音は思考を巡らせる。


「はあ……。あまり気は乗らないが……」


 独り言を呟くと、携帯を取り出す。


 繋がった相手に事情を話すと、十分も経たずに自宅のインターフォンが鳴った。


「いらっしゃい」


「お邪魔します」


 満面の笑みの灯里が立っていた。


「びっくりしたよ、こんなに早く来るなんて」


「ママが車を出してくれたんだ。でも、まさか天音ちゃんがこの子猫を拾っていたなんて……」


 天音は肩を竦ませる。


「私も驚いてるよ」


「だよね。天音ちゃんってピアノ以外に興味ないと思ってたよ」


「それはお互い様な気もするな」


「それはそうかもね」


 自然と笑みが溢れる。


「それで、天音ちゃんが拾った子猫ってどこにいるの?」


「ああ、私の部屋で過ごしてるよ」


 天音は灯里を自宅に招いた事はない。


 二人は同じ音を求める者であって友人ではない。天音にとっても、何かをお願いする事をしたいと思ってはいなかった。


「可愛いねー。よしよし、こっちにおいでー」


 子猫を見るなり灯里は声をあげた。子猫はビクビクと怯えながら、部屋の隅に隠れてしまった。


「あらら、逃げちゃった……」


「灯里もピアノには好かれてるいるが、子猫には好かれないんだな」


 天音は笑いながら言う。


「むー、笑わないでよ。きっと緊張してるだけだよ」


「悪い悪い。でも、灯里が引き取ってくれるのは本当に助かるよ」


 天音がそう言うところで、子猫は天音の方へと擦り寄ってくる。


「やっぱり、天音ちゃんが良いんだー」


 灯里が嘆く。天音は仕方ないなと肩を竦める。


「私はここ数日、面倒を見てたからな。すぐに灯里にも懐くさ」


 灯里は両手を広げて子猫を迎えようとする。


 子猫は戸惑うように天音と灯里の顔を確認する。


「そういえば、この子の名前ってあるの?」


「あ、いや。そういえば名前はつけてなかったな」


「そうなんだー。うーん……」


 灯里は考え込んだ。天音は灯里の考えが纏まるのを待った。しばらくすると、灯里は何かを閃いた。


「そうだ! 天音と灯里だから、あかねちゃんにしよう! ほーら、あかねちゃん、おいでー」


 灯里は勝手に思いつき、勝手に名付けた。


「安直だな」


 天音は笑みをこぼしながら言う。


「良いんだよ。わかりやすくて。ね! あかねちゃん!」


 天音が少し目を離している間に、子猫は灯里の手の中にいた。


 灯里は子猫の右足を撫でる。それに合わせて子猫の体が跳ね、鳴き声が響いた。


「あっ、ごめんね、あかねちゃん……。でもやっぱりこの声は……」


「……灯里?」


 灯里は天音の問いに体を跳ねさせる。


「ううん! なんでもない!」


 子猫は天音に擦り寄っている。


 天音は肩を竦める。


「灯里にもすぐに懐くさ」


「そうだね。じゃあ、このまま連れて帰るね!」


「よろしく頼む」


「うむ、頼まれた!」


 灯里は強引に子猫を抱える。


 灯里は上機嫌に忙しなく、天音の家を出ていく。


 天音は思い返す。


 あの子猫の鳴き声は、灯里の探し求めていた、ラの音だった。

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