第24話 最終回 感想2・個人的に残る疑問

 さて、前回のエピソードが1万字にせまる長文になってしまったので、最終話の感想は2話に分ける運びとなりました。

 今回は、個人的にまだ解決していないと思っている点についていくつか述べていきたいと思います。


◆個人的に残る疑問

 ――スレッタの正体(リプリチャイルド)はなんだったのか

 本作一番の謎と言っていいのがこれでしょう。というのも、スレッタ以外のリプリチャイルドたちは実体がなく、データストームか何かで作られた非物質的な存在だからです。同じ「リプリチャイルド」とされながら実体があるスレッタは、明らかに他のリプリチャイルドたちとは別の方法で生まれてきたものと思われます。ベルメリアの本編中での発言からして「スレッタはエリクトと同じ遺伝子を持つ」ので普通に考えればクローンなのでしょうが、試験管ベイビーだったのかプロスペラがお腹を痛めて産んだ子なのかは謎です。後者だった場合、プロスペラの愛情はより確かに感じられるので、その辺りをはっきり知りたかったなと思う次第でした。


 ――「水星に学校をつくる」スレッタの夢はどうなったのか

 最後のシーンでスレッタたちがいるのは、地球の麦畑だと思われます。水星であれば宇宙ステーションの中でしか生きられないでしょうからね。おぼつかない足取りで子どもたちの後を追いかけていたスレッタは、おそらく重力下で歩けるよう訓練しているのでしょう。

 彼女はミオリネに対して、「地球にも学校をつくりたい」と言っていましたが、元々の夢は「水星に学校をつくること」だったはずです。その夢はどうなったのでしょう。もちろん、キャリバーン搭乗後は身体が自由に動かず、学校をつくるどころではなかったとは思いますが、順序的には水星に学校をつくる→地球に学校をつくるという流れになるのかなと思ったので意外でした。

 実際には、水星には子どもがほとんど住んでいないと思われるので、地球にまず学校をつくる方がハードルが低いのかもしれませんね。そこでノウハウを学び、同時並行で水星のインフラを整えて学校をつくる……長い道のりになりそうですが、ミオリネ社長の資金力も借りながらなんとか成し遂げて見せて欲しいところです。


 ――タイトル回収、タイトルの意味

 第11話のタイトルが「地球の魔女」だったので、それと対比させる意味も込めて第2クールの終盤、ないしは最終話に「水星の魔女」というサブタイトルのエピソードが来るのではないかと密かに思っていたのですが、来ませんでしたね。

 本作で「魔女」というワードが何度も出てきますが、定義は意外とあいまいです。GUND-ARM開発者(プロスペラ、ベルメリア)のことなのか、GUND-ARM搭乗者(スレッタ、エラン、ソフィ、ノレアら)のことなのか。どちらともとれるシーンが本編では散見されました。例えば2話の審問会でプロスペラが「お前は魔女か?」と問いかけるシーンやヴィムが「魔女め……」と苦々し気に呟くシーンでは、魔女=プロスペラを指しています。また、ミオリネがベルメリアを訪ねていったときにした質問では、魔女=ベルメリアというニュアンスを含んでいました。

 他方で、2話でスレッタが尋問の際に魔女呼ばわりされたり、ソフィがスレッタに対して「地球の魔女」を自称している辺りでは、GUND-ARMのパイロット=魔女と解釈されています。


 そうなると気になってくるのが、本作のタイトルである「水星の魔女」とはプロスペラとスレッタ、どちらを指していたのかということです。キャッチコピー「その魔女は、ガンダムを駆る」と組み合わせて考えるならば魔女=スレッタですし、主人公を意味するタイトルになっている方が自然なので、この考えはしっくりきます。

 他方で、本編ではスレッタよりもむしろプロスペラのほうが魔女呼ばわりされる機会が多く、動きも魔女っぽかったと感じます。魔術たるGUNDを利用して世界を書き換えようとするさまは魔女そのものです。

 私の考えとしては、制作側はあえてどちらかに特定させないことで、プロスペラの物語ともスレッタの物語ともとれるようにしたのではないでしょうか。prologueから見ていると、本作はプロスペラの復讐とエリクトの復活への願いの物語にとれますし、1話から見ていると、本作はスレッタの母からの自立と自らの幸せを自分の手でつかみ取りに行く物語にとれます。どちらの説をとったとしても前者はオックス・アースの壊滅とエリクトの生存、後者は最終決戦での生存およびミオリネとの結婚という形で「祝福」されて幕を閉じたわけです。

 ゆえに、どちらを主人公ととってもハッピーエンドで幕を閉じたという意味で、複数の見方をして本作を見た方でも満足のいく終わり方だったのではないかと思います。


 ――ノートレットの死因は何だったのか

 個人的に地味に気になっているのはこれです。ノートレットは恐らく事故死で、彼女の葬儀にデリングが顔を出さなかったことが、ミオリネとの確執の原因となっていました。彼女が生きていればプロスペラのクワイエット・ゼロ計画も本編通りにはいかなかったでしょうし、結局彼女がミオリネに遺していたメッセージが解除コードに繋がっていたことなどを考えると、死人ではありますがかなり重要人物であったことがわかります。しかし、本編では手がOP映像に出てくるだけで、顔すら明らかになっていません。そんな彼女の死因は何だったのでしょうか。

 クワイエット・ゼロの話をラジャンから聞いたミオリネが「政略結婚だと思っていた」と発言していたことから、ノートレットはかなりのお嬢様だと思われます。他方で地球で育つ植物を研究していたことから、アーシアンであった可能性もあるのではないかと思われます。例えばデリングを狙ったテロにノートレットが巻き込まれたとか、アーシアンなのにスペーシアンの総裁と結婚したことをよく思わない勢力に攻撃されたとかが考えられます。

 ノートレットのエピソードが今後補足される可能性は低いですが、この辺りがわかると物語への解像度が上がるので興味があります。


 ――ルブリス・ウルは残存しているのか

  キャリバーン&スレッタが覚醒した際、周囲にいた4機のGUND-ARMが終結してビーム砲をオーバーライドさせ、機能を停止させたのちに塵に還りました。このとき気になったのは、接収されたルブリス・ウルがどうなったのかということです。

 エラン(5号)が乗っていたウルはフロント管理公社のデミギャザリンに取り囲まれていたことから、フロントに回収されたものと思われます。これがもし解体されずに残っているなら、本編に出てきたGUND-ARMの中で唯一残存している機体ということになります。

 プロスペラはルブリスウル/ソーンの存在を嫌悪しており、それをなくすべく諸悪の根源たるオックス・アースの量産型ルブリスを破壊したのであって、ウル自体もなくしたかったはずです。しかしこうして所属が曖昧なまま残ってしまったとなると、将来の禍根になる気がしてなりません。もしキャリバーンが覚醒した宙域の近くにウルもいて、共に塵となって消えていたなら問題は無いのですが、だとしたら本編の中で描写されると思うのですよね。

 ウルを除くあの4機だけが集まった理由として、ネットで見かけた考察の中で興味深かったのはイギリスの結婚式の伝統「something four」を踏襲しているのではないか、という意見です。

 something four というのは、イギリスの結婚式の風習で、結婚式にサムシングフォーと呼ばれる4つののアイテムを取り入れると、一生幸せになれると言われているそうです。具体的には下記4つを示します。

・サムシングオールド(古いもの):家族の絆や伝統を表す

・サムシングニュー(新しいもの):未来への希望を表す

・サムシングボロー(借りたもの):友人、隣人のつながりを表す

・サムシングブルー(青いもの):花嫁の清らかさを表す


※参考サイト:フェスタリアブライダル

https://www.festaria.jp/journal/column/272


 このsomething fourに24話で集ったGUND-ARM4機をあてはめると、下記のようになります。

・サムシングオールド(古いもの):キャリバーン

・サムシングニュー(新しいもの):シュバルゼッテ

・サムシングボロー(借りたもの):ファラクト

・サムシングブルー(青いもの):エアリアル


 キャリバーンは21年前の機体ですから疑いの余地なく古いものですね。オックスアース社製ですからGUND-ARMの伝統の源流にある機体ともいえるでしょう。そしてこの4機の中で一番新しいのはシュバルゼッテ。搭乗者であるラウダの恋人であるペトラがGUND医療のテスターになっている辺りからも、未来への希望を感じられます。そしてファラクトはこの4機で唯一、シン・セー開発公社の流れをくまない機体です。その意味で、シン・セー側の勢力であるスレッタからすれば「借りたもの」と解釈ができるでしょう。そしてエアリアルが青いMSであることに疑いの余地はありません。これらを花婿のスレッタが集めて、ミオリネに贈ることでクワイエット・ゼロを消滅させるという祝福を与えたと解釈すれば、なぜ24話で集まったGUND-ARMがあの4機だけだったのかが説明できるというわけです。

 製作陣がこれを意図して作っていたのだとすれば、ウルがハブられた理由としては納得できますが、逆にウルがこの祝福の輪に加われなかったことで、新たな火種となってしまう予感もします。


 ――カルド博士が望んだ「GUNDが救う未来」は実現するのか

 カルド博士はprologueにて、絶命の直前に「おまえたちが奪うのは、GUNDが救うだろう未来だぞ!」と叫びます。これが具体的に何を指していたのかはわかりません。普通に考えれば、GUND医療によって義肢が作られ、多くの人の命が救われるという文脈だと思いますが、カルド博士はそれ以上のことを考えていたのだと思えてなりません。

 ここで気になるのがルブリスを指して博士が、「こいつは特別」と言っていたことです。単にGUNDが救うのが手足などを失った人ということだったら、わざわざオックス・アースと組んでGUND-ARMを作ったりはしなかったでしょう。やはり宇宙で生活するためのボディスーツ的な役割を、GUND-ARMに期待していたのではないかと思えてなりません。


 しかし、ウル以外のGUND-ARMはすべて塵に還りました。シン・セー開発公社にはGUND-ARMの開発データが遺されているでしょうから、新しく作ることは不可能ではないでしょう。しかし、それは登場人物の誰も望んでいないように思われます。これからの世界にはGUND-ARMは不要で、代わりにGUND医療を推し進めることで人々を救う。エピローグからはそんなヴィジョンが感じられました。

 そうなると、カルド博士が期待していた「GUNDが救う未来」は訪れるのか、気になります。㈱ガンダムが進めるGUND医療だけで亡き博士は満足するのか、それより先、外宇宙に出ていく際にやはりGUND-ARMは必要だという発想が今後出てくるのか。私は後者になっていくのではないかと思います。


 かつて、ガンダム00では外宇宙から来る存在との「来るべき対話」のためにガンダムが必要だとされていました。水星の魔女では逆に、地球という名のゆりかごで生まれた人類が外宇宙に出ていくためにGUND-ARMが必要とされるのかもしれません。

 今後水星の魔女で、未来の姿が描かれることがあるのかはわかりませんが、仮に続編が作られるならばそういったお話になるのではないかと予測します。



◆最後に

 ここに何点か気になったことを挙げましたが、概ねお話はきれいにまとまっていて、映像も音楽も美しく楽しめる作品でした。今までガンダムを見ていなかった方にも勧めやすいと思います。これを機に、ガンダムの世界を知ってくださる方が増えたらいいなと思いました。


 この感想置き場は、「カクヨムの全ジャンルで10万字前後の長編を書き上げる」という私の裏目標の達成のため、“創作論・評論”ジャンルを埋めるべく書き始めたものです。当初は自己満足のつもりで書き始めたのですが、思いのほか多くの方に読んでいただき、またコメントも頂戴し嬉しかったです。

 特にほぼ全エピソードにコメントをくださったハガネさん、夕日ゆうやさんには深く御礼申し上げます。他にもコメントや♡評価をくださった方、★評価をくださった方、お読みいただいた方すべてに感謝いたします。


 この感想置き場に遊びに来てくださった全ての人々にとって、水星の魔女が印象に残る作品になっていればいいなと願っております。

 今後も感想置き場は小説版の感想などを不定期でアップしていこうと思いますが、本編の完結に伴い一旦「完結」にさせていただきます。いままでお付き合いいただきありがとうございました。また、どこかでお会いすることがありましたら宜しくお願い申し上げます。

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