8 駆け引き
ビル街は相変わらず閑散としていた。
かつてはこの時間は出勤前のビジネスマンが沢山歩いていたかもしれないが、
今では誰もいないパルプのビルの真ん前に俺はウィングを着陸させた。
「絶対に離れるなよ。」
俺は後ろにいる緊張した顔のアイリスに声をかけた。
無謀なやり方だがこれしか方法がない。
それにいくらパルプとは言え易々と財閥の令嬢は殺せまい。
俺はビルの扉を開けた。
人の気配はなかったがきっと何処かで見ているだろう。
その証拠にエレベーターにたどりつく前に一人の男がやって来た。
「失礼ですがどう言ったご用件で…。」
見た目は普通のサラリーマンの様だ。しかし、目は笑ってはいない。
「この上にいる人に聞きたい事があってね。」
知らぬうちに何人もの人相の悪い奴が集まって来た。
俺は少し焦った。一人ならどんな事でもして切り抜けられる。
しかし、今日は連れがいる。
だがその時アイリスが俺の前に出て来て、
奴らに向かってまるで王族にお辞儀をするように頭を下げた。
スカートを少し持ち上げ膝を曲げてやるあれだ。
俺は面食らった。
奴らも同様だっただろう。こんな緊迫した場面でいきなり社交界だ。
そして彼女は顔を上げ、にっこりと笑った。
あの邪気の無い素直な笑顔。
人を引き付けるあの笑顔は
もしかするとものすごい武器なのかも知れない。
「お手数をかけて申し訳ないのですが、
パルプさんにお会いしたいのです。
どうか取り次いで頂けないでしょうか。」
サラリーマン風の男はにこにこしている彼女をぽかんと見ていたが、
はっと真顔になった。
「しかし、身元の分からない人には…。」
「私はアイリス・エレ・ワーズです。
こちらはベルツ・ゴッドウィンさん、私はエレ財閥の関係者です。」
どんな時でも不敵な笑いを浮かべてクールに、
と言うのが俺好みのスタイルだ。
だがこの時は俺はどんな顔をしていたのだろう。
俺の名前は明かされ、
彼女の正体も知られて真っ裸で立っている様な気持ちだった。
だがエレ財閥の名を聞いてさすがに奴らも少し考えたらしい。
サラリーマン風の男は通信機で小声で話し出した。
「お上がりください。パルプ様がお会いになるそうです。」
彼女は丁寧に礼を言うと堂々とその男の後について行った。
俺も慌ててその後に付いたが、
すっかり彼女に位負けしているようで居心地が悪かった。
音もなくエレベーターは上がっていく。
見た目は古ぼけたビルだったが、装備はかなりのものらしい。
ここは地球のパルプの本アジトなのかもしれない。
きっとここも付けられたカメラで奴は見ているだろう。
奴は裏の世界では超有名人だ。
俺は少々緊張していたがそんな事を知られては付け込まれてしまう。
「ねえ……。」
緊迫したエレベーターの中で彼女は俺に話しかけた。
「あの時あなたが食べていたヌードルは美味しいの?」
「え?」
一瞬俺は何の事か分からなかった。
「茶色のぬるっとした物がかかっていたヌードルよ。」
「……炸醤麺の事か?」
「そう、あれ美味しそうだったわね。」
この状況でこんな事を考えているとは。
渋い顔をしていたはずのあの男も妙な顔をしている。
だが俺はその会話に少し体の力が抜けた気がした。
「あそこは結構うまいんだ。戻ったら一緒に食いに行こう。
あんたもどうだい?」
ボタンのそばに立っている男に俺は話しかける。
気持ちがクールになって来た。
彼女は人の心を読む天才かもしれない。
やがてエレベーターは最上界に着いた。
扉が開くとそこには絨毯敷きの豪華な通路があった。
「すげえな。」
やがて俺達は広い部屋に通された。
アイリスはすっかり落ち着いて座っている。
「やあ、お待たせした。」
ダブルの背広がはち切れそうなパルプがゆったりと笑いながらやって来た。
アイリスはすっと立ち上がり、
パルプに向かって再び最上級のお辞儀をした。
「度胸のあるお嬢さんだ。その勇気に免じて今回は私も紳士になろう。」
奴はぎろりと俺を見た。さすがに凄みがある。
「パルプさん、お聞きしたい事があるのです。
ウインザー・ドルリアンの事で。」
彼女が口火を切った。
「ドルリアンの事を知っているとは驚いたな。」
「昨日、大型ウイングでどこかに連れていくつもりだったんだろ。」
「もしかするとあの蚊蜻蛉はお前か?
あんな事をすると手が後ろにまわるぞ。」
おかしな事を言う奴だ。
パルプはマーズギャングで警察と関係があるはずはない。
それに俺は間接的だがその警察から頼まれてドルリアンを追っているのだ。
「どうして俺が捕まるんだ?捕まるのはお前の方じゃないか。
ドルリアンを殺すつもりだったんだろ。」
「とんでもない、私は警察の依頼でドルリアンを捜し出し保護していたんだよ。
昨日の大型ウィングは警察のものだ。」
その時、さっきのサラリーマン風の男がやって来てパルプに耳打ちした。
「ベルツ・ゴッドウィン、探し屋か。お前もドルリアンを追っていたんだな。
警察も別に依頼しているとは人が悪い。」
「一体どういう事なんだ?」
だがパルプは俺の問いに答えず、
後ろにふんぞりかえったまま何も言わなかった。
だが、状況は俺が知っている事とはどうも違うらしい。
「パルプさん。」
アイリスが真っすぐパルプを見て言った。
「私はドルリアンの娘です。」
パルプの顔が呆気にとられた表情になった。
「しかし、アイリスさん、名前からしてあなたはエレ財閥の血縁者でしょう。」
「ええ、そうです。
昔、私の母と父は駆け落ちして私が生まれたんです。
私の母はモーヴェイン。」
パルプは腕組みをしてため息をついた。
「去年亡くなったエレの総裁だな。
直接会った事はないがかなりのやり手だったな。
若くして亡くなったが、ふむ……。」
「ここまで明かしたからには私にも覚悟があります。
それにあなたは表立っては出なくても、
火星の政財界ではよくお名前をお聞きする実力者です。
どうか私のお願いを叶えてください。
私はただドルリアンに会いたいだけです。」
「あれから探させてはいるが、私もまだ行先はつかめていないんだよ。
それにドルリアンは死にたがっていた。だから今はどうなっているか。」
アイリスの表情が硬くなった。
「パルプ、一体あんたとドルリアンはどんな関係なんだ。」
「ドルリアンは私の部下だった。十年程前からいる。
かなり優秀だったが、素性も分からなくてつかみ所がなかったな。
だが冷静な奴だから上手く行くと思ったが…。」
一年ほど前にドルリアンが火星政府へ詐欺を働いたのは事実だった。
だが、それはその本人の犯罪ではなく、
パルプに莫大な借金をしていた政府高官の負債を取り戻すため、
その高官の情報でコンピュータハックしたのだった。
パルプも犯罪を示唆した意味では犯罪者なのだが、
その政府高官は悪評紛々の人物だったらしい。
パルプの犯罪示唆の件をちゃらにする代わりに高官の悪事を暴くため、
ドルリアンを証人として引き渡す約束が警察と出来ていた。
だが、三週間前に突然ドルリアンが姿を消した。
パルプもあせって探したがなかなか見つからない。
警察としてもパルプの差し金かも知れないと思い、
ダウザーにも依頼したのだろう。
もちろん秘密のため俺の様な外注に来たらしい。
「奴がまさかエレ財閥と関係があったとはな。」
パルプにしたら俺達にこの話をしたのは破格のサービスだったろう。
「父は罪に問われるのでしょうか。」
「今回は証人だからほぼお咎めなしですよ。まあ、私もね。」
「その代わり別の人間が捕まるわけだ。」
俺は少し皮肉った。パルプがぎろりと睨む。
「パルプさん、教えてくださってありがとうございます。」
「いや、あなたのような方にこんな話をしてしまって、
私は少し恥ずかしい。
だが生きていくためには泥水も飲まなくてはいけない事もあるんですよ。
だが私はそれなりの人にはそれなりの対応をする。
あなたのような礼儀正しく美しい貴婦人には敬意を表して…。」
パルプは彼女の手を取り、そっと口づけた。
「また違う場所でお会いしましょう。こんな奴がいない所で……。」
このおっさんは俺をちらりと見ながらこんな事を言いやがった。
「お父さんが見つかったらご連絡しましょう。
警察には引き渡さなくてはならないが、
その前に必ず会える様にしますよ。」
「ありがとうございます。御恩は忘れませんわ。」
俺とアイリスはパルプのビルを無事に出る事が出来た。
しかも出口までパルプは見送りに来た。
よほどアイリスが気に入ったらしい。
「あのおっさん、もう5回も結婚しているぜ。」
俺はウィングを操縦しながら彼女に言った。
「あら、そう。」
「しかも分かるだろ?きっとエレと繋がりが欲しいだけだぜ。
呼ばれても一人で行くなよ。」
「そうね。でも約束は守る人だと思うわ。」
俺は少しいらいらして運転が荒くなりそうだった。だがその時、
『ベルツ、男の嫉妬はみっともないわよ。』
キューサクだ。
「馬鹿野郎、嫉妬なんかしてねえよ!
ところで情報屋から何か連絡あったか。」
『ないわ。出国出来ないはずだからまだ地球にいると思うんだけど、
どうすんの。』
「もしかすると…。」
アイリスが呟いた。
「もしかすると、母と住んでいた所にいるかもしれない。」
『……そうね、自分の娘が現れたの知って、
何か思うところかあるかもしれないわね。』
「そこは何処だ?」
「旧アメリカのサバナよ。」
『分かったわ。ジェイ・ブルーならすぐ着くから一度こちらに戻りなさい。
もうここまで来たら仕方ないわ。
財閥から来る人達には待ってもらって、とことん探しましょ。
探し屋としての意地よ、これは。』
「キューサクさん、ありがとう。」
キューサクは返事もせず通信を切った。
きっと向こうでにやついているに違いない。
俺は機首をジェイ・ブルーに向けた。
「見つからなくてもがっかりするなよ。
いつもヒットとは限らないからな。」
「分かっているわ。でもベルツ……。」
後ろの補助席にいる彼女は俺に少し体をもたせかけた。
「色々と私のためにやってくれて、嬉しい。」
昨日とうって変わって空は鮮やかに晴れていた。
そんな空を切り裂くように飛ぶウィングのエンジンの振動と、
背中の微かな彼女の温かみが俺には心地良かった。
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