6  アイリスの秘密





気が付くとジェイ・ブルーに俺はいた。

壁の時計を見るともう夜だった。

俺は半日位気を失っていたらしい。


「痛てっ。」


体の節々が痛い。


「情けないわね。ベルツ。」


キューサクが濡れタオルを持ってやって来た。

俺はゆっくりと体を起こした。


「それを言うなって、キューサク。」


口の中が切れ、ぶよぶよして喋りにくい。

しかし、俺は目の前にいた男を逃がしてしまったことが悔しかった。


「全部見てたわよ。あのドルリアンってただの男じゃないわね。

あんたがこんなにやられちゃうなんてさ。それにあの子……。」


キューサクはタオルを俺に投げてよこした。


「ドルリアンの娘だったなんて、びっくり。」


確かに最初から何かあるとは思っていたが血縁者だったとは。

でも少しおかしい。

身内なのにわざわざ自分が娘だと名乗るだろうか……。


「アイリスは?」

「キャビンにいるわ。すっごく落ち込んでる。」


俺は痛む体を起こし、キャビンに向かった。

そこに続く通路の丸い窓には雨の筋が流れていた。

昼間の雲が雨を呼んだのだろうか。外の明かりは雨に滲み揺れていた。


薄暗いキャビンではアイリスがソファーに膝を抱えて座っていた。

テレビが付いていたが見ているかどうか。

むなしくニュースだけが流れていた。


「アイリス。」


彼女の姿が少し動いたが、振り向かなかった。


「悪かった、逃がしちまって。」


テレビではニュースキャスターが何かニュースを読んでいる。

でも音がほとんど聞こえないので、

口をぱくぱくさせているだけのつまらない映像だ。

もしかしたら今の俺の言葉も彼女にはそうなのかもしれない。


「いいの、仕方ないもの。」


くぐもった声が聞こえた。きっと泣いていたのだろう。


「アイリス、良かったら訳を聞かせてくれないか。」


人の過去を根掘り葉掘り詮索する癖は俺にはない。

だが、この若い女が一人で抱えている何かを知らなければいけない気がした。


俺は彼女の横に座った。


「……私が育った所は夜になると決まって雨が降ったわ。」


彼女はキャビンの小さな窓を見た。


「それを見て母が泣くの。夜の雨は嫌いだって。

そんな時、私はどうしたらいいのか分からなかった。

黙って母の側にいたわ。

普段はとても強くて毅然として素敵な人だったけど、

夜になると辛くて泣いていた。だから私も夜の雨は嫌い。」

「寒いところだと言っていたな。」

「そう、火星のドーンダークよ。

いつも曇りがちで暗くて寒くて、私は独りぼっちだった。」

「お母さんは?」

「一年前に死んだの。強い母だったけど病気には勝てなかったわ。」

「ドルリアンがお父さん?」

「ええ。でも私はずっと父の事を知らなかったのよ。

でもある時、母が隠していた写真を見つけてしまって、

それで仕方なく教えてくれたわ。」


彼女は胸元のペンダントをそっと触った。

薄暗い中にぼんやりと若い男が赤ん坊を抱き、

女がそれに寄り添っている姿が浮かび上がった。

それは立体ホログラムの映像だった。


「ドルリアンだ。」


姿は若くて全然違っていたが、その男はドルリアンだった。

そしてその横の女はアイリスにそっくりだった。


粗末なテラスの片隅で写した写真だった。

奥にはよく晴れ渡った空と緑の畑が見える。


「私の母よ。そしてその赤ちゃんは私。」


写真の隅に手書きの「サバナ」と言う文字が添えてあった。

元々ポラロイドか何かで写されたものをホログラムに転写したのだろう。

あまりはっきりとしていないが、

そのぼんやりと止められた時間の中で、3人はとても幸せそうに笑っていた。


「父と母はこの地球に駆け落ちしたの。

でも私が生まれてしばらくして母は火星に戻ったわ。

その後父とは全く音信不通だったみたい。

でも私はずっと父を知らなかったし、母も何も言わなかった。

でも母は夜になると泣くの。

いつもは忘れた振りをしていても父を想って泣いていたのよ。」


アイリスはペンダントをしまった。


「そのうち母は病気になってしまった。

私は父を探したかったけど、周りの人にも知られたくなかったし、

忙しくて何も出来なかった。

でも意識が無くなった母が父の名前を呼ぶのを聞いて、

私はすごく悪い事をした気持ちになったの。

その後すぐに母は亡くなって、

私も忙しくなってしまってしばらくは忘れていたけど、

一年経って思い出したら居ても立ってもいられなくなって、

調べてもらったの。

そうしたら地球にいるらしいと聞いたから…。」


彼女は堪り兼ねたように顔を伏せた。


「……だからお父さんに会いたかったのか?」


俺はそっと聞いた。


「違うの、知らせたかったの。

母が死んだ事を……。あなたを想ったまま死んでいったのよって……。」


そう言って顔を上げた彼女の目は驚くほど暗かった。

今まで見ていた彼女とは全く違うものがそこにあった。


雨は相変わらず激しく降っていた。

だが船内にはその音は聞こえず、窓を伝う水の流れだけが壁に映っていた。






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