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グルメレビューサイトでじわじわと人気を集めているレビュアーの正体は40代の女性だった。
アカウント名が「ギョウザ部部長」と性別の判断がしづらいもので、直接会うまで僕はあまり固定のイメージを抱かないようにしていた。一度そうだと思い込むと予想が外れたときに頭を切り替えるまで時間をロスしてしまうからだ。
会社員だというギョウザ部部長に取材を依頼すると、退勤後のPM6:30を約束の時間に指定してきた。待ち合わせ場所は当然ギョウザのうまい店かと思いきや、どこにでも展開しているファミレスだった。
「知ってます? このファミレスのギョウザ、最近リニューアルしてめっちゃおいしくなったんですよ」
注文後、メニューを閉じてコップの水を飲みながらギョウザ部部長は言った。初めて聞いたその人の口調は、関西のほうのイントネーションだった。
すっかりギョウザの口になっていた僕は一度裏切られながらも、ここでまた気分が上昇するのを感じた。個人店だけでなく、ファミレスのギョウザまでリサーチしているところがさすがだった。おしゃれなインスタグラマーが意外なメーカーの服をコーディネートに取り入れているような感覚に似ていた。
「ファミレスはけっこう利用するほうだと思うんですけど、ギョウザは食べたことありませんでした」
僕がファミレスで頼むものといったら、おおよそがエビグラタンだった。昼食に3日間連続で食べていたこともあった。
「身近でリーズナブルなお料理がおいしいってサイコーですよね」
ギョウザ部部長はそう言うと、隣の席の小学生くらいの男の子が食べているお子様プレートを鼻の下を伸ばして覗き込んだ。それを聞く限り、彼女にとって評価に値する料理とは、旬な話題性とか、インスタ映えするとか、行列があるとか、そういった基準で選ぶものではないようだった。
「確かに、大勢の人が簡単に食べられるものがおいしいのはいいことですね」
「ですよね。わたし、出来るだけそういうん広めたくてレビュー書き始めたんですよ」
「そんなバックボーンがあるんですね。あ、取材始めても大丈夫でしょうか」
「かまいませんよ」
許可を得てレコーダーのスイッチを入れる。2人分のギョウザが鉄板に乗って届いた。やや周りの視線を気にしながら、ギョウザとギョウザ部部長の写真を1枚ずつ撮影した。
「食べながらゆっくり話しましょか」
ギョウザ部部長は調味料を入れるための小皿を僕に差し出した。「どうも」と僕はそれを受け取り、代わりに彼女分の箸を手渡した。
「わたしんち、貧乏で、なかなか外食なんてできなかったんですよ」
いただきます、と両手を合わせる彼女を見て、僕も手を合わせる。ふと関西弁のイントネーションになりかけ、なんとか標準語に軌道修正した。本物の関西人の前で関西弁を話すことほど恥ずかしいものはない。するとその人は「あ、なるべく標準語でお話ししますね」と早口で言った。
「上京して自分で稼ぐようになって好きな物を食べられるようになって、最初はその開放感からただノリでレビューを書き込んだんです。それが思いのほか反響をもらって」
「目覚めたんですね」
「そうです、もともと食べ物への執着はものすごかったから、じゃあここに愛をぶつけようと思って今に至ります」
猫舌の僕にはまだ熱そうなギョウザを、ギョウザ部部長は箸で器用に持ち上げると一口でたいらげた。まったく熱そうな素ぶりを見せないので、意外と冷めているのかと思って僕も口に運んでみた。下唇にほんの少し触れただけでじゅっと音がしそうだった。僕は諦めて調味料が入っている小皿にギョウザを置いた。
人が愛を注ぐのは、人の形をしたものとは限らない。ギョウザ部部長のように食べ物をこよなく愛する人もいる。ナニモノに愛を抱くかは、生まれ育った環境下で何に執着していたかが大きく影響している気がした。
「ギョウザ部部長さんにとって愛ってなんですか?」
何食わぬ顔でギョウザを食べ進める彼女は、1口ごとに旨味という名の幸福を噛みしめているように目をつむる。その目をぱっと開いたとき、質問の答えをくれた。
「愛とは、食べること、かつ生きることだと思います。いつか自分の歯で噛めなくなって、嚥下機能が低下して普通の食事が飲み込めなくなっても、そのとき自分が食べられる形でもってして、さいごまで食べることを続けようって決めてます」
「そういうときが来たら、病院か老人ホームの食事専門の人気レビュアーになっているかもですね」
「ほんま、そうなれたらええなあ。あそこの食事がおいしいらしいって、入れ歯ガタガタ言わせながら情報交換したいですね」
少しの関西弁を交えながら、ギョウザ部部長は話し終えた。
そして僕は、もう1つだけギョウザ部部長に聞いておきたいことがあった。それはとても重要なことだった。
「ギョウザ部部長はギョウザ以外にも詳しいですよね。さすがにすべてのレビューは拝読できなかったのですが、いくつかチェックさせていただいたら、イタリアン方面にも多くコメントされているのを見つけました」
「雑食なもんで、基本なんでも食べます。昆虫食はまだ手を出せていませんが。ゴキブリはエビみたいな味がする種類がいるらしいですねえ」
「ゴキブリ食べる機会があったら、ぜひ教えてください。あ、それで、ひとつお聞きしたいことが」
「なんやろ?」
僕は此の期に及んで、その質問を真正面からすることにためらいを感じた。調味料漬けになってしまった小皿のギョウザを救出し口に入れた。その流れに乗って、おいしいと思ったか思わないかのところで、対面したときから実はずっと聞きたいと思っていたある質問をしてみた。
「イタリアン料理でおすすめのお店を教えていただけませんか、できればあまり有名でないところの」
「そんなことか。ええよ、あとでアクセス方法と一緒に送っとおきます」
僕はもう東京に住んで長いけれど、自分の店選びのセンスに自信がなかった。そんなことを言ったら、行きつけのカフェバーのオーナーである和栗さんに怒られそうだが。
地下アイドルやキャバ嬢の彼女たちの愛が月だとすると、今回のギョウザ部部長の食べ物への愛は太陽のようにカラッとしていた。もちろんどちらがいいという話ではない。暗い部分もあれば、明るい部分もあるのが人間だ。
ギョウザを完食し、ギョウザ部部長にお礼を言って別れた。ファミレスから数歩離れたとことで、ズボンのポケットのスマホが震え出した。電話の相手は絆だった。
「もしもし、どうしたの?」
未だに過去からの連絡かと思うほど、僕のなかで彼女の存在は非現実的だった。
「橋本くん、助けて」
問い返す間もなく、そこで回線は途切れた。相手がいなくなってしまった電話の向こうにはもう暗闇しか感じない。
もしかすると、大河原が現れたのかもしれない。
不安がよぎった僕は、つい最近LINEのやり取りで知った絆のアパートへ急いで向かった。
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