4-2
表の食品サンプルよりも実際のパフェは小ぶりだった。僕は思わず目を見張った。
注文した当の本人はまったく気にしておらず、生クリームのてっぺんに鎮座するさくらんぼをつまんだ。そして、そのまま口に運ぶのかと思いきや、六ツ折の紙ナプキンを敷いた上にそっと置いた。
「さくらんぼ、後から食べる派?」
僕は、生クリームが接着剤の役割を果たし紙ナプキンの上でも安定して立っているさくらんぼを見つめながら言った。柄の長いスプーンでバニラアイスを食べようとしていた絆はぴたっと動きを止めた。
「そんなこと聞いてくる橋本くんは始めに食べる派? でも、自分も後から食べる派だから、同じタイプの人を見つけて共感したかったとも考えられるね」
彼女は今度こそバニラアイスを食べた。
「え、突然の推理」
僕の発言を挟んで、生クリームを何度か口に運ぶと同じ調子でもう1つ仮説を並べた。
「あとは、もともとパフェなんか食べない派で、ただ聞いてみただけっていう線も残ってる」
僕はオムライスを一口だけ残して、唐突に始まった絆の推理ショーを聞いていた。
パノラマの窓からは歌舞伎町の街が一望できた。こんな場所のこんな時間の純喫茶には、僕たちのほかに、怪しげな男2人組と訳ありな年の差カップルがいるだけだった。
「結論としては?」
僕は冷え込む夜に誤って頼んでしまったクリームソーダをひと口吸い、絆の回答を待った。
「橋本くんは、さくらんぼを食べない派」
彼女が導き出した結論は、今までの会話のどこにも挙がっていないものだった。
僕はもともと長めだった袖をさらに引っ張って手を覆った。1人がけのソファが合い向かいに並べられた窓際の席は外の気温に影響されやすく、クリームソーダで冷えた体には堪えた。
寒がりの僕とは対照的に彼女は背筋を伸ばしてちっとも寒くなさそうに座っていた。
「正解、です。なんでわかったの?」
彼女の言う通り、僕はパフェやプリンなんかに乗っている缶詰チックなさくらんぼは食べない派だった。やった、と絆は単純に喜び、それからこう続けた。
「橋本くんは、自分にはまったく無関係な質問しかしない気がしたから」
本当にその通りだった。さくらんぼを後から食べようが始めに食べようが、食べない僕には関係のない話だった。
そこまで言い当てられ、僕はどきりとした。自分のことを見透かされたということもあったし、彼女が僕のことを正しく理解してくれていたということもあった。
「わたしはね、橋本くんに関係のある話がしたいよ」
そう言って絆は、バニラアイスをスプーンに乗っけたまま僕を透視するような目で見つめてきた。スプーンから溶け出したバニラアイスが1滴テーブルに垂れた。彼女はとくに反応しなかったけれど、たぶんそのことに気付いていた。
「うん、しよう」
僕は少し切ないものを思い出しながらそう言って、ひと口残りのオムライスをついに食べ切った。空になった皿をテーブルの淵へ避け、何から話そう、と改めて彼女に問いかけた。
「あの夜、何があったの」
第1問目から彼女は確信に触れる質問をしてきた。僕たちのあいだで、あの夜とは、あの夜のことしかなかった。コンビニのあの夜。彼女が腕の長さを分け与えてくれようとしたあの夜。初めての口付けが最後になったあの夜。
僕はささくれを一度撫でてから、乾燥して上唇と下唇が張り付いていた口を躊躇いがちに開いた。大きく息を吸い、発語する直前からもう何も考えないことにした。
「一言で言うと、母親に刺された」
思考が停止した僕の声は、過去の自分にも目の前にいる彼女にも非情で平坦だった。
「あの後、家に帰ったら母親が男を連れ込んでた。僕はそれ以前に母親に男がいることは薄々気付いてたのに、ものすごく混乱した。その訳はわかってて、母親がその男に『愛している』って言ったからだった。それは僕がずっと欲しかった言葉で、そんないくらでも替えの効く男に軽く言って欲しくなかった言葉だった。僕はもうそんな目の前の母親が憎らしくて、それでも愛してて、けど確かな裏切りで、刃物を握ることしかできなかった」
そう話している僕は、絆ではなくまったく関係のない少し遠くに座っている怪しい男2人組を眺めていた。自分の話をしているのに、他人事のような感覚でいた。
「母親が近づいてきて、僕は一瞬自分が母親を刺したんだと思った。けど、実際は自分が刺されてて、手が生ぬるい液体で濡れてて、鉄臭くて、僕はもうどこにも行けない気がした」
視界の隅で絆の肩あたりがぴくっと動いたのを捉えた。目の前に視線を戻すと、彼女は鼻先を赤く染めて泣いていた。
「泣かなくてもいい話だよ」
僕が言うと彼女は、そっか、と手首の内側の袖を目に当てた。
「わたし、橋本くんがいなくなってからいろいろ探してね、なんとか手紙だけは出したの」
やはりあの手紙は彼女だった。ほとんど確信していた僕はそれほど驚かなかった。
「あの手紙に救われたよ」
彼女はよかったと言って、紙ナプキンの上のさくらんぼをひょいと摘んで頬張った。
「あれ、さくらんぼ、後から食べる派じゃないの?」
「わたしはさくらんぼを途中で食べる派だよ」
僕は彼女が紙ナプキンにさくらんぼを避けたことで、勝手にそう思い込んでいた。確かに彼女はまだ、自分がいつさくらんぼを食べるのかを答えていなかった。
頬にさくらんぼの丸みを浮き上がらせながら、彼女は鼻筋にしわを寄せるようにして笑った。その目はまだ赤くて、店内の暖色系の明かりを受けて濡れていた
「僕も、聞きたいことがある」
「なに?」
本題を聞き出せた彼女は、すっかり緊張が溶けた様子でパフェの続きに取り掛かろうとしていた。
「なんで、水商売なの?」
僕が問うと、絆はわざとらしくパフェを運ぶ手を早めた。話せないくらいに口に詰め込んで、僕とは目を合わせようとしない。
僕は、彼女のパフェがなくなるまで根気強く沈黙を続けた。ついに最後のひと口を食べきってしまうと、絆は丸まったままのおしぼりで口を拭き、聞き逃してしまいそうなほどさり気なくつぶやいた。
「その話はまた今度」
彼女は眼下に広がる歌舞伎町の街を見渡した。
それから、「今度はイタリアンがいいな」と言った。
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最新話まで読んでいただきありがとうございます。
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今後の更新予定について。
月・水・金 17:00
※前回更新までは21:30とお知らせしておりました。
上記の日時に固定することにいたしました。何卒。
(火・木は新たな作品を更新していく予定です。ただいま準備をしております)
五味ごみ 零れい
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