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不動あさみの記事のタイトルは、『愛は殺意に似ている』ではなく『7年後の謝罪』に変更した。


殺意、というパワーワードが入っているほうが読者の目には止まりそうだったし、恋人を滅多刺しにした彼女の健在っぷりが見て取れた。


けれど、彼女がわざわざ取材を希望した理由は、被害者である彼に謝るためだった。愛情と殺意の区別がつかなくなるくらい思っていた人へ、ほんの少しだけ自分の奇怪さを客観視できるようになった今、直接会わずして謝罪するためだった。


タイトルを入力し直し、担当編集者へデータをメールで送信した。それが終わったのがPM7:00過ぎだった。今晩は例のママのところへ会いに行く予定はなく、冷蔵庫にはいつものように食べるものもない。


そんな夜にはなるべく歌舞伎町へ足を運ぶようにしていた。


高級クラブの壁に飾られた女の子の写真。頬杖をついてこちらへ笑いかける派手なドレスを着た古澤絆。


ネイビーのコートとタータンチェックのマフラーを身につけていたあの頃の素朴さはどこを探しても見当たらなかった。


あの高級クラブでの夜、写真の前で立ち止まって動かなくなった僕に、不動あさみはどうかしたのかとたずねた。僕は絆の写真を指差して「ここで働いてる子?」とわざわざ聞かずとも分かるようなことを問う。


それから、どんな子なのか、どこに住んでいるのか、今晩も出勤するのか、連絡先は分かるかと、不動あさみを質問責めにした。


彼女はそんな異様な様子の僕を見ても嫌な顔をするどころか、蔑んだりもしなかった。人が人を追い求めるとき、そこには何かわけがあることを彼女は知っていた。かつて、いや、今でも彼女自身がそうだからだと思う。


「何か力になりたいとは思うんですけど、あたし、その子のことぜんぜん知らなくて。たまにしか出勤しない子なので、話すタイミングがないんです」


「あ、でも、一度だけ話したことがあります」と、不動あさみは言った。僕は彼女が最後まで話終わらないうちに、何を話したのかと回答を急かした。


「『夜になると突然ホットケーキが作りたくなって、作りすぎちゃって、冷蔵庫の中がホットケーキだらけで困ってる』って。あたしも、夜になると突然彼に伝えたい言葉が溢れてきてメモに書いたりして、メモがパンクしそうになっちゃてるんで、わかるなあって」


その会話を聞いて、写真に写っているのは間違いなく彼女―古澤絆だと確信した。不動あさみの個人的なつぶやきについては申し訳ないが頭に入って来なかった。


絆の元彼である大河原という男も、彼女が夜の歌舞伎町で働いていることを知っているのだろうか。彼は、死に場所を探している絆を手伝うと言っていた。僕は早急に彼女を探し出して、最悪の事態を食い止めなければならない。そんな使命感のようなものを抱いていた。


僕はソファの上に無造作に放り出したままだったフリースジャケットを羽織り、マンションを出た。


絆の写真を見つけてから、ちょうど今夜で1週間が経った。その間、僕は4回ほど歌舞伎町の夜に繰り出し、彼女を探して回った。再会できないまま今日で5回目となった。


朝も夜も関係なく仕事をしていた頃と比べ、なんだか時間に余裕のある夜が多いなと思っていた。それは今まで無駄に過ごしていた午前中を意識的に有効活用するようになったのが理由だ。朝活を始めただとか、突然規則正しい生活に目覚めたとかではない。夜になったら歌舞伎町に繰り出して、彼女を探す時間を少しでも多く確保するということが目的だった。


僕は彼女を守りたいがために生活時間帯を変えた。この歳になるまで悪習慣を断ち切れなかったわけだが、今回は苦になることもなくあっさりと朝型の体と頭を手に入れることができた。


自宅から最寄りの駅で乗車すると、不動あさみからCメールが届いた。


「今夜あの子が出勤するって」


その文面を見て、ようやく僕と彼女の生きている時間がもう一度交差するタイミングがやって来たのだと感じた。


車体がゆっくりと動き出した。僕はつり革で体を支えながら、もう片方の手で「今から向かいます」と返信した。


新宿へ降り立つと、同じ頃に到着した人の群れのなかに大河原の姿があった。カーキのダウンジャケットにグレーのスウェットパンツ。スーツを着ていた葬式時とは雰囲気がだいぶ異なった。死神の付き人だったときよりかは、社会に馴染んでいた。


しかし、多くの人たちを隔ててほんのわずかに横顔が見えたとき、僕はぞっとした。


彼は笑ってこそいないものの、異様なまでに嬉々とした表情を浮かべていたのだ。あの場でそれに気付いたのは僕だけだったと思う。人混みを掻き分けて大河原に近づこうと動き出したときにはすでに遅く、その姿は普通に生きている人々のなかに紛れてしまった。


大河原と古澤絆を出会わせてはいけない。僕は歌舞伎町方面へと走った。


チャックテイラーの紐が解けたことに気付かず前方に踏み込むと、紐を踏みつけて自滅。顔から冷たい路面に倒れ込んだ。目の前に、ズボンのポケットから飛び出したスマホが滑り込んでくる。それを掴んで上半身を起こし靴紐を雑に縛り直した。立ち上がると、肘や膝をはじめ、体中の骨の出っ張った部分が疼いた。


寒さに反応して垂れてきた鼻汁をすすった。こんなのなんでもない、と自分に言い聞かせ、再び走り出した。


歌舞伎町一番街のアーチをくぐってまた少し走ると、ようやく絆の写真が飾られている例の店の前までたどり着いた。


狭い道路を挟んだ向こうに、道ゆく女の子たちのなかでも目立って腕の長い後ろ姿を見つけた。その人は冷え込む冬空の下で上着も着ず、袖のないワンピース1枚で立っていた。


僕は車が往来するのも気に留めず道路を渡った。


ピンクゴールドの華奢なブレスレットで上品に飾られた細い手首を、僕はあの頃と同じ感覚で掴んでしまった。当然、彼女は驚いて振り向いた。


途端、前田敦子の『君は僕だ』が頭のなかで流れ出す。最近食べたうまいラーメンの味が舌の上によみがえってくる。わぐりん、と呼んだたまりんの声がこだまする。タチバナさんのすかすかの口元、母親のヒステリックな声、彼女が貸してくれたタータンチェックのマフラーの温もり。


―わたしの腕をちょっとだけ切って橋本くんにくっ付けたら、お互いちょうどいい長さになるのにね。


走馬灯のような、あるいは本当に走馬灯だったのかもしれない。今日までにあった出来事がいっせいに僕の体から溢れ出した。


「橋本くん」


彼女は幽霊でも見たみたいな顔で僕の名前を呼んだ。




********


最新話まで読んでいただきありがとうございます。

( & いつもあたたかく見守っていただき感謝です。)


・ずっしりと重め系ストーリーが好き

・過去に何かあった系の設定が好き

・かわいそう&不完全な主人公が好き

・実際に青春時代に憧れたマドンナがいる

・応援してる!

・続きが気になる!


などなど、何かひとつでも思ってくださいましたら

❤︎・★評価・フォロー等よろしくお願いいたします。


今後の更新予定について。

月・水・金 21:30

上記の日時に固定することにいたしました。何卒。

(火・木は新たな作品を更新していく予定です。こちらもぜひ!)


五味ごみ れい



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