3-4
僕はどうも女の子を慰めるのが苦手だった。小学生や中学生の頃、放課後に女子だけを集めてひっそりと行われる月経についての話があるように、僕たち男には絶妙なホルモンバランスで生きている女の子たちの取り扱い方を教えてくれると助かる。そうすれば草食男子なんて言わせないし、もっと自信を持って生きていけるように思えた。
「あの人って昔付き合ってた、例の」
泣き出しそうで泣かない不動あさみにどう声をかけていいのか迷った末、僕は慎重に会話を続行することにした。そろっとテーブルの上にレコーダーを出して、録音することも伝えた。
彼女は肩にかかっていた長い髪を背中のほうへ払い、数回瞬きをした。もう一度目を合わせたときには僕の慰めなんかいらないくらい凛とした表情をしていた。
「そう、昔あたしが刺したあの人」
不動あさみが滅多刺しにしたホストは意外としぶとく生きていた。公にはされていないが彼女の取材に伴って個人的に調べてみたところ、彼の活動拠点は変わらず夜の街だった。ホストこそ辞めてしまったものの、代わりにホストクラブを経営していた。東京が肌に合っている人というのは例え死にかけても何度でもこの街でやり直せるもののようだった。
そして不思議なのは、当時使っていた源氏名を今でも名乗っているということだ。本名ならまだしも、わざわざ使いづらくなった源氏名のままでいるメリットが見つからなかった。
「事件当時の記事には
「だいたいそういうことです」
だいたい、と呟きながら僕は手元のメモに目を落とした。そこには当時の彼女の供述が書いてあった。―失いたくなくて刺した。刺しながら何度も愛していると伝えた、と。
僕はそのメモを見ながら、高校生の頃の彼女と目の前の彼女を重ね合わせた。大人になって洗練されるどころか、彼への思いはますます痛々しいものになっているように思えた。
そんな彼女を目の当たりにすると、体の芯が震えた。それは偏った愛への恐怖からくるものではなくて、ラブストーリーなんかで描かれる壮大な愛に触れたときに感じる類のものに近かった。おそらく僕のなかにも不健康な愛があるのだ。
「裏切られたと思ったから」
彼女は一度うつむくと、膝の上で握っていた手から目を離さなかった。
「浮気、ですか」
「
彼女が口にしたのは彼の本名ではなく源氏名のほうだった。僕は何か複雑な事情を感じ取って一度黙った。
「彼、刺されてるときぜんぜん抵抗しないんです。変だなって気付いて手を止めたら、血だまりの中に彼が倒れてました」
大人の男を女子高校生が滅多刺しにしたと聞いたとき、僕は少し違和感を覚えた。いくら相手の不意を突いたとしても、そこまで上手く最初から最後まで刺し続けることができるのだろうかと。
一発目の刺さりどころがよほど悪かったのか、彼女の腕がすこぶる良かったのか。そんなことを憶測してみたりした。けれど、どれもはずれだった。彼は無抵抗のまま刺され続けた。それが真実だった。
「彼の本名は知ってますか?」
「はい。でも彼、自分の名前が嫌いで。付き合い始めた頃、わたしに名前を付けて欲しいって言ってきたんです」
「それが、
彼女は濃密なまつ毛をわずかに上下させて頷いた。僕は、彼女が彼のことを源氏名で呼ぶわけには納得がいった。けれど、新たな疑問も生まれた。
同じ名前を名乗り続けるということは、自分を刺した彼女に見つかる可能性も高くなる。同業者となった彼女の耳にはなおさら届きやすいはずだ。それを狙ってあえて同じ名前でいるとしたら、彼は不動あさみに会いたがっているとも受け取れた。
「浮気をしていなかったとしたら、別れの本当の理由はなんだったんでしょうか」
僕は質問の直後に掲載する写真のことを思い出して、忘れないうちにと彼女に撮影の許可を得て一眼レフを向けた。
冬の真っ青な空の色が似合いそうな白い肌に、今は夜を越えるための濃いメイクがのっていた。彼女が笑うと高くなった丸い頬に不自然なツヤが現れた。普通の女の子がそうするように、彼女はピースをして写真におさまった。
僕は再度、当時どの雑誌にも載っていなかった彼が別れを切り出した本当の理由をたずねた。彼女は前髪の表面を何度か撫でてから答えた。
「ただ、あたしを驚かせたかっただけなんです」
彼女はそこで笑ったけれど、僕は笑えなかった。そして彼女はこうも続けた。事件の後で誕生日プレゼントと手紙が出てきて、それがサプライズだったことを知って、と。
「あたしダメなんです。すぐ感情的になっちゃって。ラブストーリーに出てくる女の人たちってみんな別れ際すらいいこと言うじゃないですか。あれにずっと憧れてます」
僕はなんだかひと仕事終えたような気持ちになって、彼女が用意してくれたミネラルウォーターに口をつけた。
「まあ、ほとんどのラブストーリーは時間をかけて作られるけど、ほとんどの恋愛はその場の感情だけで作られてますからね。でも、僕なら刺しません」
と、僕もここでようやく笑った。
「ですよね。あれだけ狂った自分を見せてしまうとなかなか連絡もできなくて」
彼は今もあなたが付けた名前を使ってますよ、そう言いかけてやめた。7年の時を経て解き明かした事件の真相は、思った以上にライトだった。
彼も名前を変えていないところを見ると、まだ彼女のことを思っている。けれど僕は、あえてそのことは伏せておいた。僕の安易な介入によって同じことを繰り返してしまうより、本人たちの意思で会って話して、わかり合って欲しいと思った。
「いつか会って話せたらいいですね」
僕が控えめに笑ってそう言うと、不動あさみも厚みのある唇の両端を上げて笑った。
「最後になりますが、不動さんにとって愛ってなんですか?」
「なんだろ、殺意に似てますよね」
同意を求めてくる不動あさみの視線からやんわりと逃れて、僕は彼女の言葉をメモに書き記した。きれいな女の子が言うとこれ以上ない迫力があった。人としてはどうだろうかと思ったが、記事のタイトルにはふさわしい一言だった。
僕は彼女の記事が掲載される雑誌の発売日を伝え、広げた荷物をリュックにしまってソファから立ち上がった。不動あさみの後ろを歩いて出口へと向かっている途中、来店時に眺めていた客席とは反対の壁側を向いていた僕はふいに立ち止まった。
複数の女の子の写真が飾られているなかに、知っている顔を見つけた。そこに写っていたのは、僕が知っている頃よりも随分と大人びた古澤絆だった。
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