3-2

「あさみ、取材してほしいって」


個人から取材を希望されたことがなかった僕はどう対応すべきか一瞬迷った。どんな経緯で僕にたどり着いたのかも同時に気になった。7年前の例の事件からあまり日が経たないうちにコンタクトを取ろうとはしたものの、それは本人の耳には入らなかったと思う。


僕がテーブルに映ったランプの明かりを見つめたまま動かずにいると、たまりんは察したように口を開いた。


「わたしの記事読んだんだって。それで久しぶりに連絡が来て」


「なるほど。たまりんはそれを言いにここに?」


「そうだよ。前からわぐりん・・・・がカフェやってるのは知ってたから、ここに来れば会えるかなて。今日暇だったし」


僕が、わぐりんと繰り返すと、たまりんは「え?」という顔をした。そこへいいタイミングで和栗さんが戻って来たので「和栗さん、わぐりん・・・・なんですね」とおもしろがって振ると、途端に彼は得意そうな表情になって、いいだろお揃いだぞ、と胸を張った。けれど巻き肩を無理に逸らしたせいですぐに痛がっていた。


和栗さんがいたたっと言っているあいだに、僕はたまりんにもう1つ質問をした。


「取材を受けたい理由って聞いてる?」


「聞いてない」


彼女は短く答えるとウイスキーを飲み干した。空になったグラスがテーブルに置かれたとき、僕のグラスに入っていた氷がカランと音を立てた。


未成年でありながら名前が知れ渡ってしまった不動あさみが、今になって取材を受けたがる理由が見つからなかった。当時18歳であった彼女は今年で25歳になった。静かに暮らしているのなら、その生活を守ることを優先しそうなものだ。


「橋本もあだ名つけてもらえばいいじゃん」


復活した和栗さんが割り込んできた。「つけてもらえばいいじゃん」とたまりんもそれに続いた。


「わたしがたまりん、あなたはわぐりん、そうときたら橋本さんは?」


ライブ時の客席への呼びかけのごとくたまりんが盛り上げると、彼女と和栗さんは2人揃って僕の顔を間近で覗き込んできた。僕は2人を交互に見つめた。たまりんは少し考えたあとで、人の顔を指差しながら言った。


「はしもん」


そしてすぐに「いや、やめよ」と自分で言っておきながら却下した。和栗さんもやめよ、と言った。なぜか僕が滑ったみたいな空気になった。僕はそれほど悪くないと思ったのだが、2人にしてみればおもしろみに欠けたようだ。


和栗さんと僕が残りのウイスキーを静かに飲み終わったところで、その晩は解散になった。まだ店をやっている和栗さんだけを残して雑居ビルを出ると、思い出したようにたまりんが連絡先を交換しようと言ってきた。


帰りの京王線でたまりんから初めてのメッセージを受信した。内容は不動あさみの電話番号。それだけだった。僕はありがとうと返した。


イヤホンを耳にはめてiPodのボタンを押すと、また前田敦子が歌い出した。好きな音楽がよく聴く曲のことだとしたら、僕の好きな曲は間違いなく彼女の『君は僕だ』だなと思った。



東京から姿を消したと思っていた人との再会がまさか斎場だとは思わなかった。あれから彼はどんなふうに生きていたのだろう。


タチバナさんの葬式はほんのささやかな規模で行われた。彼のことを勝手に独身だと思っていたけれど、実は奥さんも娘もいた。


問題だらけの彼と離婚せずに今日を迎えた奥さんはきっと只者ではない。その正体は愛なのか、もしくは執着なのか。ただ金銭目的でないことだけは確かだ。


彼は自分の歯を売るくらいには金に困っていた。日に日に口元が貧しくなっていく彼を見て、家族はどう思っていたのだろう。


おぼつかない手つきで焼香を済ませ、そそくさと庭へ出た。ちょうど雨が降ってきて白や灰色の砂利が満遍なく黒く染まっていく。スマホと財布だけしか持ってこなかった僕は、そのまま雨に打たれていた。クローゼットの一番端から引っ張り出してきたスーツの首元からかすかに防虫剤のにおいがした。


「脳卒中だってね」


背後でひょうきんな人の気配がした。雨水が当たるせいであまりよく開いていない目で振り返ると、葬式の連絡をくれた編集長がビニール傘を差して立っていた。片手をコートのポケットにしのばせ力が抜けた出で立ちは、こういった場に慣れている様子だった。


30代の彼が手がけている雑誌は、本人に近い20〜30代をターゲットにしていて、記事に登場する人物たちも同年代に絞っていた。ネットの口コミなんかを検索すると、「大人になりきれいない奴らの暇つぶし」といった意見があったりする。編集長はそういった声を目にすると狙い通りだとほくそ笑むのだった。


高見たかみさん、こんにちは」


僕が一歩下がって編集長の隣へ立つと、彼は、何その挨拶と言って鼻で笑った。


「タチバナさん、病気で亡くなったんですね。僕はてっきり」


「良くない人たちにやられたと思った?」


「いや、まあ」


「ボクも同じこと思ったよ。ついにヤバイ橋渡っちゃったかあって」


「はい。でも、そうじゃないようでよかったです」


「どっちにしろ亡くなっちゃったら同じだけどね。保険も全部解約済みで、死んだあとなんて遺体以外ほんとに何もない。いや、1つだけあったか。なんだか分かる?」


「何か、思い出の品とかですか」


編集長はポケットから手を出して顔の前で手を振り、僕の回答を否定した。そして僕と目線を合わせると傘の下から顔を突き出した。


「借金だよ」


乾いた声でそう言って、また簡潔に笑った。彼はどんなに重たい話でも軽い口調で話すのが常だった。そのせいで人によっては薄情に受け取られる場合もあった。


僕としては、身の上話をカミングアウトしてもその調子なので、変に感情移入されるよりかはずっと付き合いやすい人だと思っている。その流れで僕が文通相手の彼女を探していることも彼は知っていた。


編集長に合わせ、僕もほんの気持ちだけ笑っておいた。


「ここにいたんすかあ、もう、探し回りましたよ」


砂利の音が近づいてきたことを気にしていたら、次の瞬間には声が聞こえた。鼻腔で一度響かせてから発しているような角の丸い声だった。僕たちがちょうど木の陰で話していたせいで見つけられなかったようだ。そして彼もたましっかりと傘を差していた。


「初めまして」


突然現れた編集長の知り合いらしき人物に僕が挨拶をすると、編集長はまた、何その挨拶と小馬鹿にしたように言った。


「ああ、初めましてじゃないんすよ。いや、直接会うのは初めてか」


僕と同年代ほどの彼は顎に手を当てて考え込んだ。僕は初対面として話すべきか会ったことのある体で話すべきか迷って、とりあえず彼のアクションを待つことにした。


「俺、古澤絆ふるさわきずなの高校のときの元彼で。橋本くんのことは絆からよく聞いてました」


その名前を聞いて、僕は途端に呼吸するのを忘れてしまった。古澤絆は、僕が死ぬほど好きだった人で、文通相手のその人だった。


高校の頃の彼女を手紙のなかでしか知らなかった僕は、彼女のことをどこか空想上の生き物のように感じていた。それが目の前に現れた元彼によって突然現実味を帯び、混乱した脳が眩暈を訴えてきた。


「絆、毎日会いたがってました」


彼の声によって鼓膜が震えたのを感じた。まつげに溜まっていた雨粒がぼとりと目の中に落ちてきた。彼女のことを思い出すと、同じ頃に悩んでいた母親との記憶も一緒になって呼び起こされた。


呼吸がままならず、雨粒で視界もぼやけてしまうと、すぐそこに彼女が立っているように感じられた。僕が思い浮かべるその姿は中学の頃で止まっていた。

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