2-6

ちゃんと生きるとはどういう生き方だろう。自分から出てきた言葉だというのに、僕は28になってもよく分かっていなかった。


けれど、彼女にちゃんと生きているかと聞かれたら、ちゃんと生きていない・・・・・・・・・・とは言い切れる。自分の生き方が正しいのか確信はないし、間違っていたとしても貫けるくらいの自信もないからだ。


そして彼女が28歳の猫背の僕を見たら、ちゃんと生きていないと指摘すると思うのだ。



「僕の感覚としては、愛はしんしんと降り積もって人を包み込むようなものじゃなくて、気が付いたらそこにあって突然爆発するものだと思ってます。そのあとに割れた風船の切れ端みたいに残るのが執着や恨みなんじゃないかって」


定休日のカフェバー・PVC新宿で僕はそんな話をしていた。カウンター越しの和栗さんは人差し指を額の中央に当てて考え込んでいる。そして顔を上げ、眉間のシワを解いて表情を軽くすると「芸術みたいなもんだな」と言った。


僕はそう言われてみればそうかもしれないと感心し、今度からそう言おうと思った。愛は芸術で爆発だ。


愛について口では定義できても、それを実際に発したり感じたり受け止めたりするのは難しい。自信のない僕のような人生では愛のやり取りもままならなかった。


「まあ、飲めよ」


そう言って和栗さんが勧めてきたのは温かい赤ワインだった。和栗さんはすでにできあがっていた。なぜならこれから最愛の人に会いに行くからだ。そうでもしないとまともに顔も見られないのだという。


機器に明るい例のクライアント先の編集長に健康的でセックスが趣味の地下アイドルのことを話したらぜひ取材に行って来てくれと言われた。僕は地下アイドルに関してはまったくの無知なので、長年のファンである和栗さんに付き添いを頼んだ次第だ。PVC新宿が定休日なのはそれが理由だった。


「酒臭いって言われますよ、たまりんに」


「知ってる? 風邪引いたらテキーラ飲んで消毒するんだぜ、たまりん」


「そんなに野生的でアイドルとしてのイメージは大丈夫なんですか?」


「俺みたいに全部受け止めたヤツだけが生き残ってんの。生半可な気持ちでファンは語れないわけよ」


僕はなるほどと言って、取材用の大学ノートにメモを取った。和栗さんの地下アイドルへの愛に興味を持った僕は一度、彼自身を取材させて欲しいと依頼したことがあった。けれど、上には上がいるらしくあっさり断られたのだった。


「そろそろ行ってみようかと」


僕は足があと少しで床につかない高さの椅子から慎重に降りた。足元にリュックを置いていたのを忘れてチャックテイラーのつま先を引っ掛けてよろめいた。


「え、行く? 本気で?」


新たにワインを開けようとしていた和栗さんは動きを止めた。


「もう出ないと約束の時間に間に合いませんよ」


破天荒な地下アイドルに取材交渉するのは不安だったけれど、公式サイトから問い合わせると天海あまみという男性マネージャーが対応してくれた。そのマネージャーが今日のライブ前の空き時間を指定してきた。予定が控えているため、到着が遅れた分だけ取材時間が短くなるということだ。


和栗さんはその辺に無造作に置いてあったツイードのジャケットを持ち上げて、洗濯物のシワを伸ばすみたいにバサバサと音を立てて振った。その拍子に舞った埃が窓から差し込んだ太陽の光線に当たって白く発光していた。ジャケットを羽織った和栗さんは動きづらそうにしながらタバコに火をつけ口に引っ掛けた。



古代ギリシャでは愛には8つの種類があると考えられていた。エロス(情欲的な愛)、フィリア(深い友情)、ルダス(遊びとゲームの愛)、アガペー(無償の愛)、プラグマ(永続的な愛)、フィラウティア(自己愛)、ストルゲー(家族愛)、マニア(偏執的な愛)。


これに当てはめるとするなら、これから会う人物はセックスを愛するエロス(情欲的な愛)の持ち主だ。僕が愛と定義する突然爆発するような愛に近いものを持っている気がした。


取材をするうえで改めてたまりんについて調べると、ZODiゾディというグループで活動していて、活動名が宝玉ほうぎょくりんだった。それを見て、確かにたまりんだなあと納得した。


年齢は非公開だったけれど、公式サイトのプロフィール画像や本人のSNS、グーグル上に出てくるファンが撮ったような角度の写真なんかを見る限り、推定20歳前後。とはいえ、近頃の女性は見た目では年齢が分からない場合が多いのに加え、同性でない僕はあまり自分の目を信じないことにした。


白金高輪駅を出ると突然の土砂降りで、僕と和栗さんは天気予報にない空模様を見上げながら呆然と立ち尽くしていた。タクシーでも呼ぼうかという話が出たところで、マネージャーの天海さんから迎えに行くとの連絡があった。


それから程なくして黒のワゴン車が到着し、中へ乗り込むとタオルまで用意してくれていた。前回話したときは冷静で無機質な印象を受けたけれど、意外と気を使ってくれる人だった。


天海さんに対して好印象を持ち始めた僕とは裏腹に、和栗さんは敵意むき出しだった。本人に直接聞いたわけではなかったが理由はだいたい分かった。メンバーの次にたまりんに近い存在であるマネージャーの顔があまりにも良すぎたのだ。小動物のような可愛らしい見た目の小顔に加えて長身とスーツときている。年齢も僕たちと同じくらいだった(同性の見た目年齢は外したことがなかった)。


「宝玉さんはもうライブの準備は整いましたか」


和栗さんは嫉妬のあまり音がしそうなほど歯を食いしばっていた。僕はその様子がバックミラーに写っていることに気が付いて、天海さんの注意を逸らそうと話題を振った。


「いや、りんはまだ来てもいません」


天海さんはたまりんのことをナチュラルに呼び捨てにした。それに反応して天海さんに掴みかかろうとする和栗さんを僕はなんとか制した。


「え、もろもろ間に合うんですか?」


「取材は楽しみにしていたので、そろそろ来るんじゃないかと」


これまで取材をしてきた、何かを心底愛している人たちは欲望に忠実で自分の愛が向かないモノや人に対しては不誠実だった。たまりんも例外ではない。そういった人たちはバランスを気にしてうまく生きている人より、偏っているから愛が大きいのかもしれない。


また趣味かよ、と天海さんは窓の外を見ながらため息交じりにつぶやいた。

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