第4話
かちゃり、といつもより大人しめの音と共に部室の扉が開く。ここに来るやつなんて片手で数えても指が余るほどしかいない。が、いつもなら勢いよく開かれるはずの扉に違和感を覚えて本から視線を上げる。
「ふーん。またいるんですね先輩。暇なんですか?」
「暇で悪かったな。……ん? 髪、切ったのか?」
「!」
週明けの月曜日。前回見た時よりも後輩の髪が短くなっていることに気づく。伸ばしているのかと思っていたが、出会った頃、それこそこの生意気な後輩が入学して来た頃の姿を思い起こさせる長さだ。
「へ、へえ。なんですか先輩、女の子の些細な変化を見逃さないアピールですか? そんなことでポイントを稼げると思わないことです」
「似合ってるな」
「……!」
嘘ではない。本当に似合っている。
この後輩は背丈も小さければ顔も小さいので、少し短めのボブ? というのだろうか、その髪型はわりとしっくり来ている。
「……ま、当然ですが。今日もみんなに沢山褒められたので先輩の言葉なんて誤差みたいなものですね」
そう言って髪を靡かせた後輩はいつものように椅子をぎこぎこと運び、俺から椅子ひとつ分空けた辺りに腰掛けた。やけに近いな。
ふわんと、どこか甘い香りがした。
「はーあついあつい。来月から冬服だなんて信じられませんよ」
鞄を置いて、両手でぱたぱたと顔を扇ぐ後輩。今日は曇りだ。最高気温もここ何日かと比較すると低めで、過ごしやすい気温だと思うが友達と運動でもしてきたのだろうか。
もう一度視線を向けると、こちらを見ていたらしい後輩と目が合う。彼女は驚いたように目を見開くと、すぐに嫌そうな顔を浮かべて鞄の中を探り出す。
……なんだ?
どこかが、いつもと違う気がする。いや、短くなった髪のせいでそう感じるだけか?
膝の上に置いた鞄の中をごそごそやっている後輩をもう一度見る。はらりと垂れた髪の毛を耳にかける仕草を見て確信する。やはり何かが違う。なんだ、一体なんなんだ!?
「……なんですか? いやらしい目で見ないでください」
「元からこういう目だ。なあ、今日なんだかいつもと違わないか?」
なんというか、雰囲気が柔らかく見える。
いつもの後輩といえば、その態度のせいもあってどこか気の強そうな感があるのだが、今日は違う。しかし何故なのかが分からない。
「べつに、いつもと変わりませんけど」
つんと顔を逸らす後輩。普段ちゃんと顔を見ることなどないが、改めて見ると整った顔をしているなあ、などと思う。
「…………唇、か?」
俺が言うと、後輩の肩がびくりと震え、その膝の上から鞄がずり落ちる。彼女の言うところの暑さのせいか、ほんのりと染まった頬と艶のある唇。何か、塗っているのだろうか。おそらくだが、そのおかげで彼女の雰囲気が柔らかく見えるのだ。
「っつ……これは、別にっ。友達が無理矢理塗ってきただけで、他意はありませんけど」
そう言って口元を隠す後輩。その指先が微かにきらめいた。まさか。そういうことなのか?
大人しく部室に入ってきたかと思えば、髪の毛を切り、艶のあるリップか何かを塗っている。さらには爪まで綺麗にしている。
――俺は、試されているのだ。
これはつまり、俺みたいなやつが人の些細な変化に気づけるかを試そうという後輩のあれだ。間違いない。
「その爪も……きちんと手入れが行き届いているな」
言い終えて、なにか気持ちの悪いことを言ったような気持ちになる。いや普通に気持ち悪くね? やったか? やったのか俺?
後輩は何も言わずに両手で顔を覆う。
おかしい。俺の知っている彼女なら、罵声や中傷、皮肉を浴びせかけてくる場面でこのしおらしい態度。一体どうなっているんだ!?
思考の速度と共に息が上がる。
何故か後輩は顔を覆ったまま、足をジタバタとさせている。
そこでふと、後輩の言葉を思い出す。
『今日はそういう設定でいこうかと』
やはり間違いない。そういう設定だ。
ここで先週と同じことをすれば、『……もう。困りますよ先輩。そういう設定なんですから』と言われるに違いない。
ならば。
今日の後輩を見て。先輩の俺が言うべきことはなんだ。俺ではない、理想の先輩像がかけるべき言葉は。
「今日…………か、かわいいな?」
瞬間、目にも止まらぬ速度で立ち上がった後輩は、反動で転がった椅子もそのままに部室から飛び出していった。
呆気に取られた俺は、開け放たれたままの扉をしばらく見つめて。
「確かに今日、暑いかもしれない」
そんなことをぼやいた。
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