第45話

○再生


 「メイファン」

扉を叩き名前を呼ぶが返事がない。

カシムは扉をあける。

戸口から見るとメイファンは眠っているように見える。

しかし、もう日は高い。

「メイファン、大丈夫か」

やっと声に気づいたのか、目を開ける。カシムが心配そうに見つめているのがわかったようだ。


メイファンは眠れぬまま、不安の中にいた。マリクの妹の回復を祈りながらも、ああ、何かあったらと自分のことのように辛かった。


「カシム」と、手を伸ばす。

近寄り、その手を両手で握る。

「しっかりしろよ、メイファン」


メイファンは、人知れず苦しんでいた。命の儚さ、その軽さに耐えられずにいた。

この世を生きる意欲も、一族のためという内なる動機づけも、すべて消えてしまった今、何のために生きているのか、死んだ方がましだとも思うようになっていた。気力が落ち、鬱状態だった。

リンリーに励まされ、なんとか正気を保っていたのだ。

「リンリー、リンリー」

名前を呼ぶが今はいない。 


「メイファン、僕がいるよ、僕が守るよ、君のすべてを受け止めるから」


実は、カシムは、リンリーからメイファンの様子を聞いていたのだ。

気丈に振る舞っているが、不眠が続き、気力が落ちて心配だと。


今ここで言うのも変だとわかっていたが

「メイファン、君が好きだ。一目惚れだ。君が必要なんだ」

告白していた。

メイファンが

「わかってました。私もお慕いしています」

と答える。

「ありがとう、嬉しいよ」

やっと言えたと思った。

メイファンも想ってくれていたと喜ぶべきだが、目の前のメイファンは憔悴しきっている。

手を握り、そっと見守ることしかできずにいた。


「カシム、私を抱いてください」

突然、凛とした声が響く。

はっ、としてメイファンを見る。思いがけない言葉だった。

弱々しいが真剣な瞳で

「生きていると、私は生きていると確かめたい」

カシムは、メイファンの言葉の意味が分かった。

体を気遣うべきなのか、求めに応じるべきなのかと考える。

そして、そうなるべきだと決め、カシムは、メイファンの掛け具を払う。

結び目を解き、脱いでゆく。

メイファンは自ら体を開き、カシムを受け入れ情を交わす。


カシムの温もりを抱きしめて、生きていると実感したかった、

自分から体を開いたが、メイファンはもちろん初めてだった。

カシムのなくてはならない人として生きたい。

メイファンは運命の糸を掴んでいた。

そのまま、抱き合ったまま、2人は眠る。


夕方になり、カシムが目を覚ます。

心配になり、胸の鼓動を確かめるほど、その後もメイファンは、翌朝まで、ぐっすり眠っていた。


剣術の練習のため、身支度を整えてカシムの前に現れたメイファンは

「眠り込んでしまってごめんなさい」

頬を染め恥じらいながら顔を伏せる。

「気分はどうかな」

「大丈夫です、おかげでぐっすり眠れたので・・・あっ」

昨日のことが頭をよぎり両手で顔を覆う。

「それは良かった」

メイファンを見つめながら、カシムも照れ笑いを浮かべていた。


 キルの町にいるルオシーがやっと重い腰をあげる。

実は、新しい領主に口説かれていたのだが、なかなかなに執念深いため、こっそり逃げて、都を目指すことにしたのだ。

だが、馬にも乗れないし、女1人輿を頼むのも何をするのにも危険が伴う。

しばらくキルの町の料理屋で働きながら旅の方法を考えることにした。


 サリの町では、イリアの2人目の妊娠がわかり喜んでいた。

すると、なんと、続けて、イーライの妻ルミも妊娠していることがわかる。


おめでとう、良かったねとまわりは祝福してくれるが、ルミは諦めていたはずの妊娠に不安を感じて戸惑っていた。

実は、最初の結婚で子どもが出来ず離縁された辛さが身に染み、自分に罪悪感を抱き、子どものことには意識が向かないように鈍感にしていた。

だが、新しい命が宿ったのだ。

イーライは手放しで喜び、体を気遣ってくれる。

イーライの思い遣りに心が解け、優しい夫に恵まれた上に、新しい命を授かった喜びをひしひしと感じていた。

ルミは、これでイーライに自分の子どもを抱かせてあげられる、そう思うと本当に良かったと涙する。


出産は経産婦だと言っても侮れない。心配はイリアも同じだから、ルミを励まし、妊婦同士として助け合っていた。


 三日月氏のハナンの元に、マリク一行が到着する。

初めて会うムサに迎えられ、挨拶もそこそこに、急ぎ、ハナンの部屋へ行く。

ハナンは横になったまま、目を見開いてマリクを見つめる。

「お兄さま、どうされたの、びっくりだわ」

「赤ちゃんを見に来たんだよ、来てくれと文をくれたじゃないか」

「あら、そうね、そうでしたわ」

ムサが、ハナンを抱き起こし、寝台に座らせる。


マリクは

「こちらは、リンリー。僕の妻になる人だ」と、リンリーを紹介する。

「初めまして、リンリーと申します。よろしくお願いします」

「まあ、お兄さまのお嫁さんに会えるなんて、なんで素敵なの」

ハナンは、思わず涙を流す。

久しぶりにマリクに会えた上に、お嫁さんまで、と嬉し涙だ。

ムサが、そっとハナンの涙を拭きとる。

そして、マリクと2人だけにする。


「ムサさん、この薬草を煎じたいのですが」

「これは」

「私の一族の秘薬です。お役に立てるかわかりませんが、飲んでいただきたいのです」

「わかった」

ムサは、リンリーを連れて、タナの元に行く。

リンリーは、中庭で育てていた薬草を乾燥させて用途に合わせて分類していた。それをとっさに一抱え持参していたのだ。産後に煎じて飲む薬草だった。

煎じながら、卵など栄養のあるものを食べるといいですよとタナに話す。


ハナンは弱っていたが、マリクに会えて安堵したのか幾分顔色がよくなっていた。

リンリーがすすめる煎じ薬を飲み、生卵も飲み、タナが作るお粥も口にした。


それから、2人は、離れていた年月を埋めるように、キル国のことや父ナスリ王のことなど、ぽつりぽつりと話をしながら、夜遅くまで、マリクは、ハナンのそばで過ごす。

もうハナンしかいない、絶対治す、治るんだとマリクは自分に言い聞かせながらハナンを優しい眼差しで見つめていたのだった。


翌朝、マリクとリンリーは、初めて、赤ちゃんを抱く。

ムサが抱いて連れてきたのだ。 ハサンと名づけられた男の赤ちゃんは、手足を動かし元気だ。

体を起こしていたハナンにハサンを預ける。

ハナンは、よしよしとあやしながら、ハサンのためにも早く元気になりたいと我が子を見つめ強く願っていた。


ハナンが眠ると、マリクは、三日月氏に挨拶に行く。

ハヤテとアビルに、ご心配をおかけしました、から始まり、ムサも加わり話をする。


ムサたちは、ハナンと同じく、マリクの今後を心配していた。


現在、タスクル国のタジル王とミーナ妃が親代わりになってくれていること、今は、カシム王子の親衛隊とともに訓練をし、本を読み勉強をしている。そのことは、この先きっと役にたつはずだと近況を話す。

ムサは、「仕事をしないと収入がないのでは」とまた心配をする。

そこで、初めてマリクは自分の思いを話す。

「今の収入は写本だけです。仕事については、実は、医術の勉強をして、医者になりたいと思っています」

ムサは

「そうか、それもいいかもしれない」

と言ってくれる。

「はい、仇を討ちたいという思いもありますが、今はまず医術の勉強をして、時がくればまた考えたいと思っています」

「わかった」

「そういうことなら、力を貸そう」

みな、理解してくれたようだ。

「はい、ハナンにもそう伝えてください」

マリクは、意外にいい奴だった。

しっかりしている頼もしい男だとムサは、マリクをすっかり気に入っていた。


マリクは、ムサにハナンを頼み、別れを告げ、リンリーとともにアルム宮殿へと帰って行った。

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