第26話
○ 目論見
「これは本当のことかしら」
ハナンは驚いて文を持つ手も震え、奈落の底に突き落とされ途方に暮れていた。
キル国のナスリ王の側近から、ハナンに文が届く。
思い余っての進言だった。
ナスリ王は、中央政府から送り込まれ側室にしたルオシーという女にご執心で、すっかり骨抜きにされ、まるで人が変わったように自堕落になり、政に身が入らなくなっている。
すでに諸問題が発生し、側近だけでなく、家臣全体の足並みが揃わず、王を批判する者もいる。
ナスリ王の日々の言動や側室ルオシーの振る舞いなどにも言及し、このままでは、キル国が立ち行かなくなると書かれていた。
ナスリ王は、妃が亡くなった後、他部族から差し出された若い娘を一度は側室にするが、その後は断り、正室は置かないと決めていた。
しかし、ハナンが嫁ぎ、話し相手のいない寂しさからか、身の回りの世話をする召使いに手をつけ妾にしたことで、若い女好きで好色だと噂する者がいたらしい。
そこをつかれたのか、中央政府の王家の筋から、側室にと、ルオシーという名の漢族の女が送り込まれたのだ。
ナスリ王好みの艶っぽく体がほっそりとした色白美人だった。
ナスリ王は、直ぐに若いルオシーに夢中になり、彼女の部屋に入り浸りになる。
家臣がお伺いを立てると、ルオシーを同伴して会議の席に現れる、
気が乗らない態度で
「任せるから、すすめてくれ」
と側近に丸投げする。
片時も離れないルオシーと何やらこそこそと話し、周りの目も気にせず戯れ合う。
完全に手玉にとられていた。
ハナンは、三日月氏に嫁いでから、ナスリ王から文が届くようになり、最初は嬉しく思っていた。
気にかけてくれる優しい父だと思っていたが、それは違っていたようだ。
玉の指輪が欲しい、翡翠の髪飾りが欲しいとルオシーにせがまれると、すぐにハナンに文がくる。
注文するということではなく、献上しろという風向きだ。
ムサが、義父のためにと、翡翠の髪飾りを贈ると、さらにあれこれ要求する。
何を狙っているのかは不明だが、この度のナスリ王の文には、ルオシーが三日月氏を訪ね、玉の採掘を見たがっているので案内を頼むとまで書かれていた。
文の中にも、ルオシー、ルオシーとその名が何度も登場する。
新しい側室ルオシーが裏で糸を引いているのかとハナンは困惑していた。
そこに、側近からの文が届き、俄には信じられない思いだが、ナスリ王の文の内容とも合点がいく話ではあった。
側室ルオシーは、言わずと知れた中央政府に送り込まれた策士だった。ナスリ王を色仕掛けで取り込み、キル国を混乱させている。
確かにこのままだと、統制がとれず乱れるばかりになり、皺寄せは民にくる。
キル国が、どんどん衰退していくのを手をこまねいて見ているしかないのか、と、ハナンは悩む。
ハナンには、マリクという兄がいるのだが、科挙を受けると出て行った後、仕送りを受けながら未だ何をしているのかわからない。
弟は、側室の息子で、小さい頃から体が弱く、臆病な性格で、なかなか母親離れができずにいた。ここ数年は会っていないが、力不足なのは否めない。
ハナンは、思い余って、兄マリクに宛てて文を書く。
何をしているのか、所在も定かではないが、最後に連絡した住居宛てに送る。
アルム宮殿に着いた少し後、イル将軍は、皇帝から勅命を受け取る。
西域の北路のキル国を先に攻めて制圧するようにと書かれていた。
先に送り込んでいる女の間者が良い働きをしているという。
ナスリ王はその女に骨抜きになり、王の勤めを果たしていないため、内政が混乱し、統率も取れない状態らしい。
今なら西軍だけで、制圧できると踏んでいるようだ。
このアルム宮殿に来るためのルートに、キル国があった。
西軍が、キル国を通り抜ける際は、キル国軍部が緊張感の中、遠巻きに監視し見守っていたことも記憶に新しい。
「次の敵は、キル国だ。まず、下見と調査を頼む」
イル将軍は、はやる気持ちを抑え、型通りに指示をする。
ハナンが送った文は、三日月氏の文書係が優秀だったことと、たまたま知り合いが近所にいたこともあり、意外に早く兄マリクに届く。
実は、マリクも、定期的に届く仕送りの金と一緒に、キル国の近況が書かれた側近からの文が入っており、おおよそのことはすでに知っていた。
だが、ハナンの文で、さらに危うさを実感し、とりあえず帰国しようと考える。
結局、科挙には受からず、遊び歩くことにも飽きたところだった。
善は急げで、遊び仲間たちに帰国することを伝えると、別れの飲み会しようと集まる。
とにかく、みんな声が大きい。
マリクを激励したり、心配したり、騒いでいた。
「しかし、なぜ急に帰国するんだ」
と言う話になり、酔った勢いで、ぶつぶつ愚痴のように、国の内情を話していたらしいが、そんなことはどうでもいいと、いつもの乗りで、盛り上がって、わいわい騒いで、店の外で眠り込んで朝になる。
「おい」
と声をかけられて、目を開けると
見知らぬ男がいた。
腕を掴まれ引っ張られて起き上がる。
「なんだ、なんか文句か」
目をこすりながら、ヨロヨロと歩く。
「いや、そうじゃない、話があるから来てくれないか」
「なんだよ、飲み代は払ったぜ」
「まあ、とにかく来い」
せっつかれ、腕を引かれて歩く。
大きな屋敷の門をくぐる。
「どこへ行くんだ」
「ここは誰の屋敷なんだ?」
何度か聞いたが無言のままだった。
端の離れの部屋に通される。
奥には、中年の男と若い男が座っていた。
「そこに座りなさい」
促され座り、キョロキョロ部屋を見渡す。
連れてきた男は、中年の男の横に座る。
「お前は、ナスリ王の息子のキル・マリクか?」
なぜ知っているのかと思いながら
「ああ、そうだけど、それがどうした」
ぶっきらぼうに言うと、男たちは顔を見合わせていた。
「お前は、キル国の国難がわかっかいるのか」
「そんなこと、あんたに関係ないだろ、俺の問題だ」
若い男が殴りかかりそうになり、止められる。
空気が緊迫してくる。
ドヤドヤとまた男たちが入ってきた。
その中の1人に、マリクは見覚えがあった。
あっ、と気がつく。
「ジャミル、お前、ジャミルだな」
面影があった、従兄弟のジャミルだ。
ナスリ王の妹、アイシャは、15歳で、中央政府の前皇帝の後宮に入り、ジャミルを産んだが、早くに亡くなり、懇意の女官の養子になっていた。
ジャミルは怒っていた。
「酒場でキルの話をするんじゃない。馬鹿なのか、お前は」
マリクは、えっ、と、びっくりする。覚えがない。
「なんだよ、何を話したと言うんだよ」
「ナスリ王の自堕落な話も、側室のことも、大きな声でしゃべって騒いでいたから、心配した仲間が報告してくれたんだ」
この町にも、キル国の縁者がいる。
みな、キル国の現状を心配して集まっていると話す。
「世子のお前が何をやっているんだ」
そう言われても
「いや、昨晩は送別の会で、今朝、キル国に向かうつもりでいたんだ」
ゴゾゴゾと懐から、ハナンの文を出して、ジャミルに差し出す。
「もう昼だぞ」
と言いながら、文を受け取り読む。
うーんとうなり、中年の男に見せる。順番に、全員が読む。
部屋の中には、マリクを入れて、8人いる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます