第24話
○砂のドラゴン、風のドラゴン
オアシスの水辺には、夏の始まりを告げるように、水色の小花が咲き始めた。
陽の光の中、シリウスの体を布で拭き上げる。気持ち良さげに首を振る。
頭を優しく撫でながら、じっと丘の方角を見る。
様々伝授し、助けておきながら、見返りを求めることなく消えた。
ムーンの意図がわからない。
やはり謎の男だ。
その頃、中央政府を出発した西軍は、タクラマカン砂漠に差し掛かっていた。
この度、新しく任命された将軍は、これまでとは、ちょっと毛色の違う人物だ。
大柄で、鋭い目つき、その目は青く、なかなかの男前とも言える。
まだ30歳という若き将軍で、名前は、イルという。
南方で殺戮を繰り返し、武勇でのし上がった男で、容赦のない戦いぶりを称し、鬼将軍とも呼ばれていた。
天山南路の外れにあるアルム宮殿を目指していたが、途中、何者かの襲撃にあう。
イル将軍には、敵が多かった。
利害関係だけでなく、過去に討ち滅ぼした部族の残党に付け狙われていたのだ。
一族の仇としてイル将軍を付け狙う一味の中に、女が1人いた。切長の目が印象的な綺麗な女で、剣術もなかなかの腕前だった。
だが、その場は、イル将軍の応戦に押されて、仲間が倒れ、命からがら砂漠の集落に逃げ込む。
しばらく仲間の傷を癒やし、次の襲撃の機会を待つことにする。
それほど遅れることなく、イル将軍は、アルム宮殿に入り、西軍は周囲に駐屯する。
皇帝からの命を受けてはいるが、タスクル国とは関係のない集団に狙われている現状も鑑み、動向を調査するため、守りに入り、しばらく止まることにする。
じっくりと腰を据えて作戦を練るつもりでいた。
先に長く三日月氏を見張っている皇帝の息のかかる武装組織は、度重なる失態で、動きが止まっているため、皇帝に文を送り、西軍に合流させて、配下に置きたいと書き記す。
その頃、三日月氏の織物や衣装に関心を持ったムーンは、ムサの紹介で、ハヤテと懇意になり、アビルと意気投合し、三日月氏とサルム国との流通を始めていた。
染色など色彩の面で出遅れていたサルム国は、織物技術を提供することで、三日月氏の染色法を取り入れて、双方に理がある取引となる。
アルム宮殿から石晶城まで、馬で走れば一刻もかからない。
そこから、西に回り込み、偵察をしていると、目の前を風のように走り抜ける白馬に乗る少年と行きあう。
イル将軍は、後を追いかける。
オアシスの水辺で馬から降りた少年は、被り物を取り、水の流れに目を落とす。
少年ではない、少女だ。
噂のタジル王の娘だと、瞬時に気がついた
最初は、単なる好奇心だった。
馬で駆け寄る。
驚いて、馬を引き、剣を構える少女。
ユーリは、殺気を感じていた。
イル将軍は、凄みのある男だった。
「お前は、タジル王の娘なのか」
イル将軍が尋ねる。
「それを聞いてどうなさるおつもりですか」
怯えることなく、睨みつける少女に興味が湧く。
小娘など、赤子の手をひねると同じだった。
馬から降り近づく。
さらに迫るように目の前に行く。
「お前の姉はまんまと逃げたが、お前はどうかな」
ニヤリと笑う。
何が言いたいのか、と.またキッと睨みつけるが、次の瞬間、足をすくわれ、イル将軍に抱き抱えられ、馬に乗せられる。
従者が駆け寄るが、間に合わない。
ユーリを攫い馬で走り去ろうとする。
イル将軍は、揶揄う程度にしようと思っていたが、ユーリを見ているうちに、自分のものにしたくなったのだ。
愛らしい表情に心を奪われたようだ。
たが、そんなことは許されるはずがない。
しばらく走ると、風が変わる。
強風となり、砂を撒き上げる。
巻き上がる砂が集まり、ドラゴンの形になる。
強い風に乗って、砂のドラゴンが、イル将軍を追いかけ、直撃する。
イル将軍は、かわそうと必死に走り続けるが、舞い上がる砂に行手を阻まれ、馬が右往左往する。
その間、ユーリは暴れて落馬するが、上手く転がり怪我はなかった。
後から追いついたシリウスに飛び乗ると、草原を走る。
やがて、風は止むが、イル将軍は、ユーリを追いかけることなく諦めて、帰り道を駆け戻って行った。
しばらく走ると、向こうから近づいてくる黒い馬が見える。
ムーンだ、ムーンの馬だ。
駆け寄ってきたムーンは、機嫌が悪い。心配だったのだ。
お互い、馬を降りる。
「大丈夫なのか」
「はい、怪我はないです」
ユーリは緊張が解け、泣きそうになる。
驚いたことに、ムーンはそんなユーリをぎゅっと強く抱きしめた。
「危なかった。あれは、イル将軍だ。西軍の新しい将軍なんだ」
ユーリは、ハッとする。
あの男の言葉の意味がわかったのだ。
さすがに、その日は、消えることなく、ユーリとともに、石晶城に帰る。
イル将軍がユーリを攫おうとした事、悪事の次第を、タジルとミーナに説明し、警戒するように頼む。
その時、初めてユーリを大切に思っていると心の内を話した。
こんなことがあると心配だから、サルム国に迎えるための準備を急ぎ整える。
ユーリの気持ち次第だが、正妻として迎えるつもりでいると、ようやく本心を話し、後日正式に求婚すると語る。
タジルは、もちろんムーンなら、ユーリの手綱がとれるだろう。願ってもない申し出だと異存などあるわけもないのだが、やはり親心は微妙だ。
ミーナも、ウルム国となると、優柔不断になる。
イリアの場合は、母であるミーナがサリの町をよく知っている、ハン家のことは家内のこともわかっているし、縁の深い人々かいる。
だからこそ、すぐに決断できたのだ。
だが、ウルム国は未知の国だ、それに言葉も微妙に同じではないと聞く。
サリのハン家、まして三日月氏とは訳が違うのだ。
ユーリは、扉の外で聞いていた。
急展開に驚く。
ムーンを意識するようになり、すっかり普通の少女になっていた。
些細なことでドキドキし、ふいに切なくなるのだ。
そして、今、私を娶るという話をしている。
信じられないことだ。
この私が、ムーンの花嫁になるのかとドキドキしていた。
だが、タジルもミーナもはっきりと返事をしない。
煮え切らない態度に、扉を開け、進み出る。
「お父さま、お母さま、私は、ムーンさまに嫁ぎたい、嫁ぎます」
ムーンは、頭の回転が速い。
すぐに、中央政府の皇帝へ、親書を送る。
サルム国は、中央政府の傘下ではなく、ペルシャの流れをくむ王国だ。
この度、タスクル国の第二王女であるユーリ姫との婚姻を決めたと宣言したのだ。
両国の友好の証となり、さらに友好を深めたいと書き記す。
誰より先に宣言することで、表面的な横槍を回避したのだ。
皇帝は、遠く離れた差し迫った問題のない他国との縁組のため、とりあえず受け入れ、親書と共に届いた贈り物にも満足する。
サルム国王ムーンに、友好国としてよろしく頼むと返書する。
イル将軍は、砂漠での失態の後、日に日に、ユーリへの興味が深くなり、妻にすることを願い出ようと考え始めた頃、中央政府からの通達で、ユーリの婚姻を知る。
友好国の他国に嫁ぐという話に、地団駄を踏む。
それは実は皇帝も同様だった。
姉のイリアで失敗した後、妹を代わりにと進言していた家臣がいたからだ。
いずれも機会を逃したのだった。
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