第22話
○近づく思い
「お帰りください」
相変わらず、ムサは断られていた。
イリアが無事に戻り、石晶城内は、安堵し落ち着いていたが、ここだけは、まだ揉めていた。
少しずつ、自分の置かれた状況がわかり始め、ハナンはどうしたら良いのかさらにわからずにいた。
タナも、周りから助言されたり、諭されたりで困惑していた。
タジル王から、婚礼はしたが、このまま側室になるのか、ムサとよりを戻して妻となるのか、ハナン姫が決めなさいと言われたのだ。
このことは、父ナスリ王も承知しているとも言われ、父の真意も計りかねていた。
ムサからは今日も花籠が届く。
ハナンの好きな紫色の花が入っている。覚えていてくれたんだとしんみりする。
夜になり、月を見ながらひとり口ずさむ。
待てというならいつまでも
待ちくたびれて石になろうと
心は残りあなたを想う
ハナンは、誰を想うというのか。
一度は絶望の淵に落とした男だ。
だが、これが定めか運命なのか。
回廊を歩いていたユーリの耳にも哀愁漂う歌声が聞こえていた。
立ち止まり月の光に照らされて、微かに聞こえる歌声に心を澄ます。
ユーリは、ムーンを想っていた。
ムサも同じように、月を眺めながらハナンの歌を聞いていた。
何を思うか、物悲しさに満ちている歌声だ。
どんなに時間がかかろうと必ずハナンを説得して妻にすると月に誓う。
ユーリはオアシスの水辺にいた。
黄色の花とともに、秋は終わり、吹く風にも冷たさを感じる。
ここしばらく、ムーンの姿は見ていない。
難局を切り抜けたことは感謝しているが、いろいろわからないことが多く、謎の男だ。出没自在で気まぐれが過ぎる。
気持ちを切り替え、シリウスに乗り、風を切って走る。
冷たいがまだ柔らかに吹く
風は優しい
そしてまたあの声を聞く
ユーリ、ユーリ
呼ぶ声が聞こえる
「ユーリ、3種の花を探せ」
はっきりと耳に残る。
「ユーリ、3種の花を探せ」
「お父さま」
ユーリが、父の居間に入ると
タジルとムーンが話し込んでいた。
いつの間に現れたのかと驚く。
「何か用なのか」
「あ、はい、三日月氏から織物や衣装が届いております。お父さまもご覧になってはどうでしょうか」
「そうか、それなら、君も一緒にどうかな」
「はい、三日月氏の織物なら、一度見ておきたいので、ぜひお願いしたい」
ムーンも一緒に、広間に行く。
所狭しと並べられた衣装の数々。
三日月氏自慢の織物である反物だけでなく、最近、アビルの発案で、衣装作りも始めていたのだ。
ミーナも、イリアも、ハナンも、女たちは、みな集まり、それぞれ気に入ったものを手にとり、肩にかけて顔色と合わせたり、試着をしている。
男性の衣装もあるため、ミーナがタジルに選んでいた。
ユーリは離れて見ていた。
男装で良いと決めていたので、色とりどりの衣装に興味はなかった。
ムーンは、タジルと話をしながら歩き、立ち止まり三日月氏の番頭が広げる織物の反物を手で触ったり、説明を熱心に聞いている。
彼がいるだけでその場の雰囲気が変わる。ムーンは、華のある男だと見つめていた。
突然、ムーンがこちらを向く。
「ユーリ、これを着て見せてくれないか」
呼ばれて近づくと、淡い黄色地の衣装を渡される。
さり気なく選んでいたのだ。
ムーンに促され、素直に別室で着替える。
男の衣装を脱ぎ、ムーンが気に入ったらしい衣装を身に着け、髪を下ろして整える。
「まあ、ユーリ、綺麗よ」
ミーナが駆け寄る。
「良く似合うわ」
イリアが言う。
褒められて鏡をみると、まんざらではない姿の自分がいる。
「やっぱり男装よりその方がいいわ。女らしくしましょう」
ミーナは、ユーリの成長を嬉しく見つめていた。
脱がないでそのままいて、と強くいわれ、渋々、今日だけは、このままでいることにする。
ムーンのそばに行き、手を広げ、くるっと回って見せる。
ムーンが、ハッとするのが面白く
調子に乗ってまたくるっと回り、バランスを崩し、ムーンに抱き止められる。
「よく似合っているよ、綺麗だよ」
耳打ちされ、抱き上げて、とんと立たせてもらい、恥ずかしさで頬を赤く染め
「ありがとう」
と言うや否や、ミーナの元に駆け寄る。
家臣たちも集まり、それぞれ気に入った衣装と反物を選び、三日月氏のお試し訪問販売はお開きになる。
ムーンは、ユーリの香りを知った。
抱き止めた時に香ったのだ。
微かだが華やかな香り
これが噂の芳しい体かと思う。
ベンジャミンは、この先のことを考えていた。
やはり、跡取りとして、ハン家に戻らないといけない。
イリアに話すと、ベンジャミンに嫁ぎたい、ハン家に参りますと言う。
そろそろ潮時だと、思い切って、タジルとミーナに相談する。
2人に、異存はない。
ハン家に輿入れするなら、早い方が良いと言う、それというのも、やはり中央政府の動向にあった。
ベンジャミンになら安心して任せられると、急ぎ、ハン家と婚礼の日を相談する。
バタバタと決まり、イリアが、ハン家に嫁ぐことになる。
ユーリは、寂しさを感じながらも、ミーナを手伝い、イリアに持たせる嫁入り道具を整える。
ちょうど端境期だった。
中央政府は、新しい将軍を任命し西軍の再派遣を決めていたが、内情は、あと継ぎ争いで、内部での争いを繰り返していたのだ。
三日月氏を見張る者たちも、ムサの動向には注視していたが、皇帝からの新しい指示はなく、今となっては、サリの町まで手を広げる意味はなかったようだ。
その空白の時間に、ベンジャミンは、護衛とともに、イリアを乗せた馬車を守りながら、サリの町に着く。
婚礼の日は、この日のために、三日月氏の織物を使った赤色の花嫁衣装が用意されていた。
タスクル国第一王女の名に恥じない、立派な婚礼品もさらに華を添える。
赤い花嫁衣装のイリアは美しく、別世界のまさに天女のようだった。
ハン家の家人たちに見守られ、無事、婚礼を終え、ベンジャミンと結ばれたのだった。
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