第20話

○ハナン来たる


 「えっ、駱駝ですか?」

ハナンは、馬車には乗らず、タスクル国への道のりを駱駝に乗りキャラバンで旅をしているという。

のんびりしているが、婚儀までには到着すると知らせが届く。


皆が心待ちにする中、キル国ナスリ王の娘、ハナン王女のキャラバンが到着する。

ハナン王女は、評判どおりの美しさとたおやかな立ち振る舞いで、周りの者を魅了する。

ムサは、さらに磨きがかり、綺麗になったハナンから、目が離せない。だが近寄ることなく遠くから見つめていた。


 キル国からのお供の者たちは、ハナン王女を送り届け、婚礼品を渡すと翌日キル国へと戻って行ったが、あのタナという侍女だけは、ハナンの元に残り、甲斐甲斐しく世話をしていた。

婚礼は、2日後に執り行われる、

ハナンは、旅の疲れを癒すため、部屋を出ることもなく休んでいた。


「ムサさんはお変わりないようですね。元気そう」

タナがぶつぶつ言うのを黙って、ただ聞いているハナンだったが、誰もいなくなると、さめざめと涙していた。


到着の挨拶した時に、すぐ近くにムサいるのが目に入る。

親族だから当然のことだが、会うのは辛い。

ムサへの未練は、ムサを恨み憎む感情に置き換え、心の均衡を保ち耐えてきたハナンだったが、再会に心乱れ感傷的になっていた。


夜になると、何を思うか、ひとり笛を吹く。


回廊の先のイリアの部屋にも、笛の音が響き、その柔らかいが物哀しい音色がイリアの心に共鳴していた。


ふたりの姫の孤独で寂しい夜となる。



 婚礼の儀は、滞りなく終わる。

赤色の衣装が華やかで美しい花嫁ハナンは、それが形だけの婚儀だとは知らされていなかった。その後のこともまだ知らずにいた。


婚儀の夜、祝いの席から出て、話をするため、タジルはハナンの部屋に入るが、部屋の外に、侍女が控えているのに気づく。

ムサも、柱の影からタナの姿を見て、どうしたものかと考えていた。

タジルが部屋を出ると、入れ替わりに、ムサが入り、ハナンと話をする手筈になっていたのだ。


「ちょっと失礼するよ』

タジルは部屋を出ると、ハナン姫への贈り物があるので、一緒にきなさいと侍女を従えていく。


ムサは、今だと、そっと部屋に入る。

「ハナン」

声をかける。

驚いて振り向いたハナンは、ムサを見て、そのままバタっと倒れる。

慌てて、そばに寄り、体を起こすが、青ざめた顔で、息も絶え絶えになっている。

「誰か、誰かきてくれ」

大声で叫ぶ。

タナが急ぎ駆けつけるが、ムサに驚き、立ち止まる。

「早く、様子が変だ、医者を呼んでくれ」

バダバタと召使いたちが入ってきたので、医者の手配を頼む。

タナは

「お嬢さまに、何をしたのですか、離れてください、はやく」

大声で叫ぶと、ムサを押しのけようとする。

勢いに驚き、離れると、触らせまいと防御する。

偶然、近くにいたユーリが騒ぎを聞きつけて部屋に入ると、倒れているハナンと庇ってムサを睨みつけている侍女に驚く。

「退きなさい」

ユーリは、侍女を横にやり、ハナンを抱き起こす。

息は荒く、血の気がひいている。

過呼吸になっているようだ。

しばらくして、医者がきたので、離れるが、血の気が引くほど動揺したのかと横からハナンを見つめていた。

医者から、とにかくゆっくり眠らせるようにと言われ、タナが仕切り、ムサとユーリは部屋を出される。


「叔父上、何事ですか」

「何事も何も、話も出来なかったよ」

ムサは、肩を落としている。


「まずは、あの侍女から説得しないといけないわね」

ムサは、はっと顔を上げてユーリを見る。

「そういうことだな」

と呟いた。


翌日、ハナンの様子を見たいと、見舞いとして部屋を訪ねたが、タナの抵抗にあい、立ち入り禁止にされる。

昼になり、タナに菓子を差し入れるが、押し返される。

打つ手がなく、ムサはほとほと困り果てていた。

ミーナとタジルから、やり直す機会を貰ったというのに、情けない話だ。


 ユーリは乗りかかった船だとハナンを見舞う。

「具合はいかがですか」

ハナンは、寝台から体を起こして座っていたが、顔色が青ざめたまま辛そうだ。

か細い声で

「少し良くなりました」

と答えるが、うつむいたままだった。

突然、侍女が

「お嬢さまは、ムサさんに会いたくないのです。ほんと、嫌だわ」

と言い始める。

「そうね、私も事情は少し知っているわ」

うっかり言うと

「それならおわかりですよね」

挑戦的な態度だ。

「タナ、やめなさい、姫に失礼ですよ」

絞り出すような声でハナンがたしなめる。

「申し訳ありません」

とタナは部屋を出ていく。


「ハナン姫、ムサ叔父上は、姉である私の母を捜索する旅に出ていたのです。叔父上は、姉を助けられなかった負い目もあり、生きていると信じて、探してくれていた。苦しい旅をしていたと思います。

その途中、キル国でハナン姫に巡り合い、幸せだったはず。

でも、姉を見つけ出すことが使命と決めていたから、叔父上はまた旅に出たのです」

「ひとことも、何も言わずに消えてしまったのよ」

あ、あ、まだ怒りと悲しみに囚われている。

「でも、私は、叔父上の気持ちがわかります。どんなにハナン姫を愛していても、あの状況では静かに去るしかない。ハナン姫は、キル国の王女だから、旅の途中の叔父上は無力で、何も約束はできなかった。キル国に残りたくても、王が許してくれたでしょうか。叔父上の気持ちも思い遣ってください」

ハナンは一度顔を上げ、ユーリを見るが、またうつむく。

「叔父上に会って話をしていただけないかしら」

ユーリは重ねて頼む。

だがハナンは何も答えない。

ユーリは次の言葉を待っていた。


しばらく続いた沈黙の後

「あの頃の私は死にました。ムサさんには、ハナンは死んだと伝えてください」

そう言うと、ゆっくりと寝台に横たわる。

「それは嘘だわ。本当はそんなこと思ってないでしょ」

ユーリが強く言うが、ハナンは何も答えない。

怒りと悲しみにがんじがらめになっていた。


 婚儀が終わると、いよいよイリアの参内が現実になり、城は重苦しい雰囲気に包まれていた。

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