第18話

○帰還する


 思ったより悪くない。

ユーリを見て呟いた黒装束の男は何処ともなく

立ち去って行った。


 タクラマカン砂漠から続いている天山南路、西域南道に広がる草原には、流浪を続ける民もいれば、オアシスに定住する民がいる。

戦いを繰り返し侵略し奪い合いながら、様々な民族のそれぞれの小国が存在していた。

時は流れ、砂漠を風のように馬で駆け回るタスクル族が、天山南路を支配する。

タスクル族の長だったタジルの父がタスクル国を築くと、近隣ではしばらく戦いはおこらず、穏やかな日々が続くこととなる。


そのタスクル国からさらに西へ、パミール高原を越え絹の道を西の方角へ行くと、その一帯を長く治めるサルム王国があった。

ペルシャに近い位置だ。

サルム族が築いたその王国では、先代のハーンが王となると、市が立ち並び、様々な品物が取引されるようになり、民の暮らし向きも良くなっていた。

だが、落馬の怪我が元で、ハーンが急逝すると、まだ年若い息子ムーンが王となる。


 ムーンは、引き締まった体と端正な顔立ちの上に、女たちを惹きつける不思議な魅力があった。

まだ少年の頃から、大人の女に手を引かれ抗うことなく寝所に行くなど早熟だったが、まわりの女たちが、少女から人妻まで、ムーンに色目を使い、誘っていたのだからある意味環境に従っていたのだろう。


だが、父親の死去により、サルム国の王となり、国を治めるようになると、人が変わったように、政に集中する。

父より、はるかに才があり、それが遺憾なく発揮される。


まだ、20歳になったばかりの若き王ムーンは、サルム国の生活の基盤を整えるため、水路を通したり、行き交う商人を呼び込み,商いのための市場をさらに活性化させ、着々と王国を万全なものとして行った。


  タスクル国の妃の受難は、サルム国にも届いていた。

タジル王には、娘が2人、ともに少女ながら美しく、その体は芳しく香るとの噂も耳に入る。

ムーンは、下の娘の話に興味を持つ。

男装で過ごし、左耳が聞こえないが、武術はかなりの腕前で、草原を馬で駆ける活発な美少女だ噂されるが、奇妙な行動をするのが難だという。


一度は、荒馬を差し向ける。

何かに熱中し、気づくのは遅れたが、馬に引かれ、ぎりぎりで避ける。

素養を見たいと、次は、矢を射る、

期待以上に、素早くかわすユーリに驚く。


ユーリに興味を持ち、タスクル国を秘密裏に訪ねるうちに、中央政府の思惑に気づき、注視していた。


そして、この度の報告には、ムーンも驚嘆する。

タスクル国タジル王の妃ミーナが生存していたこと、近々、タスクル国に帰還するとの話だった。

ただただ感服し、強い運を持つ血筋だと確信する。


 ミーナは、噂の速さと広がりを困惑とともに恐ろしいと感じていた。

聞き及んだ誰かが、悪意を持って広め、邪魔をしている。

四方八方に広がった敵から狙い打ちされている気分だ。

ある程度は、想定内だったが、ここに来て不安になる。


だが、すでに帰参の計画が決まり、そこに向けて動いている最中だ。そんなことは言ってはいられない。

心を落ち着けようと、タジルからの手紙を読み、計画を確認する。


 「姉さん、いよいよだ」

タスクル国から、馬車が2台着く。

ハン家の馬小屋にも、1台隠されている。


早朝に、1台の馬車が、タクラマカン砂漠を北寄りに抜ける経路で、タスクル城へ向けて走る。

時間差で、また1台、走り出て、前の馬車を追いかけるように、同じ経路をひたすら走り、タスクル城を目指す。

そして、また、1台、タクラマカン砂漠の南側の経路を、まっしぐらに石晶城を目指して走る。


そうして、ミーナは、護衛とともに、石晶城に無事辿り着いた。

知らせを聞いて、飛び出て走り寄るタジルと抱き合い喜びに震え、安堵に包まれる。

横には、カシムも、イリアも、ユーリも、なんとベンジャミンもいる。

閉鎖されていた石晶城を開き、ミーナを迎えるために、綺麗に整えていたのだ。

再び、ここ石晶城に移り、政も、すべて取り仕切ることになる。


 ミーナの帰参計画では、決行前も当日も、平常通り、タジルは城の中で政を行う。

午後になると、まわりに気づかれないように、こっそりここ石晶城に入り、ミーナを待っていた。

タジル王が動かないこと、それも撹乱の材料となり、時間差の馬車もすべて計画通りに進む。


翌日、ムサが着く。

やはり、1台目の馬車に気を取られ、2台目の馬車に乗っていたムサへの攻撃も中途半端で、難なく逃げ切ったという。

ただ、1台目の馬車に乗っていた護衛たちは残念なことに犠牲となる。


 ミーナを囲み話は尽きない。

生き証人であるベンジャミンから山法師のことや山を降りる時の話からハン家での仕事ぶりが小気味良く語られる。


確かに痛ましい経験はしたが、何かの導きなのか、今さらながら巡り合いの有り難さを噛み締めるミーナだった。


イリアの参内の話は、タジルの手紙で知ってはいたが、いざイリアを前にすると、言葉がつまりただ抱きしめることしかできなかった。


ベンジャミンがイリアを見つめ、見交わす2人には特別なものがあるとすぐにわかったからだ。


愛の迷路に迷い込んでいるのは、ムサも同じだ。

何事かを話して笑い合うベンジャミンとムサを目にする度に、ミーナは複雑な気分になる。


 しばらく見ない間に、カシムは大人びた青年になり、頼もしい息子だ。

イリアは、美しい娘に成長し、どうやら、ベンジャミンと恋仲のようだ。

ユーリは、ここでも男装だったが、ますます不思議な雰囲気の少女になっている。その目の輝きに驚く。

やはりこの子は、我が娘ながら、ただ者ではない。

強い力を秘めていると感じていた。


 西軍の将軍は、事の仔細を聞き、

脱力していた。

まんまとやられたのだから、情けない話だ。

加勢をしないで正解だった。

だが、タジル包囲網が敷かれつつある今は、それはそれで、一網打尽にすれば良いことだと豪語していた。

だが、一つ誤算があった。

タスクルの城が、石晶城に移ったことだ。

将軍はしばらく後になって知る。


タスクル城は、開けた土地に建っているが、石晶城は見晴らしの良い小高い場所にあり、三方が山に囲まれていた。

攻める側からすると、移転による作戦の変更が必要となるだろう。


 ある日、ユーリは、またオアシスに行く。

シリウスに水を飲ませ、水辺に座り、キラキラ光る流れに手を浸たす。人肌に近い温かさだ。

ゆっくりと緊張がほどけてゆく。


家族は、幸せな時間を過ごしている。それは、ひとときだとわかっているが、先のことは考えず、今を過ごしている。

ユーリは、ひとり考えを巡らせていた。


ビュンと矢を射る音がした。

動かず待つ。

ユーリのすぐ横の地面に刺さる。

立ち上がり、放たれた方向を見ると、丘に黒装束の男が立っている。

遠目で、ユーリを見つめ、踵を返して去って行った。

矢には、紙が結ばれている。

開くと

『ご用心、タスクル包囲網あり』

それだけ書かれていた。

また丘を見る。

誰かはわからない。

だが、胸がざわつく。


目を閉じて風を呼ぶ。

ユーリは、風に包まれながら

また夢を見る。


ユーリ!ユーリ!

呼ぶ声も心地よく響いている。

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