第16話

○キル国での日々


 無頼者に難癖をつけられていた女を助けたことで、ムサは、商人たちから、腕を見込まれ、市場の用心棒をしないかと誘われる。

三日月氏の番頭から内密に路銀が届くが、頼ってばかりじゃいられないと、キル国にいる間ならと引き受ける。


数日後、いつものように市場を回っていると

「この間の方でしょうか」

声をかけられる。

あ、あの娘だと、すぐに気がついた。

「いつも市場にいるのね」

「あれから、用心棒をしてるんだ」

「用心棒ですか?」

「そうだよ、今はこの市場の用心棒さ」

「まあ、そうでしたか」

この間の侍女と2人で笑い合っている。

女たちの戯れ合いに付き合う暇はない。

「用がないなら、失礼するよ」

後ろ髪引かれるが、離れようとすると、侍女が

「お待ちください。この間のお礼に、お嬢さまが、ぜひ屋敷にお招きしたいとおっしゃっておいでです、いかがでしょうか」

思いも寄らない申し出に驚く。

そこまでしていただくほどではないと断わろとしたが、お嬢さまには興味がある。

「はい、明日なら大丈夫ですよ」

と答える。

その娘は

「では、明日、お昼にここで。

この子が迎えにまいります」

それだけ言うと、では、またと去っていく。

さっさと、一方的に決めて、あっさり帰って行く娘の後姿をぼんやり見送っていた。

「おい」

声に振り向くと、ラシドだった。


 騒がしい酒場だったが、ここなら遠慮なく話せる。

「さっきの女は誰だ」

「いや、よく知らないんだ。美人だが、愛嬌のない女だよ」

「惚れたのか」

大笑いされ、さっさとものにしろとけしかけられる。

ラシドは、また旅立つ。

今度は、中央政府への納品があるという。

明日はお別れだ。

世話になったと感謝しつつ、男同士食べて飲んで騒ぐ。


 変な男だとハナンはチラチラ見る。

働いていない、市場で何をしているのかと、気になっていた。

用心棒になったと聞き、やはり変な男だとまた思う。

変な男だと思いながらも、気になって仕方がない。


ムサは、背が高く、体格も良い、ハヤテ似のなかなかの美男子だ。

三日月の屋敷を出てから、厳しい現実を目の当たりにしたこともあり、顔が引き締まり男らしい魅力が備わっていた。すっかり大人の男に成長していたようだ。


市場を回り、ムサは女たちの視線を集めていた。人気者というか、キルの町では、女に不自由しなかった。

これまで、女といえば屋敷内のうるさい身内しか知らず、滅多に外で飲み歩くこともなかった。その反動なのか、ここでは自由に羽を伸ばしていた。

だが、それも最初だけで、根は真面目な男だから、用心棒として、見張りや巡回など、より安全に商いができるようにと仕事に精を出していた。


 翌日、侍女の後を歩き、屋敷に着く。

なんとキル国王の宮殿の隣りに建つ屋敷だった。

「どうぞ」

と中に案内される。

装飾をおさえた落ち着いた雰囲気の中、長い回廊を歩き、客間に入ると、あの娘が立ち上がり挨拶をする。

「お招きありがとう」

「お座りください」

侍女は下がり、2人だけになる。


お茶が出され、それを飲みながら、目の前に座る娘を見る。

何を話せばいいのか、糸口がみつからない。

共通の話題がない。

どうしたものかとまた娘の顔を見る。


「お昼の時間ですので、すぐお料理をお出しします。召し上がって」

「あ、はい」

このまま、黙々と食べて帰るだけになるのか、いや、どうせなら押してみよう。軽い気持ちだった。

「お互いまだ名前も知らない。名乗り合いませんか」

どうやら謎のままでいたかったらしい。

え、と一緒驚いていた。

「僕は、ムサ、君は?」

間を置き

「ハナンと申します」

やっと名前は聞けたが、この先は、

と考えていると。


「ハナンはどこだ。ハナン」

突然、男が入ってきた。

「あ、お父さま」

ハナンは急ぎひざまずく。 

ムサは驚き、立ち上がる。


「お前は誰だ、なぜここにいるのだ」

叱責され、ムサもひざまずく。

ハナンが

「この方は、無頼者から救ってくださった恩人です。お礼に.お茶にお招きしました。怪しい方ではごさいません」

面食らった様子で

「そうだったか、それは失礼した」

「こちらこそ・・・」

と、ムサが言いかけると

「私は、ハナンの父親で、ナスリと申す」

驚きだった。

キル国の王ナスリだ。

自分から名乗っている。

ムサは、腹をくくり

「失礼致しました。私は、タスクル国の三日月氏ムサと申します。旅の途中ではごさいますが、ご縁を得てここに参りました」

「おっ、三日月氏の方か」

「ご存知ですか、父は、ハヤテと申します」

「そうであったか、ハヤテ殿には、何度か商いの場で会って知っておる」

これは嬉しい誤算だった。


ナスリ王を交えての昼の食事会となり、旅の話や周辺の近況、噂話の披露など、ムサの話に盛り上がる。

ハナンも、そんなムサを頼もしくみつめていた。


 笛の調べが心地よい、腕枕で横になり聞き入る。


待てというならいつまでも

待ちくたびれて石になろうと

心は残りあなたを想う


か細いが澄んだ声が響く


「ハナン、こっちにきて」

衣擦れの音が聞こえる。

座り込む、その膝に頭を乗せる。

「いつも、そうして横になってばかり。ちゃんと私を見て」

「見てるよ、美貌が眩しいからこうしてるのさ」

「嫌だわ、冗談ばかり」

起き上がりくるりと体を回し、ハナンを抱きしめ、一緒に横になる。

温もりも愛しい。


ムサとハナン、2人が親密になるのにそれほど時間はかからなかった。

だが、あくまでも秘密の関係だった。

ハナンには、兄と弟がいて、嫁ぐ身ではあるが王女だ。

ムサは、三日月氏とはいえ、妾腹だ。格の違いがある、


出来ることなら、キル国で、ハナンと暮らしたい、このままでいたいと思うが、それは難しいことだ。

それに、ムサには、ミーナを探すという、自分に課した使命があった。そこはどうしても外せない。

ミーナを思うと、次第に、今いる幸せな時間にさえ居心地の悪さを感じるようになる。

次にすすもう。

ある日、ムサは、急かされるかのように出立する。

ハナンには何も告げずに旅立って行ったのだ。

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