第14話

○ 連鎖する悲しみ


 「ひとりにしてくれ」

慰める言葉も言えず、ムサから離れる。

誰が悪い訳でもない巡り合わせの悪戯かとミーナは思う。


 「山法師さまに、頼まれたもの大丈夫?」

「それが、まだ揃わないのよ」

小間使いたちの会話が聞こえ

「どうかしたの」

と割り込み聞く。

あっ、ミーナさんと驚きながら

「頼まれて探しているのですが、見つからないものがあるので困ってます」

他ならぬ、山法師からの依頼だからと八方探して見つからないという。

「何を探しているの?」

「実は、金木犀の香り水をさがしているのですが、どこにもないのです」

「金木犀を?山法師さんが?」

「はい、毎回ではないのですが、頼まれることがあるとか」

洞窟では、まったく気づかなかった。

「金木犀か」

「亡くなった方の好きな香りだと聞いています」

えっ、何も知らなかった。

「亡くなった方とは、どなたなの」

「ごめんなさい。私たちは詳しいことはわかりません」

「あ、でも、、ガヤおばさんなら知っているかも」


ガヤおばさんとは、奥を取り仕切っていた長老で、今は引退して隣りの小さな家に住んでいる。

「ありがとう、聞いてみるわ」

手が空いていたので、その足で訪ねる。


「ガヤさん、いらっしゃるかしら」

戸口で声をかける。

後から

「なにか用かい」

声をかけられ振り向く。

「あ、こんにちは」

出かけていたようだ。

「ま、とにかく入りな」

中に入ると、椅子にと言われて、座る。

ゆっくりとお茶を淹れ始めたガヤさんに

「ガヤさん、ご存知かとは思いますが、私は、山法師さんに助けられて、ここで働いています」

「ああ、知ってるよ」

「お世話になるばかりで、何もお返しできないままでいるのが口惜しいのです。何かできることはないかと思っていたら、さきほど、山法師さんの依頼の金木犀の香り水を探していると聞いて、なぜ金木犀なのかと」

「金木犀ね」

「山法師さんが、なぜ金木犀の香り水にこだわるのか知りたいのですが、何かご存知ですか」

「うーん、どうしたものか」

「ご存知ですか」

「ま、あんたも苦労したようだから、通じ合うものがあるかもしれないね」


ガヤさんの話によると

山法師こと、イーライさんは、ハン家の二男で、家業を番頭として手伝い、老若男女嫌う人などいない評判の好青年だった。

ある時、市場で難儀していた少女を助け、話をするうちに仲良くなり、やがて恋仲になる。

その少女レイラは、漢民族の血が濃く、外見もそうだったため、多民族の町では難しい存在だった。それだけではなく、貧しい育ちなどを理由に結婚を反対されていた。

しかし、イーライは、持ち前の性格で、律儀にまわりを説得し、許しを得て婚礼が決まる。

だが、やっと結ばれるという時に、レイラは得体の知れない男たちに攫われ暴行を受け無惨に殺されたのだ。

亡骸を見つけイーライは泣き崩れ、放心状態になり、心が壊れ、2年近く、徘徊したり、閉じこもる日々が続いたとか。

しかし、突然出家する。

イーライは何も語らず、金木犀の咲く頃、渓谷へいったとか。

たぶん、金木犀は、レイラの思い出というより、心の整理をしようと決めた時の香りではないか。

だから、思い立つと、何でもない日でも香りに触れたくなるのだろうと言う。

そうかもしれない。

渓谷には、さまざまな花が咲くが、金木犀はなかった。

心の拠り所となる香り、それで心の隙間を埋めたくなるのだろう。


「これが、金木犀の香り水だ。

持って行きなさい」

ガヤさんが持たせてくれた。


山法師のために、常に数本持っていると話す。

有り難く受け取る。

ガヤさんの山法師への気遣いが心にしみる。


 タジルからの手紙がミーナに届く。

家族も、三日月氏も、皆、ミーナの生存を知り早く会いたいと待っていると書かれていた。

それと、偵察に出かけたベンジャミンがタジルの元にいるという。

そんな偶然があるのかと驚くばかりだ。


すぐにまた手紙で、準備が整っているので、帰参の日を決めたいと頼み、ムサとハンナのことも書き送り、急ぎでの返事を待つ。


 ムサは、行方がわからなくなっていた。

頼まれていた用事は済ませたものの、出先で飲んだくれて、道端で寝ていたようだ。

数日後、ふらふらと戻ってくる。

とにかく、ムサは、荒れていた。

タジルを悪者にして、やってやる、奪い返してやると叫んで暴れて、酔い潰れる。

 

翌日も、むっつり機嫌が悪く、まわりが気を使うとさらに不機嫌になる。

扱いづらい男になっていた。


 タスクル国にいるベンジャミンもやり切れない思いでいた。

このまま、イリアを連れて帰りたい。だが、それは難しい。

そんなことをすると、タジル王の立場が危うくなり、それだけではなく戦争になるだろう。


西軍の将軍は、軍を率いて、遠征し、タスクルの外れに建つ、ホルム宮殿周辺に駐屯していると聞く。

まさに、イリア包囲網が敷かれようとしている。


ふと思い出すのは、山法師、叔父のイーライの悲劇だ。

引き裂かれる苦しみは墓場まで続く。

耐えられるのか、耐えられないならどうするか、答えのでない堂々巡りばかりしていた。


 何かの微かな気配で、ベンジャミンは薄目を開ける。

危険は感じないが、誰かがいる。

顔を動かそうとすると、目隠しされる。

甘い香りに包まれる。

誰だ、と聞かなくてわかる。

だが、なぜ、

なぜ、ここに。

がばっと起き上がる。

はっと飛び退くイリア。

ベンジャミンを見つめ、恥ずかしそうに立っている。


「どうしてきたの」

イリアは答えず下を向く。

「ここにきたら、ただじゃ、帰れないよ」

「はい」


手を掴み引き寄せ抱きしめる。

胸の中で

「私をあなたの妻にしてください」

イリアがつぶやく。

あとは言葉はいらない。


こんな気持ちは、初めてだった。

恥じらいの中で知る喜び。

これまでどの女にも感じることがなかった至福感だ。


ひととき過ごし、イリアはそっと出て行く。

甘い残り香りを残して。


愛するイリア、どんなことが起ころうと離してはいけない運命の女だと痛切に思うベンジャミンだった。

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