第7話
○この先には
洞窟での生活が、1年ほど経った頃、また使いの男がやってきた。
山法師の縁者だと言うが、まったく似ていない髭面の背の高い体格の良い男だった。
ミーナのことはおよその事情を聞いているらしく、特別何も言わず聞かず、しばらく休んだ後
「今から降りたら夕方には里の近くまで行けるから行きましょう」
と言う。
山法師は勿論、ミーナも、今回降りるつもりでいたので即決となる、
山法師から見送られて、ベンジャミンと名乗るその男と洞窟を後にする。
山法師から手持ちにと渡された銭袋をありがたく、ぎゅっと握りしめて山道をすすむ。
無言のまま、ひたすらついて歩き、険しい岩場は抱き抱えられ、背中に乗せられながら、やっとの思いで、草原を見渡せる場所まで降りる。
人里は近い。
「あの、ここはどこですか」
思わず聞いてしまった。
タスクルの中しか知らないため、この地がどこなのか、どこにいるのかさえもわからないのだ。
えっと言う顔を向けながら
「近くに、サリという町がある」
と教えてくれた。
サリという地名は、商人から聞いたことがある。
カラクリ湖を越えた先にある商人たちが必ず通るクチャ国の町だと記憶している。
「サリ、サリまできたのか」
ミーナは、ぼんやりと草原を見渡しながら、これからのことはまだ何も決めていない、どうしたものかとため息をつく。
「とにかく宿に行こう」
と促され歩き、しばらくして、草原には珍しい林の中にある宿だという家に着く。
入り口に座る老婆に部屋を頼み、それぞれ部屋に入り休む。
ミーナは寝台に横になるとそのまま眠ってしまった。
「サラさん」
と呼ぶ声で目覚め、戸口に行くと、見知らぬ男が立っていた。
驚いて、後退りをする。
「あ、ベンジャミンです」
と頭をかいて笑う。
すっかり見違えてわからなかったが、背丈体格で確かめる。
だが、どうなっているのか。
昨日とは、まったく別人のようだ。
朝食を食べようと言われ、ミーナは念のため、布を顔まわりに巻いて従い、連れられて屋台へ行く。
運ばれてきた麺を食べながら
「剣術の鍛錬のため、山籠りした後だったけど、また山に行くならと、そのままの姿だったんだ」
と笑いながら説明する。
それならと、わかった。
「ところで、サラさんは、これからどうするの、家に帰るのかい」
と聞かれる。
困った、何からどうすべきかまだ考え中だった。
「お金がないとどうすることもできないわね」
と、ポツリと言う。
「そうだけど、何かあてはあるの」
「何もないわ」
麺の汁を飲み干すと
「じゃ、まず仕事だ。サラさんは何ができるの」
聞かれて、改めて考える。
「あ、こう見えて家の中のことなら何でもできるのよ。料理、織物、刺繍とか」
それに剣術もと言いたかったがやめた。
「それは頼もしい。紹介するから付いてきて」
ベンジャミンと歩きながら
「怪我をしたから、左手がまた不自由なの」
とだけ話す。
「酷い怪我をしたと聞いているよ、
手だってもうすぐ治るさ」
ベンジャミンは、髭を剃るとなかなかの色白の美男子で思っていたより若い。金色が混ざる薄い茶色の髪が目を引き、女たちの視線を惹きつける。
それに話しやすく、明るい青年だった。
サリの町に着くと
サラさん、サラさんこっち、こっちだよ、と市場をベンジャミンに連れ回される。
市場を我がもの顔で歩き、皆に挨拶されるほど、顔が広いようだ。
布を売る店、豆など乾物を売る店など、色々一緒にまわったけれど、挨拶するだけで、仕事の話は出ない。
「ちょっとそこで待ってて」
ベンジャミンがどこかへ行く。
待ちながら、改めて自身を見直すと、山法師が選んでくれた白い服に、顔まわりに薄い灰色の布を巻いている自分がいた。
以前の姿とはかけ離れ、何者かもわからない怪しい女としか見えないだろう。
「サラさん、この服に着替えて」
ベンジャミンが服を持って戻ってきた。花模様の桜色のスカートと長い丈の上着だ。
さっき入った布の店の裏を借りて着替え、髪を整える。
「あら、あなた美人だったのね」
と、店の女主人が驚きながら見ている。
店の前で待っていたベンジャミンも驚いている。
だが、ミーナは顔まわりをまた布で隠す。
ベンジャミンは、山法師から曰くありげな女だとは聞いていたが、詳しいことはわからないし特に知ろうとも思わない。
襲われて断崖から飛び降りるなど普通じゃない、大胆で肝が座っている。
それに、品のある美人だ。
そういう目で観察していた。
ミーナは居心地が悪かった。
山法師からも、ベンジャミンからも、親切にされ、何も返すことができないでいるのに、また服を渡され、言われるがまま着ている。
「サラさん、仕事が見つかったので行きましょう」
とベンジャミンが呼ぶ。
まだベンジャミンの素性などわかっていない。
だが、今はついていくことしかできない。
運を天に任せて歩き出す。
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