第59話 その感情は


 リュシアンはクレメンティナを王城へ帰し、国王と謁見を求める。するとその日のうちに国王と話す事ができ、今回のクレメンティナの横行を的確にしっかりと報告する事ができた。


 国王はクレメンティナの事を持て余しているようで、可愛い一人娘なだけにワガママ放題であったが厳しくできずに放任してきた事、それがリュシアンに迷惑を掛けてきた事を謝罪した。


 リュシアンはジョエルを奴隷とは言わず、シオンの侍従である事のみ伝え、今回の事は目を瞑るとし、今後はシオンに危害が一切及ばないようにやんわりと釘を差した。


 国王も深く反省し、兼ねてからあった隣国の王子との婚姻を進めるとその場で決めたのだった。


 今や軍事と医術に関してモリエール家の右に出る家門はなく、王族や貴族の間での影響力も発言力もあるモリエール家の機嫌を損ねる訳にはいかなかったのだ。


 程なく話を済ませ、帰路につく。


 帰りの馬車でリュシアンは、涙に濡れるシオンを思い浮かべていた。


 大切な人を失うかも知れないという感情は、リュシアン自身よく分かっているつもりでいる。

 両親の事もそうだが、前世でノアが疫病が蔓延する街、ルマの街へフィグネリアに無理矢理送り込まれた時も、自分の元からノアがいなくなる恐怖に襲われたのを思い出す。


 そして引き摺られるように先程の事を思い出す。


 シオンがジョエルに駆け寄ろうとしたが、それが思うようにいかず左脚を引きずるようにしていた事。

 そう言えば階段を上り下りする時は、ジョエルがいつもシオンを抱き上げていた。あれはシオンの足が悪ったからだったのか。

 

 だから、そうか。はじめてモリエール家に来た時、本邸の二階にある部屋を断り、別邸へ行ったのか。

 そうやってシオンの行動を思い起こすと、辻褄が合う事ばかりだった。


 そしてジョエルが言った事。あれは一体どういう事か。しっかり考えなければならない。


 だが今はただ……


 早く帰りたい。


 まずは自分のこれまでの態度が今回の騒動を引き起こしたのだから、それを謝りたい。これまでのことも、もっと謝りたい。

 

 そして不安を感じているシオンを慰めたい。


 細くか弱いその体を、もう心配いらないと抱き締めて温めて安心させてやりたい。これからは必ずジョエルも守るからと言って、優しく滑らかな髪を撫でて柔らかな頬を撫でて、指で大きな瞳から零れ落ちる涙を拭って華奢な肩を抱き寄せ、それから震えて濡れる形のいいその唇に……


 そこまで考えてハッとする。


 

「私はなにを……っ!」



 自身の顔がカァァッと赤くなるのが見えなくても分かるくらい、熱を帯びている。心臓がうるさいくらいにドキドキと早鐘を打つ。


 こんなふうに誰かを想って何かをしたいと思うのは初めてではないだろうか。それはノアの時とは同じようで違うような感情に思えた。

 

 最後の時、うろ覚えだがノアはリアムと結婚したいと言っていたようだったが、それを具体的に考えられる程二人は大人ではなく、ずっと一緒にいれたらいい、くらいの感覚に近かったように思える。


 だが今はどうだろう。


 ノアはもちろん大切だ。誰よりも守りたいと思っているし、幸せになって欲しい、幸せにしたいとも思っている。


 だがシオンへはそれ以上の感情があるのではないのだろうか。


 誰よりも傍にいて、誰にも触れさせず目にも触れさせず、部屋に閉じ込めて自分だけの人であって欲しいと願っているのではないだろうか。


 抱き締めて身体に触れ、シオンの体も心も、その全てを自分のものにしたいと思っているのではないだろうか。

 

 そんな自分の感情にようやく気付いた。


 リュシアンはシオンに恋をしたのだ。

 

 気付いてからはもう、なし崩し的にその感情を受け入れてしまうしかなく、そうすると意外と心は落ち着きを取り戻していった。



「そうか……私はシオンを……」



 上を向いてシオンの顔を思い浮かべ、ポツリと独りごちる。やっと気付いたこの想いを大切にしたいと、リュシアンは温めるように自身の胸に手をやった。


 モリエール家への道のりがとても長く感じる。早く帰りたい。早く会いたい。そしてこの想いを告げたい。

 

 気付いたシオンへの想いは、リュシアンの胸の中で膨らんでいくばかりだった。


 ようやく馬車はモリエール家の邸に着いた。


 駆け付けたセヴランにすぐにジョエルの容態を確認し、処置の方法等も聞き出す。


 別邸のジョエルの部屋に、はやる気持ちを抑えつつも無意識に足は急がせながら、ジョエルの部屋までたどり着いた。


 扉を開けると、そこにはベッドに横たわるジョエルと、その傍らでジョエルの両手を握り締めているシオンが目に映る。その姿を瞳に映すだけでも、リュシアンの心は満たされていったのだ。


 

「シオン」


「リュシアン様……」


「ジョエルは命に別状はないと聞いた。安心して欲しい。モリエール家の総力を挙げてジョエルの回復に尽力する」


「ありがとうございます……っ!」



 そう言うとシオンはまた涙を流した。


 リュシアンはゆっくりと近寄り、涙に濡れるシオンに手を伸ばし抱き寄せようとする。


 その時



「リュシアン様! 急ぎご報告がございます!」



 その報告に来たのは、騎士団の副団長であった。この間の悪さに、流石にリュシアンは苛立ちを隠せずに眉間にシワを寄せる。

 しかし彼のもたらした報告に、リュシアンもシオンも、驚きで動けなくなってしまった。



「ルマの街に! 疫病が発生しました!」


「疫病?! どんなだ?!」


「昔、ルマの街を……このレサスク地区を襲った致死率80%の、あの疫病です!」

 

「なんだと?!」 


「直ちに対策をお願いします!!」


「分かった!」



 リュシアンは副団長と共にすぐに部屋から出ていってしまった。


 シオンは顔面蒼白となった。


 あの疫病の猛威は凄まじい。致死率も高いが感染力も高く、潜伏期間は人より異なる。その為、すぐに亡くなる人もいるが、感染した事に気づかずに多くの人と接触し、感染者を増やし続ける場合もある。

 全身、骨が砕けるかのような痛みに襲われ、高熱、嘔吐を繰り返し、内蔵が壊死していき、最後は呼吸も出来ず心臓までも壊死し、亡くなっていくのだ。


 シオンの体は知らずガタガタと震える。リュシアンはあれからあの疫病に侵された人はいないと言っていた。このモリエール公爵領はどこよりも裕福でどこよりも怪我や病気が少なくて、領民みんなが幸せに暮らしている、そんな場所の筈なのに……


 そこまで考えてハッとする。


 

「わたくしに魔力が……帰ってきた、から……?」

 


 そう考えると納得がいく。ルマの街から病原体が無くなった訳ではなかった。シオンの魔力が、女神像に預けられていた魔力が常に街中を浄化し続けていたのだ。


 なら浄化ができなくなったら?


 その答えに行き着いたシオンは、怖くて怖くて、だけど今それを誰にも言えずにただ一人、その場で震えるだけしか出来なかった。



「どうしよう……ジョエルどうしよう……」



 だけどジョエルは深い眠りについていて、シオンの問いかけに答えてはくれなかった。


 あの街に……ルマの街に行くんじゃなかった。


 ずっと邸から、部屋から出ずにいれば良かった。


 そんな後悔がシオンの胸を襲う。



「返しにいかなくちゃ……返しに……」



 また元通りの街に。


 優しい人々が住む街に。


 シオンは自分の魔力をあの街に返す事を心に決めたのだった。




 

 

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