第55話 山茶花時雨-2
「・・・・・・・・・ううんーいいねぇ、青春だねぇ」
ニヤニヤ笑った彼女が、次の瞬間閃いた!という顔で朝陽を見つめて来た。
ホームに電車が滑り込んできて、開いたドアから男性客が降りて来る。
先に車両に乗り込んだ朝陽に向かって、未弥が後ろから言った。
「さきに帰ってて、あとで鯛焼き買って行くから」
「え!?は!?」
何言ってんだと振り向けば、ホームで立ち止まったままの未弥がひらひらと手を振って来る。
それなら俺もと言いかけたところで無情にも電車のドアが閉まった。
笑顔の未弥が隣の車両、さきほど二人連れの女子生徒が立っていた方を指さして拳を握りしめる。
何を頑張れと言うのだ。
こんなお膳立ては頼んでいないし、望んでもない。
よりよってどうして未弥に。
がっくりと項垂れる朝陽を乗せて電車は走り出し、張り付くようにドアの前に立つ朝陽から視線を逸らして、未弥は凛とした面持ちで後ろの方へ歩いて行ってしまった。
結局あの後、未弥の予想通り駅に辿り着いたところで女子生徒に捕まって告白された朝陽は、ごめんと短く謝罪して逃げるように真っすぐ自宅に戻って、次の電車で追いかけて来た未弥がお土産にしてくれた鯛焼きに、手を付けることすらしなかった。
悲しいかな、未弥に別の誰かとの未来を応援された瞬間に、はっきりと恋心を自覚したのだ。
今にして思えば、あれがちゃんと覚えている初恋ということになる。
あれから10年以上経って、こっちに戻って来た後顔を出した地元の飲み会で、あの日告白してくれた彼女と偶然再会して、母校の小学校教諭になったと聞かされた。
振られたけどいい想い出だよと懐かしそうに笑う彼女の左手の薬指には真新しい結婚指輪が嵌まっていた。
・・・・・・・・・・
「初恋の日って、響き自体がロマンティックよね」
うっとり目を細める彼女に、質問を投げたのは単純な興味から。
「おまえの初恋っていつ?」
「え、いつだろう・・・・・・ええっと・・・小学校の同級生・・・かなぁ・・・?」
「・・・・・・っそ」
彼女の初恋が自分であるはずがないのにどうしてそんなことを尋ねてしまったのか。
自分で自分の胸を抉ってどうするとげんなりしながら食器をシンクに下ろした。
シャツの袖を捲らずに水を出してしまったことに気づいて、もういいかとそのままスポンジに洗剤を落とす。
急な来客でも対応できるようにネクタイとジャケットはロッカーに常備しておいて、普段はワイシャツで出勤するようにしている。
これは前職の時からずっと変わらないことだ。
休日出勤や完全に作業のみの日にはTシャツやポロシャツで出かけることもあるが、西園寺メディカルセンターは前職よりもずっと来客が多いので、ワイシャツを着る機会が一気に増えた。
テレビを消してリモコンを定位置に戻した未弥がキッチンに歩いて来る。
「初恋はロマンティックだけど、初恋は叶わないって言われてるから余計にそう感じるのかもね。憧れは憧れのままで、てきな」
隣に並んだ彼女が、朝陽の腕に手を伸ばして、シャツの袖を捲り上げた。
無防備な横顔にキスを落として、パチパチと目を瞬かせた未弥に向かって不敵に微笑む。
こういう喧嘩ならいくらだって買ってやるのに。
「それ、全力で否定してやるからな」
初恋は成就すると残りの人生全部を賭けて、意地でも証明してみせる。
「え、なんで!?」
心底驚いた表情で未弥が訊き返してきて、思わず舌打ちしそうになる。
が、自ら進んで初恋について言及するのは癪なので、悔し紛れの鼻先に噛り付いた。
「っひゃ!」
悲鳴を上げた未弥が涙目になって逃げて行く。
「窓の戸締り見て」
「はーい。和室は?」
「俺が朝煙草吸ってから閉めた」
「了解。あ、ねえ、今日のお夕飯どうする?」
「豚と白菜がまだ残ってる」
「ミルフィーユ鍋だね!」
秒でメニューを口にした未弥が窓の施錠を確かめながら、いい天気になりそうと楽しそうに笑った。
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