第56話 風花-1

「あ、無い・・・・・・ええっ・・・続きどこ?」


カウチソファーの上に広げられた単行本を探りながら、目当ての巻が見つからずにしょげた未弥に向かって、隣に腰かけている朝陽が廊下の向こう=朝陽の仕事部屋を指さした。


「なんであと3冊持ってきてくれなかったのよ・・・動きたくないのに」


「とりあえず5冊って言ったの自分だろ」


「こんなに一気に読み進められると思わなかったから・・・だって文字数が少女漫画の半分なんだもん」


「スポーツものって大抵そうだろ」


タブレットで読書中の彼が視線を巡らせてリビングを見回した。


「やっぱりあの本棚こっちに移動」


「それは駄目。リビングはシンプルなほうがいい、絶対」


「・・・・・・未弥がいいならいいけど・・・こだわりなんか無かったくせに・・・」


ひょいと眉を持ち上げた朝陽が、可笑しそうに頬を緩めた。


たしかにプロポーズを受けて新生活をスタートさせた直後は、リビングはまだ朝陽だけのものだと思っていたし、未弥が自由にしていいのは和室のなかだけだと思っていた。


朝陽は好きなインテリア雑貨を増やして構わないと最初から言ってくれていたけれど、この結婚生活自体、いつまで続けられるのか分からないという不安のほうが大きかった未弥は、リビングにそれ以上手を加えることはしたくなかった。


だから、実家で保管している大量の本のほとんどを置いたままこの家にやって来たし、その他の荷物だって最低限のものを選んで来た。


けれど、二人で過ごす時間が増えて行くつれてどこまで続けられるのか、と思っていた疑問は、どこまでも続けたいという願望に代わり、朝陽への愛情が増していくにつれて未弥の荷物は少しずつ増えて行った。


結果この一年で未弥の実家にあった荷物のほとんどは新居に移動して、未弥の愛読書たちも朝陽の仕事部屋の本棚に綺麗に収納された。


朝陽がこの家に引っ越して来る際にほとんどの本を処分して電子に切り替えたおかげで、ガラガラだった大きな本棚には、今は未弥の大好きな本が沢山詰まっている。


電子になっていない本、どうしても紙で読みたい本だけを厳選して残している朝陽のスペースを漁るようになったのは結婚してから8か月ほど経ってからだ。


未弥は本は紙で読みたい派なので、朝陽が選りすぐって残しておいてくれた昔の漫画たちを次々と読破して行っている。


夫婦のメインの寝室は相変わらず和室のままで、そこにも未弥の荷物が増えた。


掃除の時に邪魔になるからと押し入れの中にカラーボックスを設置してくれた朝陽のおかげで、メイク道具や小物たちはすべてそちらに収納されている。


リビングには、パキラとポトスとモンステラが増えた。


どちらも未弥が選んだもので、ほとんどの世話はやっぱり朝陽が行っている。


朝陽の部屋の片隅にもポトスが飾られて、無機質な室内が少しだけ柔らかくなった。


朝陽が仮眠用に置いていたシングルベッドは撤去されて、代わりにセミダブルのベッドが設置された。


二人寝に慣れ過ぎた未弥が、朝陽が夜間作業の夜に眠れず起きている時間が増えてしまったので、二人でも眠れるようにと一回り大きめのものに買い替えたのだ。


未弥は朝陽の部屋に立ち入る機会も増えて、未弥が休日で朝陽がリモートワーク中の時にはお茶を差し入れして、暫く部屋で過ごすこともある。


時々からかい半分でソファ代わりに座ったベッドの上に押し倒されて、あたふたすることもあるけれど、それもまたくすぐったい出来事だ。


自分の部屋の本を全部こちらに運びたいと伝えた日、朝陽はそれそれは嬉しそうに笑ってくれた。


自分が差し出した答えで、こんな風に喜ぶ朝陽を見るのは初めてでまるでプロポーズのやり直しをしたような気分になったものだ。


本当に大量だから覚悟してよと予告して揃って実家に戻って、後部座席とトランクと足元と未弥の膝の上まで使って運びきった愛読書たちを綺麗に並べ終えるのに、半日近くを要した。


それでも壁一面の本棚に綺麗に整頓された本が並ぶさまは圧巻で、小さな図書館が出来たとはしゃいだ未弥に、朝陽が嬉しそうに頷いてやっと結婚できたとしみじみ零した。


それから本を読む時の定位置は、朝陽の部屋のベッドの上か、カウチソファーの上になった。


和室の布団に潜りこんで本を広げると、すぐに朝陽がそれを抜き取ってしまうからだ。


読書に夢中になると、返事すらしなくなる未弥をよく理解している朝陽は、自分がバスルームから戻ると真っ先に未弥の手から本を遠ざける。


そのまま布団に入って来た朝陽と夕飯の続きの話題で盛り上がることもあるし、すぐにじゃれ合う時もあるし、眠たくなった未弥を朝陽が寝かし付けてくれる夜もある。


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