第54話 山茶花時雨-1

遠山家でテレビが活躍するのは、主に朝の時間帯。


二人が出勤する前の短いひと時のみが、活躍の舞台となる。


シナモン入りのミルクティーを飲みながら今日の占いを食い入るように見つめていた未弥が突然、あ、と声を上げた。


今日は午前中に研究所ラボで全体会議があるので一緒に出勤する朝陽は、一口サイズのバナナを未弥の口に放り込んで、空の食器を手に立ち上がる。


「なに、占い何位?」


「5位、朝陽は4位。ねえねえ、今日って初恋の日だって。良かったぁ。ネタ切れだったから図書館メッセージどうしようって思ってたのよね」


ホッとしたようにミルクティーを飲み干した未弥が、朝陽に向かって空のカップを差し出した。


図書室の入り口すぐにあるホワイトボードには、休刊日のお知らせや、時節柄に合せた展示物が飾られたり、その時期に合わせたちょっとした豆知識なんかが記されている。


これは司書たちが持ち回りで担当しており、未弥が前に担当になった時には、瑠璃から教えて貰ったという色紙工作の手伝いをさせられた。


初恋の日の由来について説明するアナウンサーの言葉にうんうん頷きながら、未弥が初恋の日ねぇ・・・とふわふわした表情で笑った。


その横顔を見た瞬間、随分昔の記憶が蘇って来た。






・・・・・・・・・






朝陽たちの地元では毎年春に地域の中学三年生だけを対象にした観劇が区民会館で行われる。


地域貢献と芸術振興を掲げる西園寺グループが毎年有名劇団を招待して行っているもので、その年の演目は、かの有名なウエスト・サイド物語だった。


多感な時期の子供たちに様々な芸術を味わって欲しいという願いから続けられている貢献活動は、ミュージカル好きの人間や女子には人気だが、男子生徒からの支持率はほぼゼロに近しい。


誰もが耳にした事のあるストーリーと名曲として語り継がれる劇中歌。


観劇の後には感想文の提出が義務付けられているので、あらすじが分かっている事は有難かったが、欠伸をしてウトウトし始める度に狙ったかのように劇中歌が始まるので結局熟睡出来ずに二時間弱が過ぎて行った。


観劇後は自由解散だったので、そのまま同級生たちと歩いて駅に向かう。


反対方向の電車に乗る友人たちと別れて駅のホームに降りると、背後から驚いたような声が聞こえた。


「あれ、朝陽!?なんでこんなところにいるの、もしかしてサボリ!?おばあちゃんに言いつけるよ!」


本来なら地元の中学で授業を受けているはずの幼馴染が駅のホームにいることに驚いた様子の未弥を振り返って、ああそうか、ここは未弥の高校の最寄り駅だったなと思い出す。


市内の高校に進学した今年三年生の未弥は、最後の高校生活を満喫しているようだった。


頼んでもいないのに祖母にブレザー姿を披露しに来たのは高校生活が始まる直前のことで、髪を切るかどうしようかと真剣に悩んでいる彼女の隣でひたすらゲームをして時間を潰したことはいまもよく覚えている。


祖母は悩む未弥の言葉にうんうんと何度も頷いて、一度結んで学校に行って、やっぱり切ろうと思ったら美容院に行きなさいと諭していた。


髪が短かろうが長かろうが大した違いはないと思うのに。


祖母のアドバイスに従って髪を結んで入学式に挑んだ未弥は、やっぱりセミロングにしておく!と嬉しそうに報告して来て、それにもまた祖母は良かったねぇと微笑んでいた。


そして、未弥の髪型が中学時代から変わらなかったことに、不思議なくらい朝陽はホッとしていた。


あれからずっと未弥の髪形は変わっていない。


「ちげぇよ。区民会館で芸術鑑賞。未弥も行ってただろ」


「ああ!あったねえ、そんなこと!三年も前の事だから忘れてたわ」


当然のように三つの年齢差を突きつけて来る彼女の無意識の言動が腹立たしくて堪らない。


未弥にとっては昔になってしまう過去を、今現在自分が走っているどうしようもない現実が最近死ぬほど歯痒くなるのだ。


そんなこちらの気持ちも知らずに、未弥が視線を合わせて尋ねて来る。


「で、今年の演目なに?」


悔しいくらい伸びてくれない身長にイライラしている事もあって、逃げるように彼女から視線を逸らした。


「ウエスト・サイド物語」


「ああ、王道だ!泣いて・・・るわけないわよね。寝てたんでしょうどうせ」


「るせぇよ」


未弥の履いているローファーの踵と、自分の履いているスニーカーのラバーはどちらが分厚いんだろうと詮無いことを考え始めた耳に、電車の到着アナウンスが聴こえて来た。


「ほんっとどんどん口悪くなってくなぁ・・・これだから男の子は」


やれやれと母親のような口を聞く未弥にさすがに全力で言い返してやろうとした矢先、彼女があ、と声を上げた。


「おばあちゃん今日もデイサービスでしょ?私も久しぶりに寄って行こうかなぁ・・・駅前で鯛焼き買ってかない?」


「おごりなの?」


「お姉さんに任せなさい!」


えへんと胸を張る未弥が、決まりねと笑って乗車口に向かおうとして、急に朝陽背後をひょいと覗き込んだ。


「なんだよ」


誰かいるのかと振り返れば、少し離れた場所でこちらを見ているセーラー服の女子中学生が見えた。


同じ中学校の女子生徒だ。


ちらりと顔を確かめると、二人のうち一人がパッと顔を赤らめて視線を逸らした。


物凄く分かりやすい。


最高学年になった途端この手の反応を示す女子生徒がちらほら出て来た。


興味なんてないけれど。


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