第51話 半夏雨-2
「そんなの朝陽だってそうでしょ、私に全然好き好き言わないでしょ」
「言った方がいいならそうするけど、その場合未弥も同じだけ返せよ」
上司である西園寺の愛情表現は一年365日のべつ幕無しだが、あれをやるのはまず無理だ。
そして、未弥に瑠璃ほどの耐性があるとも思えない。
が、彼女が望むならその10分の1程度なら努力してみてもいいとは思う。
当然それなりの対価を要求するが。
「・・・・・・結構です」
5秒黙った後の未弥の返事に眦を甘くして、朝陽が笑み崩れる。
「なんだよ・・・つれないな」
「だってほら、私たちには、私たちなりのペースとか、やり方がね」
至極真面目な口調で返した未弥の唇を軽く啄んで額を合わせた。
頬に触れた朝陽の髪がまだ湿っている事に気づいた未弥が、小さな声で指摘してくる。
「・・・・・・髪、ちゃんと拭かないとまた風邪ひくよ」
長風呂が出来ない朝陽は一人の時はシャワーで済ませていたので、結婚して湯船に浸かるようになったいまも入浴時間は未弥の三分の一程度だ。
風呂上がりの未弥と入れ替わりでバスルームに向かって、彼女がスキンケアとドライヤーを終えた頃にはもう和室に戻っている。
烏の行水、と未弥は困り顔で笑うけれど、今日はいつも以上に急いだ自覚があった。
心も身体もいつも以上に逸っていたのだ。
この数日、撫でて労わるだけに留めておいた脹脛や足首の感触でどれくらいこちらが昂っていたのか、彼女は知らない。
さすがに未弥の足が治るまでは寝室を分けようかとも思ったが、夜中にトイレに起きた彼女が心配になって結局布団は隣に並べたまま、行儀よく昔のように添い寝で我慢した。
未弥は朝陽がそばにいることにホッとして、何かあったら起こせよと投げた言葉にこくこく嬉しそうに頷いて目を閉じていたけれど、その後数時間朝陽は一人悶々とした時間を過ごした。
久しぶりの寝不足だった。
あんなに熱烈な告白を大々的に受けた夜に抱き合えないなんて一体なんの罰ゲームだ。
未弥が朝陽を自分のものだと主張してくれたことが、何よりも嬉しかった。
名実ともに夫婦になって誰に憚ることなく未弥は自分のものだと胸を張れても、同じことを未弥から主張される機会なんてまずない。
大上から遠山になった彼女は、自分は朝陽の配偶者で、夫のもの、という自覚はあっても、夫が妻のものという感覚は抱いていないようだった。
あんな特別な言葉が聞けるのなら、もう一度くらい園田に来てもらっても構わない。
園田は、自分が喧嘩を吹っ掛けた相手が朝陽の長年の想い人で地元に長く囲っていた大切な未弥だと気づいて、茫然自失状態に陥った。
プレゼン自体は非常に魅力的で、同僚の全力のフォローでどうにか事なきを得ていたが、次回の会議に恐らく彼女が出席することはもうないだろう。
未弥との直接対決で完全敗北を記したからだ。
恐らく園田の中で思い描いていた未弥という女性は、自分と同じタイプのキャリア志向の強い女性だったに違いない。
それが実際会った未弥は想像とは真逆の大人しい印象でどう見てもキャリア志向のビジネスウーマンには見えない。
朝陽が心底望んでいたのは、自分とは真逆の人間だったのだと一瞬で悟った彼女の色を失くした表情はこれまでで一番儚げだった。
彼女のこの先の健勝と活躍を祈ってはいるが、それよりもまずは目の前の幸福を味わい尽くしたいのが本音だ。
タオルでおざなりに拭いただけの湿った黒髪を撫でる未弥の指先を捕まえてかぷりと食んだ。
「なあ、こうしてたら足、痛くないだろ?」
「・・・うん、普通にしてれば痛くないけど・・・え・・・・・・なに?」
抱きしめる手のひらを背中から腰に這わせた朝陽の仕草と、纏う空気の変化に気づいた未弥が瞳を揺らした。
「足に負担掛けないようにするから・・・」
「そ・・・れは・・・大丈夫・・・だけど・・・」
「ほんとは怪我した日からしたかった・・・・・・・・・さすがに自重したけど」
苦笑いを浮かべた朝陽が頬にキスをして明かりを落とす。
間接照明のみになったことで、未弥の肩から力が抜ける。
「なんか今日はめちゃくちゃ未弥のこと可愛がりたい気分・・・・・・・・・しよ」
宥めるように肩を撫でれば、未弥がそっと首筋に頬を寄せて来た。
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