第35話 宵-2

仕事柄夜間作業を行うこともあるので、仕事部屋にベッドは必須だったけれど、それはあくまで仮眠用のつもりだった。


和室か物置にしている洋室を夫婦のベッドルームにするつもりだったのだ。


けれど、朝陽の車で未弥の荷物を引き取りに行った時、しっかりと布団一式が荷造りされていて、さすがに持ってこなくていいとは言えなかった。


客用布団に使えばいいか、くらいの気持ちだったのに。


『ベッドと布団、どっちがいい?』


二人寝のつもりで尋ねた質問に、未弥がじゃあ、和室で!と言って、6帖の真ん中に自分の布団を引いて寝床を作り始めた時に、この先は未弥のペースで、と言った自分を心底呪った。


『こっちで寝てもいいよ』


半ば本気で言った朝陽に、未弥がパチパチと瞬きをして、そのうち、と零さなかったら本気で凹んでいたかもしれない。


全く中身の入って来ないバラエティー番組を消して、リモコンをソファーに放り投げて立ち上がる。


「いいよ。俺がタオルも纏めて持って行く」


「ほんと?助かる」


和室に上がれば、ベランダに繋がる掃き出し窓の横に、小さな鉢に入れられたサクラランと、その隣に積み上げられた日に焼けた文庫本と漫画の山が見えた。


文庫本の山は未弥が厳選して持って来た在庫の一部で、彼女の部屋には学生時代から買い集めた大量の本や漫画が眠っている。


未弥の荷物も踏まえて収納スペースの多い部屋を選んだのに、彼女はそれら全てをこの家に持ち込もうとはしなかった。


そのことが物凄く歯痒い。


戸籍ではすっかり夫婦になったけれど、未弥の心の内の一割程度も自分は満たせていないのではないかと不安になってくる。


未弥相手に恋愛の駆け引きを仕掛けたって無意味だし、甘ったるい言葉を並べ立てろと言われても白旗降参したくなる。


未弥の前にしゃがみ込んで、布団の上から手を伸ばして充電器のコードを引き寄せる彼女の背中に手を伸ばした。


湯上りの火照りが抜けてしまった身体はほのかなぬくもりだけを抱えていて、薄いコットンのパジャマの生地越しにまろやかなラインを探ればそれだけで堪らなくなる。


振り向いた未弥を布団の上にそのまま押し倒して、残り数センチで届かなかった充電コードを枕元まで手繰り寄せた後で、彼女と視線を合わせた。


ぎゅっと目を閉じた未弥の額に優しくキスを落として、肩を撫でる。


「俺の部屋、いつでも入っていいんだけど」


「・・・・・・え・・・・・・でも、悪いし。ほら、見られて困るものとか・・・あるで・・・っひぁ」


屈みこんで両腕の中に閉じ込めながら耳たぶを甘噛みすれば、未弥が慌てたように身を捩った。


「未弥、俺の職業なに?」


「・・・・・・エンジニア・・・?」


「そんなのお前が分かんない場所に隠してるに決まってんだろ」


見られたくないものは無いとは言わないが、すべてパソコンの中なので未弥の目には一生触れることはないはずだ。


開き直って言ってやると、未弥が視線を泳がせてああ、とかうんとかなんとも言えない返事を返して来た。


「俺の部屋に入れないっていうなら・・・・・・こっちでしてもいいけど・・・?」


図書館で不意打ちを食らって、うっかり噛り付いて、酔った未弥に付け込んで反省して以降きちんと自重して来た反動か、触れた肩から滑らせた手のひらを止める気になれない。


あの日未弥は、朝陽の指先も唇も拒もうとはしなかった。


そして、翌朝ちゃんと”嫌じゃなかった”と伝えてくれた。


そしてその言葉にどこまで甘えて良いのか、彼女を暴いていいのか、朝陽はずっと迷っている。


パジャマの裾から忍び込ませた手のひらで腰のラインを撫で上げたら、未弥が堪えるように目を閉じて震えた。


「・・・・・・っ、ぁ・・・」


赦されているのか、拒まれているのか分からない。


今夜の彼女は酔っていないし、そういう気分になってくれるかもわからない。


未弥の性格的に、押せば流されてくれるだろうが、脳裏にテタンジェが浮かんで、今は駄目だと息を吐いた。


「未弥が望んでくれるまでこれ以上はしない。だから、俺をこの部屋に入れてよ」


涙目の目尻にキスを落として唇を近づける。


「いや?」


こういう訊き方をしたら、未弥は絶対に拒めない。


我ながら狡いなと呆れつつ、返事を待つこと数十秒。


「・・・・・・・・・そ、添い寝から・・・なら」


聞こえて来た予想外の返答に、朝陽はゆったりと微笑んだ。

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