第36話 暮夜-1
添い寝だなんて、実はとんでもなく大胆な発言をしたかもしれない。
ブランケットをぎゅうぎゅう身体に巻き付けた状態で丸くなった未弥は、素敵な景色を紹介している旅行番組をぼんやりと眺めた。
あれこれ考えすぎたから、身体が先にストップをかけたのだ。
本当だったら今頃は、仲良く和室に布団を敷いて眠っていたかもしれない。
未弥が現在カウチソファーのど真ん中に横になっているのは非常事態だからだ。
傷むお腹を庇うように膝を折り曲げた未弥に気づいた朝陽が、膝の上にある頭をそろりと撫でて静かに尋ねて来る。
「薬、まだ効かない?」
「んー・・・・・・いつもこんなもんだから」
「なんか入れて来てやろっか?」
「ううん。お腹いっぱいだし、いいよ」
大丈夫と答えた未弥を見下ろしたまま、朝陽が心配そうに背中を撫でた。
「未弥が本読む気にもなれないとか・・・・・・」
隙間時間が出来れば読みかけの本を手にカウチソファーに腰を下ろすようになったのは、朝陽の一言がきっかけだった。
朝陽の和室に入れて発言の翌日、狙ったかのように
帰宅した朝陽と入れ替わるように仕事に出掛けた未弥は、前日から朝陽の言葉が頭から離れてくれなくて、寝不足と極度の緊張状態に陥っていた。
そんな状態のまま自宅に戻った未弥に向かって、カウチソファーの座面をポンポン叩いて手招きした朝陽は、もうちょっと距離を詰めようと提案してきた。
『テレビはつけないから、隣で好きなことして』
その提案に、未弥は訝しげに眉を顰めた。
未弥の好きなことなんて読書くらいのものだ。
けれど、読書を始めてしまえば朝陽の言葉は綺麗に遮断されてしまう。
隣で読書の意味が全く分からなかった。
そんな未弥に、朝陽はタブレット端末を持ち上げて自分も読書すると言って来た。
お互いが側に居て楽に呼吸できる状況に慣れようというのだ。
それならと頷いた未弥は、夕食の後すぐにバスルームには向かわずに和室から取って来た文庫本を朝陽の隣で開く事にした。
朝陽は腰に腕を回して未弥を抱き寄せた後、きまぐれにこめかみやつむじにキスを落とすことはあったけれど、それ以上読書の邪魔をすることは無かった。
心臓は時々大暴れをしたり、大きく跳ねたりと忙しなく動いたけれど、朝陽の側から逃げようとはこれっぽちも思わなかった。
結局その日は睡眠不足が祟って寝落ちしてしまい、翌朝嫌な感じの腹痛で目を覚ました未弥は、布団移動させていい?と尋ねて来た朝陽に向かって、一週間ほど一人で眠りたいと進言する羽目になった。
毎月やって来るお馴染みの女子の事情である。
未弥としては慣れっこのそれだが、朝陽はぐったりと動かなくなった新妻に面白いくらい狼狽えてみせた。
自分が対処できない未知の何かというのが恐ろしいらしい。
大袈裟なくらい慌てた彼は、膝を抱えて丸くなった未弥をカウチソファーに寝かせると大急ぎで生理痛のあれこれを調べ始めて、牡蠣とほうれん草が沢山入ったクラムチャウダーを夕飯に用意してくれた。
食後にはヨーグルトとプルーンを食べさせて、鎮痛剤を飲んだ後もいまだぐったりしたままの未弥の側を離れようとはしない。
多少の熱があっても読書だけはやめようとしない未弥が、本を開く気にもなれないことがショックのようだ。
「あのさ、朝陽・・・これ、ずっとだからね」
「おまえ・・・・・・毎月こんなぐったりしてんの?」
「月によって違うけど、ストレスとかでホルモンバランス乱れるから、あんまり深刻に考えないでよ」
「・・・・・・ごめんな。ストレスの原因、俺だよな」
「いや、そんなことは・・・」
「あるだろ。いきなり生活環境変えたし」
「大丈夫大丈夫。薬効いたら元気になるよ。病気じゃないから死なないよ」
これではどちらが病人か分からない。
終始不安そうな朝陽をどうにか安心させようと、未弥は枕にしている彼の膝を軽く叩いた。
「あんたこんなずっと心配してきたわけ?」
こめかみを撫でる優しい親指はそのままで朝陽が返事を返した。
「ん?心配するだろ普通」
「歴代の彼女は嬉しかっただろうねぇ」
「いや、しねぇよ」
「は?いま心配するっていったじゃん」
「未弥は普段元気なの見てるから余計不安になるんだよ」
「・・・ふーん・・・」
分かったような、分からないような返事が返って来て、少しだけ薬が効き始めたのは柔らかな眠気がやって来る。
「私と居る間は慣れてね」
無意識に零した一言に、髪を撫でる朝陽の手のひらが一瞬だけ止まった。
「じゃあ一生だな」
返された一言に、笑っていいのか泣いていいのか分からなくなる。
「・・・・・・・・・頑張ってもあと10年ちょっとくらいだよ」
10年先の未来なんて全く想像もつかない。
子供を産むリミットを考えれば、必要な時期に必要な決断を下して行かなくてはいけない。
髪を撫でる手のひらの優しさにただ甘えていられる時間は限られているのだから。
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