第31話 逢魔時-2

閉じた本を畳の上に戻して、明かりを落として目を閉じる。


素敵な言葉の羅列を思い出して余韻に浸りながら眠ろうと意識を緩めること数分、不思議なくらい眠気が襲ってこない。


いつもならとっくに眠っているはずなのに。


仕方なく身体を起こして、少し迷ってからベランダに続く窓を開けた。


大上家で暮らしていた頃は、自室からベランダに出ることは出来なかった。


眠れない夜は窓辺に頬杖を突いてぼんやりしてみたものだ。


静かな秋の終わりの夜の空気はキンと冷えていた。


つっかけに足を入れてベランダの柵に凭れて、綺麗な星空を見上げる。


吐く息が薄っすら白くて、上着が必要だったなと思ったけれど取りに戻るのも億劫で我慢する事にした。


布団のなかでぬくもっていた身体が足先から冷えていく。


冷たい夜風が読書で高揚した心まで鎮めてくれるようだ。


何度か深呼吸を繰り返していたら、少し離れた場所から窓の開く音がした。


「未弥、まだ起きてんの?」


驚いた顔になった朝陽がサンダルを履いてこちらに歩いて来る。


「うん。朝陽まだお風呂も入ってないね、仕事まだ掛かるの?」


「いま終わった。お前、外出るなら上着ろよ・・・・・・そんな恰好じゃ風邪引く・・・」


呆れた顔になった彼が、着ていたパーカーを未弥に着せ掛ける。


「え、朝陽が寒いでしょ」


「俺はいいよ。すぐ風呂入るから。あ、煙草だけ取らして」


断ってポケットを探った朝陽が、いつも吸っている銘柄のパッケージを取り出す。


「未弥、反対からライター取って」


「ん。はい・・・あ、ねえ、もしかして私来るまでは部屋で吸ってた?」


未弥との新婚生活でホタル族に転身させてしまったのならなんだか申し訳ないような気もする。


「いや、元から部屋の中では吸ってない。仕事の時しか吸わないから。未弥、こっち」


未弥を引き寄せて風上に立たせた朝陽が、慣れた仕草で煙草に火をつけた。


「なに?寝れない?」


「んー本読んでたら目冴えちゃって」


「もうすぐ0時半だぞ?明日起きれんの?」


「んー・・・たぶん、アラーム止まらなかったら見に来てね」


不安なので一応お願いしておく。


前の仕事では緊急対応で夜中のアラートで飛び起きることもあったらしい朝陽は眠りが浅く、いつでもすぐに動ける。


起きてから10分は布団のなかでゴロゴロうだうだしたい未弥としては寝起きの良さは羨ましい限りだ。


目を伏せて紫煙を吐き出した朝陽が、一度離れて室外機の上に置いてあった灰皿を取って戻って来る。


「・・・・・・いいけど。身体冷やして余計目ぇ冴えないか?」


「夜にさぁ、ベランダに出るのってわくわくしない?」


ひょいと眉を持ち上げた朝陽が夜空を見上げてから、ふっと目元を和ませた。


「ああそっか、未弥の部屋ベランダ無かったもんな。物干し台あるのっておばさんの部屋だっけ?」


「うんそう。だから、なんかちょっと出てみたくなったんだよね」


「・・・この家気に入った?」


「凄い快適だよ。とくにお風呂ね。あんな綺麗なお風呂なら掃除も頑張ろうって思えるよねぇ。喜んでカビキラー撒くわ・・・・・・って、まともに私掃除してないけど」


家に帰ったら綺麗になったお風呂が、湯沸かしボタンが押されるのを今か今かと待ちわびているのだ。


「俺のほうが家にいる時間多いしな。掃除くらいいくらでも」


淡々と答えた朝陽が振り返って、和室の前の室外機の上に置いた灰皿に灰を落とす。


「・・・・・・あのさ、朝陽」


何とも奇妙な形で結婚生活がスタートしてから今日までの自分を振り返って、未弥はもどかしい気持ちでいっぱいになった。


「私、ちゃんとあんたのこと、もっと幸せにしたいと思ってるし、大事にしたいと思ってるし、えっと、色々これから・・・」


期待してだなんて口が裂けても言えないけれど、朝陽が未弥を見限らない限りは全力で妻として努力していきたいといつだって思っているのだ。


もう一度振り向いた朝陽がすぐにこちらに向き直って、腕を伸ばして来る。


ひんやりとした腕が背中に回されて抱きすくめられた。


首筋に冷たい頬が触れて、その後を追いかけるように熱い唇が柔肌を食む。


「っ!・・・あ、さひ・・・冷えてる」


頬と唇の温度差にぎゅっと心臓が縮かんだ。


息を飲んだ未弥の背中を優しく撫でて、朝陽が肩に額を押し付けたまま小さく呟く。


「・・・・・・・・・俺はもう十分幸せだよ」


「・・・そ、う・・・なの?」


それはそれで嬉しいような、申し訳ないような、何とも言えない気持ちになる。


細々と返した未弥の唇をそっと啄んで、そうだよ、と彼が短く答えた。

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