第24話 白日-2

ちらっと見えた横顔は、確かに時折図書館を利用する女性のものだった。


重ねた本の置き方や仕草が物凄く丁寧で育ちの良さをそこかしこに感じたので覚えていたのだ。


「西園寺さん独身だから」


「あ、そっか。じゃあ彼女かな?」


「・・・・・・なに、お前でもそんなところ気になるの?」


心底以外そうな視線を向けられて、未弥はむうっと眉根を寄せた。


「今をときめく御曹司だよ。同世代女性としてはそれなりに?なんか小説に出て来るヒーローみたいだよねぇ。地元への愛を忘れない心優しい御曹司」


図書館に入る新しい蔵書は貸出開始前にみんなが取り合うようにして借りていく。


磯上が新刊を毎回楽しみにしている恋愛小説のシリーズのヒーローが、たしか彼のような御曹司だったはずだ。


二次元の恋愛はいい。


いくらだって冒険できるし、誰も傷つけなくて済むし、誰も自分を嫌いにならない。


根岸が未弥に向けた感情はどこか異質なものだったけれど、もっと形が違っていたらちゃんと受け止めて向き合えていたんだろうか。


「お前・・・御曹司が好きなの?西園寺さんはやめとけよ」


「勝手に想像するのは自由でしょ。誰も傷つけないしさ」


「恋人いるんだよ、あの人」


「まあいるだろうね。あれだけ男前なんだし」


「・・・・・・」


理解不能という顔をでこちらを見て来る朝陽が、お冷とおしぼりを持ってきてくれた店主に日替わりランチを二つ注文する。


「想像はするけど恋人がいるのは平気なんだ」


「あんたにはきっと一生理解不能な感情よ」


図書館司書になってからこの10年で、あんな風に接して来たのは後にも先にも根岸だけだ。


二十代の頃ならともかく、未弥はもうすでに三十路を過ぎているし、土山ほど可愛くもない。


司書になって間もなくは、当時まだ独身だった磯上に連れられて合コンにも出掛けたけれど、言葉の正解を考え出して黙り込んだ未弥を置き去りにポンポン変わって行く話題についていく事が出来ずに、結局場の空気を悪くするだけだと気づいてからは、行くのをやめた。


人並み恋愛に憧れたのは10代の頃が最後だった気がする。


本という最強の相棒を手に入れてからは、出会いを求めることも無くなったし、最初のうちは心配してくれていた友達も一人また一人と結婚していって最終的には自分だけになっても、図書館に行けばちゃんと自分の居場所があると思えたので、不安も迷いもなかった。


本はどれだけ未弥が言葉に迷っても、悩んでも、答えを急かさない。


テレビのように一方的に鼓膜を通って逃げていく事もしない。


綴られた言葉を噛み締めるのも流すのも全部未弥の自由。


マイペースさを崩されないことが何よりも心地よいのだ。


「引っ越しの荷物片付いた」


お冷のグラスを傾けた朝陽の言葉に、それは良かったと頷く。


独り暮らしが長かった割には荷物はコンパクトにまとめられていた。


「仕事忙しかったのに頑張ったね。あ、じゃあうちでずっと持ってるおばあちゃんの湯呑そっち持って行こうか?」


朝陽の祖母が亡くなった後、デイサービスで使っていた愛用の湯呑が出て来た時、彼は大上家で保管しておいて欲しいと頼んできた。


寮の個室は手狭だからと言われて結局ずっとそのままになっていたのだ。


「んー・・・そうだな、頼める?」


「いいよ。でもさ、ほんといいマンションだよね、あそこ。低層階マンションってなんか高級感あるし、あそこが社宅とかほんとすごいわ西園寺グループ。朝陽の部屋から自宅に戻ったらげんなりしちゃったもんね」


築35年を誇る愛すべき我が家と、築2年の真新しいマンションは何もかもが違う。


浴室暖房とIHと個別宅配ボックスと専用ポーチ完備のオートロックマンションが社宅だなんてまるで夢のようだ。


「あとさ、次うち来た時、ちょっと話あるんだ」


珍しく言葉を濁した朝陽が、届いたばかりの日替わり定食のトレーから、いつものように割り箸を取り上げて割ってから差し出してくれる。


「ありがと。なによ、改まって」


「うん、まあそんとき言うからさ。ほら、食おう。時間無くなるだろ」


ぶっきらぼうに返した朝陽は早速あつあつの味噌汁を啜って食事に集中してしまったので、それ以上は訊けなかった。

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