第23話 白日-1

「あれ、そういえば最近根岸さん来なくなりましたねー?」


返却本を数冊カートから取り出した土山が、書架に振られた番号を指さし確認する。


未弥も慣れるまではしょっちゅうこうして確かめていた。


今ではもう感覚で覚えてしまっている。


「え・・・ああーうん・・・そうだねぇ」


必死にいつも通りの口調で返したつもりだったのに、やっぱり声が上擦ってしまった。


嘘を吐き慣れていないのが嬉しいような悲しいような。


「え、なんかあったんですか?」


未弥の異変にくるっとこちらを振り向いた土山が心配そうな視線を向けて来る。


「ううん。なんもないよ。なんか、単身赴任期間が終わって地元に帰られたみたいよ」


「ああ、そうなんですね!え・・・・・・もしかして、大上さんちょっと寂しいとか思ってます?」


「いやいや・・・人って色々あるなぁって思っただけよ」


これ以上言及されると困るので、カートを押して隣の書架に逃げ込む。


あの日、10分ほどで大上家に戻って来た朝陽は真っ青な未弥に向かって、根岸は既婚者で現在離婚調停中であること、彼が未弥のことをずっと見ていたこと、ウエノマートに買い物に行く日を調べて待ち伏せしていたことを話した。


しょっちゅう図書館で顔を合わせることに違和感を覚えた朝陽が、数日間根岸の後を付けてみたら案の定未弥の側をウロウロしていて、その証拠を突きつけたら洗いざらいこれまでの事を話して、何度も謝罪して、二度と側に近づかないと約束したと聞かされた。


土山の言葉は当たっていたのだ。


考えたくはないけれど、根岸の目的が自分に会う事だったなら、未弥が探し出した本たちは一ページも捲られることのないまま返却されていたのかもしれない。


それだけが、無性に悲しい。


あれからひと月近く経って、朝陽は完全に住まいを地元に移した。


引っ越しの片付けに呼ばれた社宅は、朝陽の独り暮らしには勿体ない位のファミリータイプのマンションで、西園寺の太っ腹具合に舌を巻いたものだ。


図書館とは違って研究所ラボはフレックス制で、テレワークも可能らしく、朝陽は一日研究所ラボに籠る日もあれば、未弥とランチを摂った後半日だけ出勤する日もある。


開館時間と閉館時間の決まっている未弥からして見れば夢のよな自由な勤務体系だ。


「未弥」


「あ、朝陽さんこんにちは!」


「どうも。俺腹減ってんだけど」


土山に軽く頭を下げた朝陽が、顔をしかめる。


「だったらこっちに来ないで先にカサブランカに行きなさいよ。あんたのとこと違ってこっちは利用者さんが増えたらなかなか外に出られないんです」


いいから早よ行けと手を振れば、じいっと未弥の顔を確かめた朝陽がすいと視線を逸らした。


「分かったよ、早くな」


根岸と最後に会った日の翌日から、朝陽は時間を見つけては毎日のように図書館にやって来る。


態度は相変わらずで言葉もぶっきらぼうだけれど、未弥のことを心配してくれているということは、ちゃんと伝わって来た。


いまも、未弥の表情が沈んでいないことを確かめたのだ。


螺旋階段を降りて行く朝陽を見送って、土山がいいなぁと声を上げる。


「いや良くないでしょ。ごめんね、朝陽いつも愛想なしで」


「それがいいんじゃないですかぁ。無駄に愛想振りまかれると心配になりません?」


「いや、あれで円滑に社内でコミュニケーション取れてるのかどうかのほうが心配だわ」


エンジニアは同じタイプの人間が多いから楽でいい、と彼は言うけれど、同じ部署の人間が全員朝陽みたいな人ばかりだったらそれはそれで問題な気もする。


もうちょっと笑いなよ、とか言ったら死ぬほど嫌そうな顔をされるんだろう。


「私、勇気出して朝陽さんランチに誘ったことあるんですよー」


「あ、そうなの?」


「そしたらあっさり断られました。また今度でって。その断り方もなんか朝陽さんらしくって」


「・・・・・・あんま喋んないしね・・・ごめんね・・・今度三人でご飯行こうって言ってみるわ」


にこりともせずにばっさりぶった切った朝陽の顔が浮かんでひやっとした。


土山はこの調子なのでまだいいが、相手によっては相当へこんでしまうに違いない。


「よし、お昼回った。貸出混んで無さそうだったらそのままお昼入ります」


腕時計を確かめて、後はよろしくねとカートを土山に預ける。


どうせ今日も先にランチを食べているのだろうと足早にカサブランカに向かえば、奥の席で珍しく朝陽が誰かと話をしていた。


テーブル席に座っているカップルがどうやら知り合いらしい。


こちらに気づいた朝陽が軽く頭を下げて戻って来る。


遠目から見ても分かる上等なスーツ姿の男性は、地元では有名な西園寺緒巳その人だった。


図書館の開館セレモニーで間近で見て以来かもしれない。


黙っていても纏う雰囲気が上質でおいそれと話しかけられそうになかった。


「あれ、意外と早かったな」


「今日は込んでなかったから。あの人、西園寺さんだよね?」


「うん、そう。いまの上司」


「うわ、そっか・・・西園寺メディカルセンターってあの人がセンター長なんだ」


「医療介護の開発系部門のトップと兼任だからな」


「すごいねぇ」


「その凄い人にヘッドハンティングされた俺はすごくないの?」


「ああ、ほんとだ。偉いねぇ。あんた昔から頭良かったもんね」


「・・・・・・・・・腹減った」


「はいはい。ねえ同伴されてるのって奥様?あ・・・あの子図書館で見たことあるかも」


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