第22話 白驟雨

未弥の姿が門扉の内側に入ったことを確かめてからストーカーに向き直る。


西園寺から届けられた彼の経歴はどこもかしこも見事に真っ黒だった。


こんな事になるのなら、もっと早く西園寺に根岸を探っておいて貰うべきだった。


ヘッドハンティングを持ち掛けられた際、西園寺といくつかの取り決めを行った。


とある事情によりメディカルセンターの設立を急いでいた彼は、まずは医療介護ロボット開発の専門研究所ラボの開設を大々的に発表して、地元の地域医療の発展にさらなる貢献をすると高らかに宣言した。


それに伴い、朝陽をはじめとする研究所ラボの立ち上げスタッフであるエンジニアたちは、揃ってメディアからのインタビューに応えたり、施設紹介を行ったりすりことになり、地元は勿論のこと、同業種の企業からも注目されることになった。


この目くらましにメディアが乗っかっている間に、西園寺がメディカルセンターの第一主軸として考えている新薬開発の研究所ラボが本格的に動き始めた為、朝陽たちはメディアの目を引き付けるべくとにかくあちこちに顔を出してはロボット開発について語らされた。


その甲斐あって、一度も新薬開発研究所ラボについてメディアが食いつくことは無く、すべて西園寺の思惑通りに事は運んだ。


今思えば、これらの面倒ごとを纏めて引き受ける迷惑料込みの年俸だったのだ。


そして、当分矢面に立たされる条件を飲む代わりに、この先何か頼みごとが出来た時には、西園寺個人ではなくて、西園寺家当主として朝陽に力を貸すことを約束して貰った。


この先自分と未弥と未弥の母親に何かあった時には、西園寺の名前で動かせる権力はすべて使って貰う予定にしていたのだが、こんなに早くその力を借りることになるとは。


今回の件は、どう足掻いても朝陽一人では未弥を完璧に守り切ることは出来なかったので、あの時取り決めをした自分には先見の明があったのだろう。


彼の素行調査に向かった担当からは、未弥の隠し撮りを行う根岸の写真が何枚も送られてきた。


即座に破棄したけれど、未弥のデータが彼の手元にあること自体に吐き気がする。


報告書を印刷して来たものを広げて、男の前に突きつけた。


「三田化学は半年前に横領で懲戒免職処分になってるらしいな、あんた。キャバクラの未払い通知が大量に届いてて、出て行った妻とは離婚調停中。システムエンジニアのあんたが図書館の簡単な検索システム触れないわけがない。借金の総額が800万・・・妻子は栃木の妻の実家で暮らしていて、ここ数か月息子には会えていない。ああ、妻の実家からも借り入れしてるのか、そりゃあ会わせる顔がねぇよなぁ・・・借金まみれで挙句の果てがストーカー。思春期の息子が知ったら泣くね」


真っ青になった根岸が朝陽に掴みかかるようにして報告書の束をひったくった。


食い入るように報告書を睨みつけて、記載されている内容に表情を失くす。


「奥さんと子供が暮らしてる栃木の実家に、この報告書のコピー送ってあるから」


「・・・・・・・・・そ、そんな・・・・・・ぼくは・・・・・・なにも・・・・・・」


「あんだけあからさまに付け回しといて気づかれないとでも思ってたのか?」


「話しかけただけだ!」


「話しかけんな、視界に入れんな、未弥の声を聞くな。あと、あんたのパソコン証拠品で押収させて貰ってるから」


たまたま彼のアパートが西園寺系列の物件だったのでもう一つ無理を聞いて貰って、合鍵を拝借してここに来る前にパソコンは撤去しておいた。


合法が違法かと言われれば、違法だろうが、この男のやっている事の方が明らかに違法なのでそこはもう開き直ることにする。


管理会社の人間は、朝陽が顔を出すと何も訊かずに部屋の鍵を手渡してくれた。


西園寺家の当主の実力を垣間見た瞬間だった。


この土地においては、西園寺が合法だと言えば、大抵の事は白になるのだろう。


未弥の隠し撮り写真が何に使われていたのか想像しかけて、すぐにやめた。


殴るだけでは事足りなくなると困るからだ。


隠しファイルもろとも明日の朝イチで破棄して抹消させなくてはならない。


「裁判起こしてあんたを社会的に潰すことも出来るけど?」


報告を受けた西園寺は、真っ先にその提案をしてきた。


優秀な弁護士はいくらでもいるし、生かしておく必要のない人間を、この土地で野放しにしておくのを彼は良しとはしない。


『遠山くん、温厚やなぁ。俺やったら秒で家族ごと潰すわこの男。うちのおひぃさんにストーカーとか・・・・・・想像しただけで無理やわ』


朝陽とてその考えに至らなかったわけではないが、報告書を見る限り彼の妻はごくごく普通の一般人で、息子の素行も決して悪くは無かった。


ここで一家をバラバラにすることは容易いが、この先何年か経って、家族に残った遺恨が自分ではなくて、未弥に向かう可能性を考えたら、この線で手を打つのが妥当だと思ったのだ。


不幸の芽は、出来るだけ増やさない方がいい。


朝陽は無表情のまま、ぶるぶる震えて泡を食ったように首を横に振る根岸の胸ぐらを引っ掴んだ。


「県外に出て、二度とここには来ないことを誓えるか?」


「わ・・・・・・分かった」


「当分の間興信所張りつけとくから、妙な行動したら証拠揃えて警察に突き出して、あんたの家族諸共消えて貰う」


返事をする気力もなくなったらしい根岸が、焦点の定まらない視線で何度も頷いた。


これだけ脅せば恐らくに二度とこの町にはやって来ないだろう。


向こう3か月は興信所に身辺調査をして貰って、何もなければ記憶から消す事にする。


這う這うの体で駅に向かう根岸に背を向けて、大上家に向かって歩きだした。


胸に渦巻いていたどす黒い感情を吐く息と一緒に捨てて、目を伏せる。


未弥になんと言うべきだろう。


さっきのあの様子では、いよいよ根岸に不信感を抱いていたようだし、問題が解決した以上、さらに怯えさせるのも忍びない。


これを機にしっかり危機管理して貰うことにはするが、やっぱり側に居ないとどうにも安心出来ない。


図書館と朝陽と母親で完成している未弥の世界には、それ以外の誰かの視線は容易には入ってこない。


だから、気づいた時にはこんな風に手遅れになってしまうのだ。


けれど、もう二度とこんなことはさせないし、させたくない。


さすがにこのタイミングは不味いだろうが、早々に未弥に未来計画を打ち明けたい。


久しぶりの大上家のインターホンを鳴らせば、数秒で彼女が飛び出して来た。







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