第4話 彼者誰時-2

「あら、朝陽くん、いらっしゃい」


未弥の先輩司書である既婚者の磯上が、ふくよかな身体を揺らして手を振って来た。


その隣から、彼女の半分の薄さの司書、水谷がはにかんだ笑顔で会釈してくる。


こちらに戻っている時には欠かさず顔を出すようにしているので、スタッフのほぼ全員と顔見知り状態になっていた。


お喋りな磯上と、大人しい水谷はセットで動く事が多いようだ。


「こんにちは。今日も賑わってますね」


「午後から管弦楽団の演奏会があるのよ。それ目当ての人ばっかり。談話室に入り切らなかった人がこっちで時間潰してるみたいね」


「なるほど・・・座るところもほぼなさそうですもんね」


ぐるりと見回したソファ席は満員で、窓際のテーブル席にはちらほら空席も見えるが、クリアガラスで仕切られた子供用のプレイスペースは駆け回る子供たちで溢れていた。


受付は別のスタッフが座っていたし、プレイスペースで定期的に絵本の読み聞かせを行っている未弥の姿が見えないということは、今日は返却担当らしい。


アンティークの螺旋階段と、緩やかなスロープが併設されている立体的な室内は、二階構造になっており、一階は雑誌や子供向けの絵本、家庭向けの料理本や手芸本、マンガや小説といった一般受けする蔵書が置かれていて、歴史などの専門書は二階に収められていた。


朝陽が居座るのは決まって静かな二階のスペースである。


「未弥連れて昼行きたいんですけど」


「やだ、もうそんな時間なのね!いいわよいいわよ、連れてって。今日もカサブランカ?」


「役所の食堂はこの時間もう満席ですから」


肩を竦めて見せた朝陽に、磯上がにやりと人の悪い笑みを浮かべる。


「朝陽くんもマメよねぇ・・・どうしてこの一途さが未弥ちゃんには伝わらないのかしらね」


伝わって欲しい人間には肝心なことが伝わらず、伝わらなくていい人間にほど、余計な情報は筒抜けになるものだ。


未弥が司書デビューした時から面倒を見てくれている彼女は、この10年の間に結婚して二度の産休育休を経て頼もしい母へと進化していた。


そして、未だにどこか危なっかしい未弥の虫除け担当を自ら買って出てくれている。


控えめな水谷はストッパー役には回ってくれそうにないので、磯上だけが頼りだ。


苦笑いを零して二階を指させば、そうそうと磯上が頷き返してくれた。


図書館司書は8割が女性なので、その点は物凄く安心出来る。


ここまで引き摺ったのだから、横からポッと出の男に掻っ攫われてなるものかと思ってしまうのも無理ないことだ。


お互いいい歳の大人なのだから、ほんとうにいい加減どうにかしたい。


数歩程度の前進では無くて、もっと分かりやすく大胆に。


彼女相手に駆け引きを仕掛けても意味がないことは嫌というほど理解しているので、こうなったら決定打を突きつけるよりほかにないのだが、その準備がまだ出来ていないのが悔しいところだ。


が、ここで焦って功を逃すわけにはいかない。


螺旋階段を上り切る直前に、未弥の後ろ姿が見えた。


声を掛けようとした矢先、目の前を一人の男が横切って行く。


美術関係の書架に滑り込んだ男がその場でくるりとUターンして通路に顔を出した後、きょろきょろと辺りを見回しながら未弥の後ろに近づいた。


本を探しているというよりは、誰かを探している動き。


こいつ・・・・・・


物凄く嫌な予感がして、残り二段の螺旋階段を一気に登り切った。


歴史関係の書架にカートを押し進めた未弥の後を男が追いかけて、さらにその後ろを朝陽が追う。


「・・・み」


未弥と呼び終える前に、目の前の男が彼女の名前を呼んだ。


大上おおうえさん」


「はい。あ、根岸さん、こんにちは」


声の方向を振り向いた未弥が愛想よく笑顔を浮かべて、すぐに根岸の後ろに立っている朝陽に気づいた。


あれ?という顔になった彼女に気づかずに、根岸がカートの隙間から未弥の隣に身体を捻じ込んだ。


不自然すぎる距離感に後ろから蹴りつけてやろうかと本気で思った。


「いつもすみません。探してる本が見当たらなくて」


手にしたメモを差し出した根岸に、未弥がああ、と声を上げる。


蔵書検索端末は各階に何台も設置されているし、使用方法も分かりやすい。


それをせずにわざわざ未弥に声を掛けるのは、彼女と話したいからだ。


が、図書館の利用者が本を探していると訴えているのに、司書をこの場から連れだすわけにも行かない。


「ええっとこれだとー・・・」


一瞬眉根を寄せた未弥が、顔を上げて朝陽に向かって片手を差し出した。


図書館の外を指さしてから揃えた手を立てる。


時間が掛かりそうだから先にカサブランカへ行っておけという意味だろう。


目の前の男と二人きりにしておきたくない朝陽の不機嫌顔を、空腹ゆえのそれだと勘違いしたらしい未弥が早く行けと指を払って、カート置いて根岸と一緒に奥の書架へと入って行った。


どこの馬の骨が出てこようと、他の誰にも譲るつもりなんてない。


10代から馬鹿みたいに拗らせて来た初恋舐めんなよ、と憤然としながら男の後ろ姿睨みつける。


どれくらいこうやって彼女のことを見つめ続けて来たと思っているのか。


ここ数か月で運命を感じたお前とは歴史が違うのだ。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る