第3話 彼者誰時-1

最初にそれに気づいたのは、書架の隙間を縫うように歩き回る彼女の後ろ姿を探していた時に、やたらめったら視界に入って来る邪魔な背中が見えたから。




その昔、まだ身長が未弥よりも低かった頃、隣に並ぶたび見下ろされるのが悔しくて、いつの頃からか彼女の後ろを歩くようになった。


前を歩くとすぐに寄り道するなだのもっと端を歩けだのと口うるさいからだ。


高校に入って一気に身長が伸びて、彼女の背を追い越してからも、後ろを歩く癖は変わらなかった。


未弥が足音に気づいて振り向いて嬉しそうに表情を明るくするのを見るのが好きだったのだ。


そこにあるのは幼馴染への気安さと親愛で、恋愛感情なんてこれっぽちも入っていなくて、朝陽を前にして彼女が髪型や制服のスカートの裾を気にすることは一度もなかったけれど、その目を真っ直ぐ見つめ返せるだけでよかったのだ。


いわゆる初恋である。





けれど、その男の後ろ姿は、どう見ても違和感まみれだった。


なんだこいつ、と目に留まってから動向を探るようになって、そして、それはやがて確信に変わった。






地元住民たちの誇りでもある西園寺グループによって、数年前に古びた公民館の一角から移設された図書館は、コンテストで大きな賞を獲った新進気鋭の若手建築家に設計を依頼したもので、片田舎の町には不似合いなモダンな建物はいまやこの町のシンボルでもある。


移設に伴い西園寺グループから贈られた大量の寄贈図書のおかげで大手大学図書館並みの蔵書量を誇ることになった図書館には、遠方からも人がやって来る。


開放的なデザインの広々とした図書室のほかに、バリアフリー完備の遊戯室や談話室、自習室のを兼ね備えており、レンタル会議室としても使えるフリースペースや、イベントホールも設置された画期的な憩いの場は、休館日以外は人が絶えない。


地域貢献の一環で古くから芸術振興に力を入れている西園寺グループならではの催し物も多く開催されており、公民館時代より勤務スタッフは大幅増員されていた。


子供の頃によく通った老人ホームの近くにあった公民館の図書館のほうが朝陽にとってはなじみ深いが、老朽化が進んでとり壊されてしまった後に敷地を拡げて建てられた西園寺メディカルセンターとは今後長い付き合いになるので、そのうち新しい図書館のほうに馴染みを覚えるはずだ。


面白い蔵書が多いから、という嘘と本音半分ずつを織り交ぜた言い訳を口にしながら、帰省のたびにこの図書館を覗くのは他ならぬ彼女に会う為だ。


いい加減気づいても良さそうなものなのに、本格的な本の虫になってからの未弥は恋愛ゴトと自分の間にエベレスト並みの壁を築いてしまったので、こちらのアプローチには全く気付いてくれない。


その原因の一端を作ったのは恐らく自分なので、こればっかりはどうしようもない。


自業自得というやつだ。


幼い頃に両親を飛行機事故で亡くしてから、母方の祖母の元で育てられてきた朝陽の生活環境が変わったのは15歳の時。


一年程前から体調を崩すことが多くなった祖母が、デイサービスで出かけていた老人ホームで緊急搬送されて、あっけなく亡くなってしまった後、父親の姉夫婦に引き取られることになった。


どれだけ大人びていても、15歳の子供に自分の人生を自分で決められるわけがない。


奨学金目当てで受けた全寮制の高校への入学が決まったと伝えた時の叔母夫婦のホッとした表情を見た時も、大して傷つかなかった。


法事で顔を合わせるだけの親戚の元に身を寄せるよりも、一人の方が楽だったのだ。


年齢以外はどうにも年上らしさを感じられない頼りない幼馴染が、あの日、まるで小さい子供を慰めるように自分に向けて発した言葉。


あれが、より一層早く自立した大人になろうと心に決める契機になった。


当時の朝陽は、未弥の真心をそのまま素直に受け止めて笑えるほど大人では無かった。。


それから毎年、お盆の時期に合わせて日帰りで帰省して墓参りだけは欠かさず行って、それ以外の連休はひたすら寮で過ごした。


大学入学と同時に他県に移り住んだことをきっかけに完全に叔母夫婦との縁は途切れて以降連絡も取り合っていない。


こうして朝陽にとって唯一身内と呼べる人間は、大上親子のみになった。


祖母が早くから膝を悪くしていたことで興味を持った医療介護ロボットの研究開発は、大学入学と同時に始まってそのまま仕事になった。


その間も未弥との関係は変わることなく、社会人になって付き合った女性と初めて将来の話が出た時に、ふいにあの言葉が頭を過って二の足を踏んで以来、眠っていた感情は見る間に甦って来て朝陽の心を埋め尽くした。


それ以降、燻り続ける初恋の火種は消えることなく燃え続けていて、だから飽きもせず彼女の仕事場に足を運んでいるのだ。


けれど、移動距離と移動時間にげっそりしていた日々ももうすぐ終わる。


それが何より嬉しい。










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